38話

 青属性の〈十留涼矢とどめのすずや〉は、わずかのレベル上げで手に入るわりに、きわめて凶悪な効果を持つ。攻撃力を一割もダウンさせ、対象が赤属性ならば二秒間のスタンをも付与できる。初期マップであるシュウイ平原に出現するモンスターの大半は赤・黄属性であるため、なおさら有利さが際立つ。


 雑魚に対して優位に立っていても、ザイルの心は晴れない。それどころか、感情のカオスは膨らむばかりだった。逃げてきた先で行き詰まるという体験はこれまでにもあったが、今はあまりにも大きなものがそびえ立っていた。


(親父もオカンも黙ってて……自分でも気付けなかった。あいつがどうだったかは分からないけど、こんなの……こんなのってないだろ)


 折り鶴のような式神が吐き出す氷の針が、尻尾の生えたランタンを砕く。何十の敵を倒そうが、レア個体をやすやすと仕留めようが、心は晴れない。誰よりも身近にいたはずの、いちばんの理解者だったはずの弟が、まったく知らない生き物に変わっていくように感じられた。


 体のほとんどすべて、それどころか容姿、加えて精神構造までも変化しうるとあれば、彼の知っているツムギはもう帰ってこないのかもしれない。ギリギリまで彼を現実にとどめていたものが、音を立てて崩れていく――


 知ってか知らずか、悪魔のごときものが彼に歩み寄った。


「強いねェ、君ィ。うちんとこに入らない?」

「なんスか、急に……」


 ベータ版の情報によれば、いわゆるギルドの要素が解放されるのは、きわめて強力なボスが出現した後だという。「自分のグループ」といったニュアンスで発言されたのであろう“うちんとこ”という言葉が、妙な意味を含んで聞こえた。


「とにかく頭数を募集してんだけどもォ、強いやつがいなくってねェ。なかなか、人集めにも苦労してんだよねェ」

「何してんスか、そちらは。あんまし変なことはできませんけど」

「有り体に言えばPKギルドだねェ。君ィ、だいぶ荒れてるからさァ……大きなことして、ストレス解消でもしてみない?」

「それが何の利益になるんスか」


 顔を見ても、相手はザイルに気付いていないようだった。ゲーム配信者としてはそれなりに売れてきたつもりだったが、まだまだネームバリューは低いようである。


「現状、PKは賭けデュエルするしかないんだよねェ……確実に勝てないと損、というかァ「所持金額すべて賭ける」ってやらないと得にならないィ」


 ある程度健全なシステムだ、とザイルは考えた。しかし、すでに実例を検証済みであるかのような口ぶりであることにも気付いていた。


「システムの穴も見つけたしィ、儲けとして上々になるのは間違いなし! 荒らすだけ荒らしたら末端に山分けしてェ、リーダーは撤退するゥって仕組みね。戦うだけでいい」

「それ、このゲームじゃなくてもいいよな? 何やってるんだ、あんたら」


 敬語を使う必要はない、どころか……あからさまにそうであると言い切っても失礼にはならない、コスチュームに似つかわしい悪魔めいた思考。病原菌のごとき黒い粒子をぼろぼろと散らすマフラーに、不安を生じる黒コート、単なるコスチュームであると笑い飛ばすのが正解であろうにそうも思えぬ、ねじくれた角と軍帽。


「俺はヴァイス。“励悪ヴァイス”だよォ……愉悦たのしい時を作る異形、かなァ」


 ひとりの人間であることが疑わしく思えるほどに、べったりと不愉快な悪意がにじみ出ている。男は、まるで写真が溶け崩れるような、薄気味悪い笑い方をした。


「だいじょうぶ、許してもらえるさァ。ゲームに逃げなきゃいけなくなるほど、君を追い詰めたものはなんだいィ? 果たすべき責任を果たさないクズかァ、それとも親しい人の裏切りかァ……はたまた抵抗できない事実かァ」


 曲がった首がのぞき込む。


君は悪くない・・・・・・。今少し落ち着く時間が必要でェ、そのために犯す悪の責任は誰かが取ってくれるゥ。親の言うようないい子にしていて、君が手に入れたものはあるかいィ?」

「……ない」


 逃げるように始めたゲームの腕前は見る見るうちに伸び、リスクがあるからと止められた配信も利益になっている。


「俺が倒したいのは、晒し板に名前が挙がっているヤツのシンパさァ。君がこのゲームを楽しむつもりでも、ヤツらに楽しみをぶち壊されるかもしれないィ。俺たちが自ら選んだ悪であるのに対して、ヤツは無自覚に悪なのさァ。同じ悪だろうと、ヤツらとは仲良くできない。生まれ持った性分は治らないからねェ」

「毒を以て毒を制す、とでも言いたいのか」

「あははっ、理解が早いィ。利益をばら撒いて逃げる俺と、ゲームの寿命を縮めるヤツと。いったいどっちが悪いと思うゥ?」

「そんなヤツは倒さないとな。仲間になるつもりもないが」


 それでいい、と悪魔は微笑む。


「性善説も性悪説も、単なる極論だァ……事実は変えられなくとも、心は変わるものだよォ。君は正しい道に戻るために悪を犯すゥ。それを咎めるのは、善悪を理解していない愚か者だけさァ」


 悪魔のいざないに乗ったザイルは、そして一人の少女を襲撃することになった。モンスターの出現する廃ビルを根城に、十を超えるプレイヤーが集まっていた。


「ザクロって言うんだがねェ……PKのやり口を隅々まで理解しているうえにィ、わざとトラウマになるような殺し方をする。ワルだよォ」

「おおかたネカマだろ? 動きに違和感が出れば、つけ入る隙もできる」


 大きく骨格の違うキャラクターを操作しているとき、人はわずかばかりの違和感を覚えるものだ。そのわずかな隙を見つけることができれば、対人戦はぐっとやりやすくなる。NOVAから引っ張ってきた資料映像を見て、ザイルは思わず舌を巻いた。


(反応がいいだけじゃない、自分のテンポに持ち込む巧みさ、こっちだな。動きにくい服装なのに、鈍ってる様子がない。ゲーム経験は俺並みってことか)


 さる筋から買ったという情報も合わせ、勝ち筋を見出したザイルは、それを周囲に伝えた。

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