15話

 湯気が体に触れる感覚が、いつもより強く感じられた。


「まとめてー……あ、髪洗わないとまずいか。ちゃんとお風呂入れてないし」

「匂うかな?」

「しょーがない、そういうもんだし」

「ん……洗い方教えて」


 体中で大きな変化が起こり続ける「性徴顕化」、昔だとTSと言われていた現象は、要するにものすごく急激な代謝だ。けっこう垢が出るので、体温が落ち着くまでもシャワーくらいは浴びるし、落ち着いたらすぐお風呂に入らなくてはならない。布団とシーツはまた洗うだろうし、枕カバーも取り換えることになりそうだ。


「頭皮の近くはちょっとわしゃわしゃするけど、こうやって梳いたり髪同士すりすりしたりして……量多めだから、わりと大変かな? いっしょに洗おう」

「ほんとにすりすりしてる……」


 比喩ではなく、ほんとうに髪を握ってこすり合わせている。思ったよりもシュールというか、こんなことをするとは思っていなかった。それなりに時間をかけて、ほんのりと飴色を帯びた髪は、こしのある感触と宝石めいた艶めきを持った。ちょっとだけべたつくように思えていたのは、事実だったようだ。


「うん。いい感じ」

「じゃあ、体だね」


 ただ細いだけだった腕は、すこしだけもっちりと肉が付いた。動物めいて何の感情も起こさせなかった脚も、真っ白くてむっちりしていて、少し太すぎる気はするけれど、自分のものとは思えないほど蠱惑的だった。マシュマロみたいに白くて丸くて、けれど先端を薄桃色で彩った胸も、沈み込むような柔らかさと押し返す弾力を両方持っていて、とても不思議だ。


 鏡で見るおなかは、少しは腹筋がそれらしく見えた前に比べると、ずいぶんぽよんとしていた。タオルでこする小さな音が、静かに耳に届いてくる。


「久々のお風呂だけど、やっぱりいいなぁ」

「うんうん。疲れてても暑い日でも、お風呂はいいよね」


 目を閉じてゆっくりできる時間は、思ったより少ない。湯船に体を沈めて、首までつかるのが大好きだった。それはたぶん、この体になっても変わらないのだろう。しっかり温まってから、二人で体を拭き合ってお風呂を出た。


「思ったより、胸当たるね」

「そりゃもう、こんだけおっきいんだし」


 腕の可動域がちょっと狭くなったな、とプラモデルかフィギュアみたいな感想が出てくるくらい、体の前面にある胸は大きい。前は見下ろせばおへそが見えたのに、今はちゃんと鏡を見ないと確認できない。そうでなくてもだけど、ベルトがある服を着るときなんかは、姿見が必須になりそうだ。


「あ、そうそう。これ、あたしが選んだやつ」

「え、っと……うん」


 シャツとズボンというふつうのチョイスに、下はおまかせにしていた。別におかしなものは出てこないだろうし、実際とくに変なものではないのだが――


 シャツとズボンの間に挟まれていたそれは、ふんわり柔らかな生地の、淡い水色の下着だった。青い糸で刺繍が入っていて、レースはカスタードクリームみたいな色で、とても愛らしい。これまで「肌着」と言い表せていたそれが、いよいよ退路を断って襲いかかってきたような感覚だった。


「いろいろ考えたんだよ? でもさ、あたしが持ってるやつって、わりと濃いめの色のが多くてさ? この肌に合う色ばっかだったから、ビビッドなんだよね」


 言いながら身に着けている下着は、大人っぽいブルーだった。


「カルヤに似合いそうなの、あんまり持ってなくて……ピンクとこっちだったら、どっちが抵抗なさそうかなーとか。あとさ、むかーしのお話も読んでみた。TSって言葉が空想だった時代のやつ」

「そんなのあるの?」

「ウェブ公開してたのを本にする形式、今でもあるでしょ? ウェブ版読んだ。ちょっと参考になんないかなーって思ったけど……」

「けど、……?」


 にまーっと笑った姉は、俺の胸の谷間の少し上にぷにっと触れた。


「慣らすとか配慮するとか、みんなあんまり考えてないんだね。だから、あたしもやっちゃうね? ほれほれー」

「わひゃいっ!?」


 ぽいんと突っついてから、ブラをくるっと胸に当てて「こうだよ」と鏡に映す。


「まずはお姉ちゃん色に染まれー。明日のお買い物も付き合うから、あたしの意見もとりあえず聞いてみて。カルヤの意見が出てきたら、それも反映するし」


 腕を通し、肩ひもを乗っけて、背中で留める。少しだけズレたおっぱいを整えて、ほんのわずかなプロセスで緊張が終わった。ちょっと頼りない気がするパンツにも足を通して、まるで人形の着せ替えのように、鏡の中に自分が見えた。触れた自分の胸が、しっとりとした肌の感触とたしかな弾力を返してくる。指に吸い付くようなそれは、間違いなく自分のものだった。


「俺なんだなぁ、……」

「そうだよ。生まれたときからこうなることは決まってたの」


 数奇な運命でも、神のいたずらでもない。呪いや魔術や突然変異でもなく、先天的に決まっていたことだ。遺伝子の中にある因子が発現して、突然大きな変化を迎えたように見える――根本的には、二次性徴と言われる変化と同じ仕組みであるはずだった。ほんの数日で終わったり、ほとんど別人にまで変化したりもするが、それでも……この五十年で常識になった、新しい人類のありかただった。


 ふわっとしたシャツを着て、ゆったりしたズボンをはいて、俺は少しだけ落ち着いた。


「今日からがんばれ、女の子」


 ドライヤーで髪を乾かしてもらいながら、うなずいた。

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