77話 ブレイブ:LATS
戦線はすでに崩壊していた。
それもそのはず、戦場にいるのは一般人に毛が生えたような新兵ばかり……
侍郎院柳悟は、すでに敗北を悟っていた。
(この戦場にいるものは、誰一人残るまい。儂がメガセリオンを討ったとしても、そのあとには……)
空にある、巨大という言葉さえばかばかしくなるような怪物。生物ではなく、気象や海流といったスケール……
千人を束ねる将軍にして、“千極”の二つ名を戴く当代最強の武人は、緑を帯びてとぷんと揺れる空を見た。
「将軍ッ、人格権を売却したというのは本当ですか!?」
「いまさら驚くにはあたらんだろう。遺族に年金も残せる、それに……」
「何をおっしゃっているんですか……あなたという人格は、これからッ!」
「我々にそれを言う権利はない、分かっているだろう? 私たちこそが、もっとも人格権を蹂躙してきたのだ」
新時代――とくに惑星探査において使用される「人格権」という言葉の意味は、旧時代のそれとは少々趣が異なる。より具体的に言えば、その権利を保障されない人間がどのような扱いを受けるか、という事情が大きく変化した。
きわめて重い罰則、または自発的な放棄により、「個人が個人として存在する権利を手放す」という選択肢が生まれた。そうしてアーカイブに記録されたデータは、一部をそぎ落として自動兵器を動かすためのAIモドキとされた。
「遊ぶ金欲しさに未来を売り渡す屑、親類縁者を売り払ってギャンブルに興じる狂い……あなたがあれらと同類に見られるのが、私にとってどれほど苦痛か!! あなたを慕ってきたものがどれほどいると思っているのですか!?」
「なあ、越宮……。これは絶滅戦争なのだ。しかも、相手には一切の痛手がない。あの忌々しいマーレスどもが、この選択を嘲笑っていることも知っているとも」
何より、男はその兵器たちを動かす立場にあった。消極的にその立場にあることを選択したものたちのことを「志願者」と表現したプロパガンダはともかく、彼らは人命を消費しているのだ。
「戦いに適性のある人格データは、大きな戦功を挙げる。ボディの質にかかわらず、だ。より強力な自動兵器を増産するめどが立ったのだから、儂らが永遠の戦士となることも不可能ではないのだ」
男は剛毅を好み軟弱を蔑む――とはいえ、志願者の質を見て「適性」というものは理解している。むりに徴兵された少年が英雄となることはほとんどなく、画家に銃や剣を持たせたところで筆ほど自由闊達には振るえない。
より強力な適性のある戦士が大きな戦功を挙げ、そのような兵士を重用する。そして、現在の英雄を人格データとして保存し、未来の脅威に対抗する矛とする。武を貴ぶところもあるとはいえ、あくまで軍人である男は、その合理を理解せざるを得なかった。ゆえに、あまたの武器を手にした瞬間から使いこなすと謳われたその手腕を、売り渡した。
「きゃつらがシグナルを偽装さえしていなければ……いや、同じ地球の色を見誤った天文学者どもの目のせいか。なんにせよ、第四地球はすでに人のものではない」
青い地球がすこし緑を帯びていたからといって、警戒するものはいなかった。そういった平行世界もあるのだろう、と高を括っていた人間たちは、未知なる脅威と出会うこととなった。何もかもが未知の塊である、改変という名の脅威……自然発生的に「マーレス」と呼称されることとなったそれは、すべての命を塗りつぶした。
「おそらく、五つの地球が衝突したインパクト程度では消滅せんだろう。この時代に最大戦力を落とし、未来に訪れる脅威は人格権を喪失した戦士たちで討つ」
「……将軍。あなたの言っていることは、徹頭徹尾めちゃくちゃです」
「判っている。儂を更迭しても構わん、時代の流れはすでに決まっているのだからな」
「私にも、それくらい理解できています」
死という概念から切り離された戦士にも、強さの上限がある。そして、彼らには戦いに相対する姿勢がない。現代の技術では、兵士をそのまま出力する程度で限界だ。
「儂が愛した地球も、人間も……もはや残ってはいまい。縁者の係累、文化の片鱗、そのくらいでも残っていればいい。言葉が通じぬとしても、儂はその時代の「ひと」のために役目を果たすつもりだ」
より洗練された技術が、より戦闘に適した人造人間をさらに強化してくれる。システムを完成させるまでの時間はあとわずか、それまでに人類が滅ばなければ地球の勝利だ。
「儂は出る。遺るものがある……この体の命など、もはや何の意味もない」
「お供します、将軍。すべてを理解できないとしても……それでも」
浮遊する戦艦のようなもの、爆撃機のようなもの……どちらも、奇妙なほど海洋や魚の意匠を含んでいる。空から抜け出したそれは、遠く響く管楽器めいた鳴き声を発した。
「命というのは、まこと厄介なものよな。なぜこれほどに、軽重が異なるのやら」
答えるもののない問いに、侍郎院柳悟は満足げに笑った。
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