36話

(どうしてこうなった。なんでだ)


 宵の藍色をした忍び装束に身を包んだ「ザイル」は、ゲーマー人生の中でも最大の窮地に陥っていた。ここのところは何ひとついいことがない、と嘆きながらも、何かできることはないかと必死に考えを巡らせる。


 VRゲーム黎明期、武器は物理的な役割を強く意識されており、さして大きな発展性を見せなかった。剣のリーチは刀身の長さの三倍に届けばいい方であり、リーチこそが正義として、槍や薙刀が覇権を握るゲームも少なくなかった。しかし、派手なエフェクトやサウンドが受容されるようになった現在では、剣を振れば炎が噴き出る、氷が突き立つ、不死鳥が飛び立つことさえ珍しくない。当然ながら射程距離も伸び、一畳半を隔てて剣劇をかわすことさえ可能となっている。


 遠距離型のプレイヤーともなれば、狙撃にも等しい一方的な蹂躙を行うものもある。込み入った場所で取り囲むはずが、完全にあてが外れた。


(距離じゃない、何だこの攻撃は!? 何が起きてるのか……分析ができない! 相手の情報とかいうのは一体なんだったんだ、何の意味もないじゃないか!)


 紙製のホタテ貝のようなものが、いくつも続けて紫のビームを吐き出す。見た目通りの紫属性のそれは、威力としてはひどく貧弱で、警戒に値しない攻撃だった。しかし、ほとんど威力がないはずのビームで、味方がばらばらと倒れていく。


(重力操作か? あいつのライヴギアは紙だろ、そんなことできるような技なんてないはずだ……なんなんだこれは!)


 ザイルが知る限り、ライヴギアのコンセプトは「現地での補充と継続的な運用ができる汎用可変兵装」である。実際のところ、オカルトじみた性能を発揮するライヴギアはすでに目撃されているが、仕様によるものであることは判明している。


 ザイルが使用する〈十精の型〉は、百鬼夜行をモチーフとした式神の群れである。パーツごとの性能を足し合わせるライヴギアが多い中で、紙はひとつのエッセンスを極限まで高める性質を持っている。〈十精の型〉の場合は「大量の召喚」――の、はずだった。


「情報戦から負けてたってことか。やってくれやがったな……!」

「買った情報が悪かったんでしょう、きっと」


 あじさい色のミニ丈の浴衣に、平安を思わせる結び髪。手にある紅の琵琶をかき鳴らすと、それだけで超常現象がいくつも起こる。一度目は閉じ込められ、二度目は虐殺され、接近することさえままならない。麗しく可憐で、愛らしくて蠱惑的な少女は、美しさに似合わぬ、切り刻むがごとき冷笑をたたえていた。




 安売りされている紙がある、との情報を入手したザイルは、さっそくそれを買い込んだ。コスト効率で言えば百倍以上、利用しない手はない。もともとは無料だったというそれを2メテラにしたのは、あの「ザクロ」らしいと聞いた。どのみち値上げは避けられないと考えれば、いきなり有料になるよりは幾分かマシだろう。「仕損粗紙」は、おそろしく安かった。


 耐久値が低く、式神一体あたりの性能もやや低くなる。そんな欠点は、ひとりで弾幕を張れるほどの連射性能から見れば、取るに足りないものであった。自動で術式を書き込む効果のある色彩「星海綾織」は、一体ごとの使い捨てがいくら早かろうが、いっさいの劣化なく性能を発揮できる。


『おい、なんで攻撃しない! アレにも限界はあるだろ!』

『節穴かよバカ野郎、まずまともに配置できないんだよ!』


 低級の式神は、ビームの引き寄せ効果に対抗できない。いくら魔法を放とうとしても、式神は巻き込むようにまとめられてしまい、続く攻撃で散ってしまう。魔法を数発撃てば散るほど儚い存在であり、HP数値で言えばほとんど最底辺である。安い紙を使ったこと自体が間違いだった。


『〈クイックチェンジ〉はどうした!』

『ダメだ、条件が違う。これじゃ無理だ!』


 色彩「星海綾織」の効果は、簡単に言えば「コピー品の補充」である。空という海から星を汲み上げることができぬように、敵は式神を滅ぼすことができない……セットした紙がバッグから完全になくなるまで、式神は自動的に補充され続ける。「大数増刷」のワンセットが二百枚で四十メテラであったことを考えれば、数自体がセーフティーだったのだろう。千枚2メテラのワンセットは、文字通り、安物買いの銭失いであった。


(こんなカスみたいなのを入れ替えもできないのか! 被覆を自力で入れ替えないと、〈クイックチェンジ〉の習得条件を満たせないってことは……くそっ、このまま負けるしかないじゃないか!!)


 召喚において、彼は式神一体につき一枚の紙を使用しているわけではない。一枚あたりで召喚可能な数は紙によって異なり、数に特化した「大数増刷」に比べれば半分である。それでも十体・千枚と考えると、1メテラあたり五千体の式神を召喚できる計算になる。「大数増刷」がワンセット八百体、1メテラあたり二十体と考えると、飛びつかないものはいまいと思えるほどの高効率だった。


 しかし、ビームで引き寄せられて処理され、かろうじて数発撃った魔法も届かない。ザイルの式神召喚は、完全な無駄行動と化していた。いくら数があろうが、余裕を持って処理できるのであればないのと変わらない。


『ぐわっ』

『おい、おい! 誰かいないのか、三十対一だぞ!?』


 とにかく頭数を集めれば、誰が負けたとしてもなんとかなる。数の暴力は有効だと、人数に差があれば戦力差は覆らないと……あれだけ強弁していたディボルさえ倒れた。


「ウソだろ……!?」

「残っているなら、奇襲でもなんでもしてきてください」


 また紫のビームが放たれ、抵抗むなしく体が浮き上がる。四連続の剣技がザイルをふかぶかと切り裂き、HPゲージを消滅させた。


(なんで、こんなことに。たった一言で、あんなにブチ切れなくていいだろ……!)


 若草色の着流しが、死亡判定で変色していく視界の中で、灰色に変わっていく。血振りもせずに刀を腰に差すその姿は、殺戮に心さえ動かすことのない悪鬼と見えた。


(何もかも……あいつが女になってからだ)

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