第40話
「……なにこれ」
ナナキの散歩から戻った美桜は、自室の様子を見てそう呟いた。テーブルの前にはサチと瑞穂が並んで座り、ミナミはキッチンで夕食の準備をしている。サチは苦笑しながら「おかえりなさい、御影さん」と、とりあえず声をかけた。
「なんで一人増えてるんですか」
美桜は眉を寄せて瑞穂を見ている。瑞穂は居心地悪そうに「お邪魔してます」と頭を下げた。
「あの、御影さんのお母様からここの住所を聞いて。ほら、御影さん、今日早退したでしょ? 色々あったし心配だったから様子を見に来たんだけど……」
瑞穂は言いながらもそわそわした様子で視線を泳がせていた。美桜はため息を吐いて、ミナミへと視線を移す。
「で、あなたは何をやってるんですか」
「んー? 夕飯作ってんの。けっこう食材いっぱいあったけど、これ一人で腐らせる前に使い切れんの? 魚まであったけど女子高生が魚焼いたりする? まったく想像できないけど」
「それは母が昨日来たとき、ついでに置いていったんです。魚は、まあ、たぶん食べない……。いや、そうじゃなくて。なんで夕飯作ってるんですか。あなた結婚してるんですよね? 家に帰って家族の夕飯作ってくださいよ」
「ああ、大丈夫。今日は旦那も娘も外泊だから。美桜って魚嫌いなの?」
美桜は深くため息を吐いて「別に嫌いじゃないです。料理が面倒なだけで」と答えた。そしてシューズボックス上の箱からドックフードを取り出した。
「とりあえずナナキにご飯あげてきます」
「うん。いってらっしゃい」
サチが手を振ると、美桜は呆れた表情で頷いてから再び外へ出て行った。
「……あの、明宮先生」
「はい?」
「その、御影さんとはどういう?」
瑞穂は言いにくそうな様子でサチを見た。この状況でごまかす意味はないだろう。サチは「わたし、土曜に隣の部屋に越してきたんです」と答えた。
「隣の?」
「はい。このアパートのオーナーが御影さんのお母様で」
「そうなんですか。ここの部屋を借りたのは偶然で?」
「えーと、まあ」
さすがにそこまで答える気にはなれず、サチは笑って誤魔化した。
「そっか。御影さんとお隣さん。あ、だからなんですね」
瑞穂は何か納得したように頷いた。
「今日、先生のクラスの子に聞いたんですけど昨日の御影さん、先生のことを庇ってるように見えたって。先生を庇うとか珍しいのにって言ってました。でも、お隣さんだから放っておけなかったんですね。ちょっとでも私生活見えると赤の他人って感じしなくなっちゃうし」
「そうですかね」
「あ、そうだ。先生、怪我はもう大丈夫なんですか? たんこぶ、昨日すごかったですけど」
「ああ、はい。それはもう全然……ってわけじゃないですけど、まあ、大丈夫です。普通に動けますし。あの、松池先生。今日はありがとうございました」
瑞穂は何に対する礼なのかわからなかった様子で首を傾げた。
「冴木くんのお母様と色々あったみたいで。さっき御影さんから聞いて」
「ああ、いえ。わたしは別に何も……。結局、何のお力にもなれなくて」
瑞穂は申し訳なさそうに身を小さくした。サチは「そんなことないです」と笑みを浮かべる。
「わたしの為に怒ってくれたんですよね。学校で松池先生が怒るなんて、全然想像できないですもん。嬉しかったです。ありがとうございます」
素直な気持ちを口に出すと瑞穂は頬を赤くして「いえ」と俯いてしまった。そのとき、キッチンから「おーい、明宮」とミナミが顔を出した。
「松池のこと口説いてんの? それ」
「なんでそうなるの。ちゃんとお礼を言いたかっただけでしょ」
「ふうん」
ミナミは頷いたが、何か含んだような表情で瑞穂を見ている。
「それより島村さん、松池先生と知り合いなの?」
