第43話

「あー、呑んだっ!」


 夕食を終え、名残惜しそうな瑞穂を見送ってサチと美桜は酔っ払いと化したミナミを二人で抱えてサチの部屋へと運んでいた。


「先生、マジでこの人迷惑すぎない? 人のビール、ほんとに全部呑んじゃったし」


 酒臭さに顔をしかめながら美桜が言う。


「まあ、うん。そうだね」


 フォローする気にもならず、サチは苦笑した。


「よし。じゃあ、せーので」


 二人で息を合わせてミナミを畳の上に寝かせると、彼女は大の字になって気持ちよさそうに目を閉じた。


「まさか島村さんがこんなに酔っ払うと思わなかった」

「たしかに。お酒強そうなのに」

「ね」


 サチと美桜は互いに顔を見合わせて笑う。そして美桜は部屋を見渡しながら「布団、どうするんです?」と言った。


「んー。敷き布団を横にして二人で寝ればなんとか」

「掛け布団は?」

「それも横にして、足りない丈はバスタオルかな」

「……まあ、仕方ないですね。こないだみたいにわたしのベッドでもう一人寝るっていうのも手ですけど、この人とはちょっと勘弁です」

「わたしならいいんだ?」


 つい流れで聞いてしまった。サチは慌てて「あ、別に深い意味はないけど」とごまかす。しかし美桜は真顔でサチを見ると、ふわりと微笑んだ。


「先生ならいいですよ」

「そ、そうなんだ」


 頬が熱い。サチは美桜の視線を避けるように部屋の隅へ向かうと、そこに畳んで置きっ放しにしていたバスタオルを取ってミナミの身体にかけてやる。


「じゃあ、片付けしなくちゃね。御影さんの部屋、色々散らかしっぱなしだし」


 そう言って美桜を振り返った瞬間、ミナミがぐいっと腕を掴んできた。


「明宮、ちょ、気持ち悪……」

「え! ちょっと待って! ここではやめて。えっと、洗面器」


 慌てて浴室へ駆け込んでサチは洗面器をミナミに抱えさせる。彼女は身体を横向きにして丸くなってしまった。美桜はそんなミナミを呆れたように見ながら「先生は、この人の介抱してあげてください」と言った。


「一人にすると大惨事になりそうだし。片付けはやっときますから」


 美桜は言って玄関のドアを開ける。


「え、でも」

「代わりに明日の朝、ナナキの散歩付き合ってくださいね。六時、裏に集合で」


 笑みを浮かべて彼女は言う。サチは笑って頷いた。


「じゃ、おやすみなさい」

「うん。おやすみ」


 手を振って美桜の背中を見送る。そして玄関のドアが閉まった瞬間「ふうん」と背後で声がした。驚いて振り返ると、洗面器を抱えたミナミが座ってこちらを見ていた。


「し、島村さん。なに、大丈夫なの?」


 しかしミナミは答えず、閉まったドアを見つめている。そして座った目で言った。


「もう隠す気ないよね。あの子」

「え……」

「明宮には気持ち知られてもかまわないって態度だよ、あれ。さすがに瑞穂の前では抑えてた感じだけど」

「そうだった……?」


 サチは一度玄関を振り向いてからミナミの元へ戻る。そして彼女の背中をさすってやる。


「それで、気持ち悪いのは治ったの?」

「あー、まあ……」


 その反応にサチは眉を寄せた。酔ってはいるのだろう。しかし泥酔しているといった感じではない。彼女の表情はさっきまでと違って力がある。意識もしっかりしている様子だ。これは――。


「――お酒、弱くないんだ?」

「バレたか」


 いたずらがバレた子供のようにミナミは笑って肩をすくめた。サチはため息を吐く。


「もしかして自分が車で来てるのを忘れてたっていうのも嘘?」


 ミナミは答えず、ただ笑みを浮かべている。それはつまり嘘だったということなのだろう。


「なんでそんな」

「だって――」


 ミナミは言い淀んで顔を俯かせる。そしてサチの服の裾をそっと引っ張った。


「二人になりたかったから」


 か細く、心細そうな声だった。サチは言葉を出すことができずに俯く彼女の顔を見つめる。

 そのとき、ふいにこの光景に懐かしさを覚えた。前にもこういうことがあった気がする。ミナミがこんなふうに、まるで子供のように小さく見えたときが。あれはいつだっただろう。確か高校一年の……。

 考えているとミナミが顔を上げた。そして力なく笑う。


「明宮さ、好きでしょ。美桜のこと」

「え……」


 思わぬ言葉にサチは頬が引き攣るのを感じながら「な、なんで?」と問う。


「わかるよ。あんな顔で見てるんだもん。自分がどうしたいかわかんないって言っときながら、もう答え出てるじゃん」


 どんな顔で見ていたのだろう。サチは両手を自分の頬に当てた。ミナミはそんなサチを見ながら「ま、確かに美桜は良い子っぽいけどね」と呟くと、再び俯いてしまった。やはり様子がおかしい。サチはまだ服の裾を引っ張っているミナミの手にそっと触れる。


「島村さん。何か、あったの?」


 ぴくりとミナミの手が動いた。しかし彼女は答えない。俯いたまま、無言でしばらくそうしていると「なんで」とポツリと言った。


「なんで、わたしじゃダメだったの?」


 思わずサチはミナミに触れていた手を放した。するとミナミはハッと顔を上げるとヘラッと誤魔化すように笑った。


「ウソ。今のウソ。なんでもないから」


 彼女は早口でそう言うと、よっこいせと立ち上がる。そして「シャワー、借りていい?」と言った。


「え、あ、お風呂なら今から入れるけど」

「いや、シャワーでいいよ」

「そ、そう。あの、着替え。これ使って」


 混乱する思考の中でサチは洗濯しておいたルームウェアを彼女に渡す。


「サンキュー。じゃ、ちょっと借りるね」


 ミナミはそう言うと洗面器を持って浴室へと消えていく。

 パタンと閉じられたドアを見つめてサチは混乱する思考を落ち着かせようと、その場に座り込んだ。

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