第42話
サチが起こされたのは、それから二時間ほど経った頃だった。どうやらその間三人はサチの昔話を交えて親交を深めたらしく、少し仲良くなっていた。
「明宮、ちょっと聞いてよ。めっちゃ意外だったんだけどさ、瑞穂ってば料理できるんだよ。ぱっと見できそうにないのに」
「……それは、わざわざ明宮先生に報告するようなことですか」
「だって意外だったんだもん。な? 美桜」
「まあ、そうですね。松池先生、なんかちょっと不器用そうだし」
「御影さんまで……」
不服そうな表情を浮かべる瑞穂に、この部屋に来た時のような固さはない。どうやらすっかり二人には心を許しているようだった。いつの間にかミナミも瑞穂のことを呼び捨てにしている。やはり彼女のコミュニケーション能力の高さは侮れない。
「聞いてる? 明宮」
呼ばれてサチは「ああ、うん」と微笑んだ。
「なんか、わたしが居眠りしてる間に仲良くなったんだなぁと思って」
「先生、寂しくなった?」
美桜がニヤッと笑った。サチは「どうかな」と笑い、料理を運ぶのを手伝おうとテーブルに手をついて立ち上がろうとした。しかし瑞穂が慌てて「先生はそのままで」とサチの肩を軽く押して再び座らせる。
「え、でも運ぶくらいは」
「ダメです。先生は怪我人ですからね。今日くらいはみんなに甘えてください」
「そうそう。せっかく明宮の世話する人間が三人もいるんだから」
カシュッと小気味のいい音と供にミナミが言った。その音に反応したのは美桜だ。彼女は信じられないものでも見たように目を大きく見開いて「何を持ってるんですか」と低い声で言った。ミナミは「ん?」と美桜を見ると右手を軽く挙げる。
「ビール。冷蔵庫に入ってたぞ。不良だなぁ、美桜は」
「え! 御影さん、まさか飲酒を……」
瑞穂の慌てた声に美桜はため息を吐いて「違います」と答えた。
「これは祖母が残してたやつで」
「あれ、でもそれってこないだので最後だって言ってなかった?」
「こないだ? まさか、明宮先生と一緒に飲酒を――?」
口元に手を当てて驚いている瑞穂にサチは慌てて「ああ、違います」と手を振った。
「わたしが勝手に呑んだだけです。それで酔いつぶれて御影さんに迷惑を」
「酔いつぶれた……。明宮先生が?」
瑞穂は意外そうな表情を浮かべてサチをまじまじと見てくる。サチは苦笑して「お酒、弱くて」と答えた。そして美桜に視線で問う。彼女はサチから目を逸らして「まだ何本か、棚に残ってるの見つけて」と言った。
「先生、また呑むかなと思って冷やしてた」
「ああ、明宮用だったのか。それは悪いことしたな」
そう言いながらもミナミはまったく悪びれた様子もなく美味しそうにビールを呑んでいる。美桜はそんな彼女を恨みがましく見ていたが、やがて「もう、さっさとご飯食べましょう」と料理をテーブルへと運び始めた。
三人が作った料理は魚の煮付けと肉じゃが、そして味噌汁だった。久しぶりに食べる和食にサチのテンションは少し上がる。魚の煮付けはミナミが担当し、肉じゃがは瑞穂、そして味噌汁は美桜が担当したのだと彼女たちは楽しそうに説明してくれる。味付けに揉めたり、コンロの順番に揉めたりで時間がかかったらしい。
「まったく、人の家で好き勝手しすぎですよ。松池先生まで」
「ごめんなさい。ちょっと肉じゃがにはこだわりが強くて」
「こだわり強すぎです。肉じゃがでかなり時間をロスしたんですからね」
美桜が不満そうに言う。しかしその顔は明るく、楽しそうだ。サチはそんな彼女の顔を見つめながら味噌汁を飲む。
白味噌を使っているらしく、具だくさんで程よい味加減。肉じゃがも魚の煮付けもどれも美味しくて、サチは自分も料理を勉強しようと心に誓った。そのとき、隣でビールの缶を傾けるミナミの手が見えた。
そして大事なことを思い出す。
「島村さん」
「んー?」
「車だよね?」
ピタッとミナミの手が止まった。そして「そうだった」と呟く。美桜の冷たい視線がミナミを捉えた。
「なんでそれを忘れてるんですか」
「いや、あまりにも居心地がよかったもんで我が家のように思ってしまった」
「勝手に我が家にしないでください」
美桜の呆れた声。瑞穂は苦笑しながら「わたし、送って行きましょうか?」と提案する。しかしミナミは笑って片手を振った。
「いいよ。今日は明宮のとこに泊めてもらうから」
「え? うちに?」
「うん。明日の朝、車がないと困るんだよね。家からここまで取りに来るのは面倒だし」
「いや、そんな急に言われても布団だってないし」
「気にしないで。その辺で適当に寝るから」
「ええ……?」
サチは美桜に助けを求める。しかし美桜はふいとそっぽを向いてしまった。
「一晩中、この人と一緒なのはご免です。布団もないです」
「えぇー」
「島村さんが泊まるなら、わたしも一緒に――」
「瑞穂」
「はい?」
「あんた、明日も仕事でしょ? 同じ服で出勤っていうのは教師としてどうよ? 変な噂たっちゃうよ?」
「それは……」
瑞穂は悔しそうな表情で唇を噛んでいる。サチは不思議に思ってミナミの顔を見た。彼女の言い方がなんとなく気になったのだ。
まるで瑞穂にいてもらいたくないような、そんな気持ちが言葉の裏に見えた気がした。しかしミナミの表情に変化はない。少しからかうような笑顔を瑞穂に向けている。
しばらく悔しそうに考えていた瑞穂だったが「あっ!」と何か思いついたのか笑みを浮かべた。
「じゃ、明日の朝、明宮先生を迎えに来てもいいですか? 先生、車は学校に置きっ放しだし」
「ああ、それは助かります。是非お願いします」
願ってもない申し出だったのでサチは素直に了承する。瑞穂は嬉しそうに頷くと「御影さんも良かったら一緒に」と無邪気な笑みを美桜に向ける。しかし美桜は「いや、わたしはいいです」と嫌そうな顔で断った。
「先生の車で登校とか、ちょっと」
「あ、そっか。そうだよね。ごめんね。気が回らなくて」
「いえ」
「よっし、話がまとまったところで」
ミナミは力強い声で言うと立ち上がって冷蔵庫に向かっていく。そして「残ってるビール全部飲み干すぞー!」と二本目を開けた。美桜はもう止めることはなく、ただ呆れたようにミナミを見ているだけだった。
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