第46話
しばらく二人はキッチンに座り込んだまま抱き合っていた。そうしていると、唐突にミナミが「よし!」と気合いを入れるような声を出してサチから離れた。そしてニッと笑みを浮かべる。
「明宮もさっさとシャワー浴びてきなよ。あ、なんなら風呂入れてもいいよ?」
彼女は言って立ち上がると「そんで」とサチを見下ろした。
「風呂から出たら、もう島村ミナミはいません」
意味がわからずサチは首を傾げる。するとミナミは腰に手を当てて「ここにいるのは柚原ミナミです」と言った。
「柚原さんの奥さん。柚原さんのママ。島村ミナミじゃないの。奥さんでママなの。わかった?」
サチはフッと笑って頷いた。
「わかった」
「よし。じゃあ、風呂行ってこい!」
サチの肩をバンッと叩いてミナミは畳の部屋へと移動する。
「しっかし、マジで何もないなぁ。テーブルなくて、どう生活してんの」
そんな声を聞きながらサチは浴室へと向かった。
さすがに今から風呂を入れる気にもなれず、シャワーで手早く済ませる。そうして浴室から出ると、ミナミはすでに布団を敷いてゴロゴロとリラックスしているところだった。
「あ、おかえり。早かったね」
「シャワーにしたから。まだ傷が痛いし」
「そっか。あ、腕の包帯、巻いてあげようか?」
「ううん、大丈夫。それより島村さ――」
「んー?」
ミナミはむくりと起き上がってサチを睨むように見てきた。
「ゆ、柚原さん?」
「うん。なに?」
サチは眉を寄せて「呼び辛いよ」と息を吐いた。
「あいつの顔がよぎる?」
「先生の顔? まあ、そうだね。先生、元気?」
「白髪と皺を気にしてる以外は元気。あいつ、もうすぐ四十なんだから多少の白髪と皺は年相応なのにね」
サチは苦笑する。そしてミナミが敷いた布団をぐいと引っ張った。
「これ、横向きにしないと」
「えー、なんで。いいじゃん、これで」
ミナミは言いながら再びゴロンと仰向けに寝転んだ。
「もう、ちょっと起きて。布団これしかないから。二人で寝るには狭いでしょ」
「美桜とは一緒に寝たくせに」
思わずサチは「なっ!」と高い声を上げた。
「まさか、聞いてたの……」
ミナミはニヤニヤと笑って頷いた。
「同じベッドで一夜を供にしたって言ってたね」
「その言い方、なんかやだ。あのときは布団にビール零しちゃって使えなかったから、だから」
「はいはい。一緒に寝ただけなんだよね。何もせず、ただ寝てただけなんでしょ。明宮はお子ちゃまだから」
サチはそのときのことを思い出すと「まあ、うん。そう」と頷いた。その反応にミナミは目を丸くして「え、何したの?」と身を乗り出してくる。
「何もしてない! ほら、起きて。布団横にするから。あとバスタオルも使ってないやつ、そこにあるから二枚とって」
「ちょ、わたし客でしょ?」
「親友でしょ」
サチが言うとミナミは驚いたように口を閉ざし、そして笑った。嬉しそうに。
横長の布団に二人並んで寝転び、暗い部屋の天井を見つめる。敷き布団からはみ出した足が畳に当たって、少し寝づらい。
「なんかさ」
ふいにミナミが言った。
「修学旅行みたいだね、これ」
「たしかに」
「あのとき布団は人数分あったのにこんな感じで寝てたの、なんでなんだろ」
「枕投げで布団がグシャグシャになってたからだと思うよ。一番暴れてたのは柚原さん」
「そだっけ」
ミナミとサチは笑い合うと再び沈黙が降りてきた。そしてそれを破ったのは、やはりミナミだ。
「美桜のさ、どこが好きなの」
「なにそれ」
「教えてよ」
「……わかんないよ」
「好きなのに?」
「柚原さんはわたしのどこが好きだったの?」
少しの沈黙。そして「わかんない」という答え。サチは思わず笑ってしまう。
「ね?」
「だな」
二人で息を吐くようにして笑う。
「ま、美桜はわたしもわりと気に入ったよ。ちょっと明宮に似てるし」
「似てる?」
「ほんとにちょっとね。雰囲気が」
「ふうん」
「ま、それはいいとして」
もぞりと布団が動いた。ミナミが体勢を変えたのだろう。
「瑞穂のことだけどさ」
「松池先生?」
「あいつ、あんなに天然とは思わなかったよ」
「うん。そうだね。わたしも最初びっくりした。学校ではすごくクールな感じだから。いつもキリッとしてて人を寄せつけないっていうか」
「でも、明宮には懐いてるよね」
「たぶん、プライベートで偶然会っちゃったからじゃないかな。素の状態の松池先生とホームセンターで遭遇しちゃって、それで仲良くなったの」
「ふうん」
何か含むような声だった。サチは不思議に思って「なに?」と訊ねる。
「いや、別に何でもない。気のせいかもしれないし」
「気になるんだけど」
「気にしないで。あ、そうだ」
ごそごそと布団が動く。そして右隣がぼんやり明るくなった。どうやらミナミがスマホを手にしたようだ。
「連絡先、教えてよ。もし何かあったら人生の大先輩である柚原ミナミさんが相談にのってあげるから」
「大先輩って、同い年じゃん」
「わたし、奥さんでママだぞ」
サチは笑ってスマホに手を伸ばす。そしてアカウントと電話番号を交換する。スマホの画面に照らされたミナミは嬉しそうに画面を見つめている。そして「ありがとう」と言った。
「何が?」
「あんな告白したのに、それでも友達だって言ってくれて」
「大親友なんでしょ?」
「……うん。大親友として、これからもよろしく。明宮」
「うん」
それきりミナミは口を閉ざした。
スマホを置いて再び暗闇にもどった室内。ぼんやりと真っ黒な天井を見つめているサチの隣で、微かに聞こえてきたのはミナミの寝息。
「――ありがとう、島村さん」
こんなポンコツな自分をずっと想っていてくれてありがとう。そして、これからも友達でいたいと思ってくれてありがとう。
ミナミはもぞりと動いたが何を言うでもなく、穏やかに寝息を立てていた。
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