第39話

 残されたミナミはスマホに何か打ち込んで「さて、と」と立ち上がった。そして使った食器をまとめてシンクへと運び、自然な動作で冷蔵庫を開ける。


「……何やってんの。島村さん」

「いや、夕飯作ろうかなと思って。喋り過ぎてお腹減ったし。一人暮らしにしてはけっこう入ってるなぁ。美桜ってば料理できる感じなの?」


 サチもキッチンへ向かう。


「まあ、料理はできそうな感じだけど。でも日曜までは冷蔵庫の中、こんなに入ってなかったよ。あ、野菜もいっぱいだ」


 一緒になって冷蔵庫を覗き込み、そして「いやいや」と我に返る。


「なんで夕飯作るの。え、島村さん。旦那さんと娘さんは?」

「あー、今日は二人とも実家の日だから」


 意味がわからずサチは「なに?」と首を傾げる。


「火曜日と金曜日は旦那の実家に二人で泊まる日なの」

「なにそれ」

「って思うよねぇ」


 ミナミは苦笑しながら冷蔵庫から食材を勝手に取り出していく。


「旦那はさ、一人息子なのね。で、真面目な家庭で真面目に育って教師になった。親としては良い相手を見つけて平々凡々な人生を歩んで欲しいと思っていたわけですよ、きっと。でも教え子とできちゃった婚でしょ。まあ、色々とあってさ。わたし向こうの親に嫌われてるわけ。何度も離婚しろって言われてさ。キツいの何の。明宮のお母さん以上にキッツいの。うちの敷居を跨ぐことは許さんとまで言われちゃって」

「そんなのひどい……」

「ま、大事に育てた一人息子が教え子とっていうのは世間体も良くないしね。気持ちはわかるよ。でもそれで離婚するっていうのはね。別に旦那のこと嫌いなわけじゃないし、変でしょ。旦那も頑張ってくれて。それで今の形に収まったの」

「今のって、週二でお泊まり?」

「うん。向こうの親もさ、わたしのことは嫌いでも孫のことは大好きだから。うちの子、めちゃくちゃ良い子で可愛いからね。わたしに似て」


 最後の一言にミナミは力を込めた。そして続ける。


「孫と息子と過ごす時間を多くすれば、ちょっとはわたしへの態度も軟化するだろうと思ってさ。ま、多少の効果はある感じ」


 笑いながら言うミナミにサチはなんと声をかけたらいいのかわからず、黙って彼女の横顔を見つめていた。ミナミは手際良く料理の準備を進めながら「娘を利用してるみたいで悪いって気持ちもあるんだけどね」と続けた。


「離婚もわたしは別に構わないって思ったりもしたんだけど、やっぱり娘のこと考えるとさ。当たり前にいた人が突然自分の前からいなくなるのは寂しいから」

「島村さんのご両親は、先生との結婚に反対とかしなかったの?」


 訊ねるとミナミは驚いたように目を見開いて「ああ、まあね」と頷いた。


「うち、父親はもういないし」

「あ、そうなんだ……」


 ミナミは寂しそうに「そうだよ」と笑った。そして小声で「やっぱ覚えてないか」と呟く。サチは「何が?」と首を傾げた。


「いや、何でも」


 ミナミはニッと笑って「母親は一緒に暮らしてるから別に問題ないかな」と言った。


「そのことも向こうの親からしたら気に入らないみたいだけど。うちの母親、わたしと同じような性格だから相性悪いみたい」

「そっか」


 そのとき、インターホンが鳴った。サチとミナミは思わず顔を見合わせる。


「美桜、もう散歩から帰ったの?」

「いや、でも自分の家なんだからインターホン鳴らさないでしょ」

「だよね。明宮、出てよ」

「うん」


 頷きながら玄関のドアを開ける。


「あ、お忙しい時間に申し訳ありません。私――」


 玄関の向こうに立っていた人物はそこまで言って目を大きく見開き、動きを止めてしまった。それはサチも同じだった。


「え……」

「え……?」


 お互いに顔を見つめて固まる。そこに立っていたのは、瑞穂だった。彼女は「え、あれ? なんでここに明宮先生が。え、幻覚?」と震える声で言った。そしてバッグから手帳を取り出して慌てた様子でページをめくっていく。


「住所間違った? いや、合ってる。合ってるよね。うん、合ってる」


 何度も頷き、そして瑞穂はサチへと視線を向けた。


「あの、こちらは御影さんのご自宅では?」

「あ、そうです」


 サチは素直に頷く。瑞穂も一緒になって頷き、そして眉を寄せて考え始めた。やがて「ああ、なるほど」と頷く。


「明宮先生も御影さんを心配して来られたんですね。さすがですね、明宮先生」


 瑞穂は安堵の表情を浮かべて笑みを浮かべている。そのときサチの後ろから「明宮ー」とミナミが顔を出した。


「誰が来たの? って、あれ?」


 ミナミは瑞穂を見ると妙な声を上げた。


「松池……? うっそ、さっき話に出てた松池って、あの松池だったの?」


 サチと瑞穂は同時にミナミへ視線を向ける。そして瑞穂が「ウソ……」と絶望的な声を出して再び動きを止めてしまった。

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