14話

 お風呂や夕食など所要がある時間帯は、とくに学生のログイン時間帯から外れるそうだ。こればかりは仕方がないし、家族を捨てるほどゲームに傾倒してもいない。


「ん……」

「あ、カルヤ。初日どうだったー?」

「ふつうにいい感じ。楽しかったよ」

「そっか。たまにえぐいクソゲー当てるから、大丈夫かなって思ったけど」


 バイザーとチョーカーを外して、ベッドのわきに置く。もう何百回繰り返したか分からない動作も、二の腕と胸の引っ掛かりでわずかばかり億劫に感じられた。体を起こすと目に入る脚も、白くてむっちりしていて、指を広げたり縮めたりしてみても、自分のものだという実感が薄い。


「クソゲーかぁ……サービス開始当日だと、ぜんぜん情報ないからなぁ」

「レビューサイトとか見て、びっくりしてること多いよね」

「だいたい扉くぐる前に分かるよ? そこを超えてもヤバいことあるけど」


 ホーム画面にあたる「NOVA」にある、それぞれのソフトウェアにアクセスする扉は、ある程度までゲーム自体のクオリティーを測る指標になる。ある程度まで美麗なのはいいが、何十人というクリエイターがそれぞれ凝りに凝ってモデリングした結果、既存のデバイスでは動かせないほど重くなったゲームもあるらしい。


 扉自体にほとんど手を加えないアセットフリップ(フリー素材を無加工で使った手抜き)なんかは論外だが、たまーに扉だけいい感じで中身がダメなパターンもある。面白くても速攻で飽きるゲームもあるし、法律違反で配信停止になるゲームもあった。「現実的な感覚を損なわせてはならない」というルールの違反……五感のひとつである味覚を搭載しない、食事システムを削除したゲームはそういうパターンだ。


「今回はまともそうかな。ちょっと課金圧強い気はするけど、なんとかなりそう」

「そっかー……」


 世界は作れるようになった。「ワールドシミュレーター」というソフトウェアが生まれてから、ゲームはあるひとつのブレイクスルーを終えた。ゲームを運営するのに使うお金は、サーバーの維持費やラーニング元への人件費が主で、「VRゲームのプログラマー」という職業はアマチュアかフリーランスの代名詞になった。


 世界を作れば、その中で動くべきシステムは決まる。聞いたこっちは名言だと思ったのに、言ったのは俺たちの父親で、プロゲーマーだった。クリエイター側じゃないんかい、と突っ込んだのも懐かしい思い出だ。そしてそこに、ノイズになるであろう課金要素なんかを入れ込むのが、現在の「ゲーム運営」のお仕事なのだそうだ。


「お風呂行こっか。服どうする?」

「ん、えっと……おまかせで?」

「わかったー」

「うん」


 ふわっとしたシャツとゆったりしたズボン、要するにルームウェアが出てきた。これならゲームもやりやすそうだな、なんて考えたところで「じゃあさ」と聞こえた。


「下着どうしたいとか、ある?」

「どうって、どう……そんなにバリエーションあるの?」

「わりとあるし、けっこう持ってるよ。弟に説明とかしなかったし、あれだけど」

「それはそっか」


 弟が妹になった、なんていうのもおかしな話だけど、自分の持っている服をあれこれ説明しないのは俺だって同じだった。本当に何も知らないので、こっちも姉に任せることにした。


「じゃあ、適当に考えとくね」

「ありがと」


 リビングに降りると、夕飯を作っている最中の、肉と玉ねぎの焦げる匂いがしていた。きっとハンバーグだ。


「エナにお願いするのね。よかった」

「母さん、いま料理してるし」


 さっと通り過ぎて脱衣所に入ると、急に服を脱ぐことがためらわれてきた。ゲームの中でも着流しで、今の服装でも体形はよくわかるのだが、これが現実だと刷り込まれていく感覚がどうにも怖かった。


「まだ慣れない? もう三日目なのに」

「不思議だよね。どこからどう見ても、もうぜんぶ女子なのに」


 性潜性児は、生まれた時点でどちらになるか決まっている。遺伝子検査をすればすぐに分かることだから、出生時に調べておくこともあるのだそうだ。外性器が極端に小さい子供もいて、そういった例と見分けるのが難しいのが最大の課題らしい。


「変わることの違和感ってさ、誰にでもあると思うよ。あたしもちょっとあったし、たぶん男の子にもあるんじゃない? 男の子、めっちゃ変わるし」


 言いながら、姉は服を脱ぐ。


「五歳のときからマッチョとか、聞いたことないし。ひげとか生えたり、声低くなったり。変わるのが一瞬じゃなくても、そういうの受け入れるタイムラグって、たぶん三日で終わんないよね」

「ん、それもそっか」


 姉は俺と比べるとかなり色黒で、あっちの方が俺の使っているキャラ「ザクロ」に近い。整ったプロポーションがあらわになって、余計に気後れする。


「おっぱいの重さとか、皮膚のすべすべとか、髪の毛の長さも。そんなに簡単じゃないよ。自分に触ったり、鏡見たりして、こういうものだって分かるのがいちばん」


 ほれ、と全裸の姉は俺のシャツをまくり上げた。


「あたしはできるだけ味方でいるつもり。でも、現実に近付けるようにもする。あたしのこの体だって、びっくりだったんだよ?」

「ほんとに? 自慢げだった気がするけど」


 鏡に映る少女が、シャツをするりと脱いで肌着だけになった。体温がちゃんと安定して変化が終わるまでは、とスポーツブラをつけていたけど、今日のお風呂上がりからふつうの下着になる。外したそれを洗濯槽に入れて、男物よりかなり薄く感じるパンツも脱いで、ほんとうに裸になった。


「入ろっか」


 こくりとうなずいて、俺は浴室の扉を開けた。

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