そのとき美桜が戻ってきた。彼女は洗面所へ向かいながら「知り合いなんですか」とサチの質問に乗っかる。
「知り合いっていうか同級生だよ。小学校と中学校一緒だった。ね? 松池」
「……はい」
なぜか瑞穂は身を固くして頷くだけだ。まるで学校で見る彼女のよう、いや、それ以上に固い表情である。
「それって、幼なじみってやつじゃないんですか」
手を洗って戻ってきた美桜が言う。しかしミナミは包丁を持つ手を止めて「いや?」と首を傾げた。
「同じクラスになったこと一度もなかったしなぁ。たぶん。だよね?」
「ああ、そうですね」
「ふうん。明宮先生は大親友で、松池先生はただの同級生ですか。変なの」
美桜は不思議そうにしながらミナミの作業を眺め始めた。
「だって松池って有名だったけど友達いなかったしなぁ」
「有名?」
「そう。美人で有名。でも誰が話しかけても無言っていうか逃げるんだよ。それでなんか、ちょっと怖かったっていうか。あと噂もあったし――」
「やめてください!」
突然瑞穂が声を上げた。ミナミはきょとんとした表情を浮かべたが、「それだよ、それ」と苦笑する。
「自分の話題が出るとそういう反応するってんで、みんなちょっと引いちゃってたんだよな」
そういえば、瑞穂はいつだって自分の態度で相手が引いていないか気にしていた。何かあるんだろうかとサチは不思議に思う。
「松池って空手もやってたじゃん。しかもジュニアの県大会優勝。そりゃみんな怖いって――」
「島村さん」
サチが声をかけるとミナミは「ん?」と振り返った。そして瑞穂の様子を見て「あー……」と困惑したような表情を浮かべる。
「ごめん。なんか、よくわかんないけど気にしてたのか。ごめんな。わたし、そういうの気づかなくて」
「いえ。大丈夫です」
彼女は言うと立ち上がって玄関へ向かう。
「わたしは御影さんの様子を見に来ただけなので。何事もないようで良かったです。明宮先生も大丈夫そうで安心しました」
「いやいや、なに帰ろうとしてんの」
慌ててミナミが瑞穂の肩を掴む。瑞穂は彼女の手を振り解こうとしたが、すぐに怯えた表情で動きを止めた。ミナミの手には包丁が握られていたのだ。
「もう夕飯四人分で用意始めてんだからさ、食べて行きなよ」
「まず、その包丁を下ろした方がいいですよ。松池先生、恐怖で硬直してます」
「あ、悪い」
美桜の冷静な言葉にミナミはようやく自分が包丁を持っていることに気づいたらしい。そして瑞穂の肩から手を放す。
「でも――」
瑞穂は困ったようにサチを振り返った。サチは微笑んで手招きをする。
「せっかくだから食べて行ってください。というか、そうしないと島村さんしつこいから」
「いや、先生が決めないでよ。ここわたしの家だし。この食材だってわたしの――」
「でも、もう作っちゃってるし」
サチがミナミを指差して言う。美桜はサチからミナミ、そして瑞穂へと視線を移してから「ああ、もう」とため息を吐いた。
「さっさと食べて二人とも帰ってくださいね」
するとミナミがニヤリと笑う。
「その二人ってのは、わたしと松池のことかな?」
「そうですけど」
「ふうん。明宮はいいんだ?」
美桜は無表情にミナミを見つめると「先生はいいんです」と頷いた。ミナミはつまらなさそうに「そーですか」と呟く。
「じゃ、美桜も手伝ってよ。料理できるんでしょ?」
「はいはい」
ミナミと美桜は二人並んで料理を再開した。なんだかんだで気は合っているらしい。
そんな二人の後ろ姿を、瑞穂はクッションの上に正座して見つめていた。
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