第70話
車はゆっくり田舎道を走り抜け、やがて市街地へと出た。平日の夜。帰宅ラッシュは過ぎたのか、車の流れは穏やかだった。車内には小さな音量で音楽がかかっている。流行の洋楽なのだろうか。流れる曲はどれも知らない。
サチはそっと運転席の瑞穂を見る。彼女は無表情に前を見て運転していた。アパートを出てから無言のままだ。
「あの、松池先生」
声をかけると彼女は一瞬、視線だけをサチに向けた。
「……えっと」
なんと聞けばいいのだろう。瑞穂はどこまでわかっているのだろう。サチの気持ちや今の状況を、どこまで……。もし何も知らないのだとしたら、そのままにしておきたい。
「知ってますよ」
迷っていると瑞穂が言った。サチは思わず彼女の顔を見つめる。瑞穂はさっきと変わらぬ表情で運転を続けながら「知ってます。先生が御影さんのこと好きだってこと」と続けた。
「――いつから知ってたんですか」
「んー」
瑞穂は考えるように唸ってから「先月、御影さんの様子を見に行ったときになんとなく」と答えた。
「それから、先生の誕生日パーティのときに確信しました。御影さんも先生のこと好きなんだなって」
「……そうですか」
「あんな顔でお互いを見てたら嫌でもわかっちゃいますよ。御影さん、先生の隣を死守してましたし」
瑞穂はフッと笑ってから「だから、我慢しようって思ってたのに」と呟いた。
「え?」
聞き返すと、瑞穂は「いえ」と笑みを浮かべた。そして広がる沈黙。
知らない曲が終わり、また別の知らない曲が始まった。対向車のヘッドライトに照らされたフロントガラスに水滴が落ちてくるのがわかった。
――また、雨だ。
小さな水滴がポツポツとフロントガラスに模様を作っていく。そしてそれを一気にワイパーが掻き消した。
「――高知さん、先生に何かしたんですか?」
ふいに瑞穂が低い声で言った。サチは、落ちては消えていく水滴を見つめながら「いえ」と答える。
「じゃあ、御影さんに何か?」
「それは……」
美桜を脅した、ということになるのだろうか。三奈は溢れてしまった自分の気持ちをさらけ出しただけ。それが悪いことになるのだろうか。
「すみません」
考えていると瑞穂が言った。
「話したくなければ聞きませんから」
そう言って瑞穂は「それより夕飯は何食べます?」と声のトーンを上げた。
「先生の好きなもの作りますよ」
「あ、いえ。わたしは大丈夫です。まだ胃が……」
「じゃあ、おかゆでも作ります。食べないっていうのが一番ダメですから」
「……ありがとうございます」
言うと瑞穂は「はい」と頷いた。彼女の横顔に浮かぶその笑みにどんな感情が込められているのか、サチにはわからなかった。
車が到着したのは五階建てマンションの駐車場だった。駅から近く、学校からもさほど遠くない立地で便利そうである。瑞穂の部屋は三階にある角部屋。
「どうぞ」
瑞穂はドアを開けて先に入り、電気を点けた。
「すごい。部屋、広いですね」
「これ、半分に分けて二部屋にもできるんですよ」
「へー、すごい。なんかオシャレな感じ」
サチは「すごい」という言葉を繰り返しながら部屋を見渡す。家具はシンプルでモノトーンに統一されていた。生活感がないわけではないが、綺麗に整理整頓されていて無駄なものがない。
「あまり見ないでください。恥ずかしいですから」
「あ、すみません。つい」
瑞穂は笑って「その辺に座っててください」と言うとキッチンに立った。
「すぐに晩酌の準備しますから」
「晩酌って……」
サチが思わず笑うと、瑞穂も笑って冷蔵庫からジュースを取り出してテーブルに置く。
「準備できるまでテレビでも見ててください」
「いえ、手伝いますよ」
「いいから」
瑞穂はサチの頬に触れて「まだ、少し顔色が悪いですから。大人しく待っててください」と微笑んだ。
頬に触れた瑞穂の手が温かく、しかし美桜の手の温かさとは違う。
サチは一歩、彼女から離れると「テレビ、見てますね」とテーブルの前に腰を下ろした。瑞穂はサチの頬に触れていた手を握ると、少し悲しそうな笑みを浮かべて頷いた。
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