第38話

「それで、どんな感じだったんですか。高校時代の先生は」


 姿勢は正したまま美桜が聞く。ミナミはニヤリと笑って「そうだなー」と視線を上向かせた。


「高校時代の明宮は、とにかく愛想がなかったね」


 何か思い出したのか、彼女は深く頷きながらそう言った。


「愛想がない? 先生が?」


 美桜がサチを見てくる。しかしサチ自身そんな覚えはないので首を傾げるしかない。


「そうだっけ」

「そうだよ。明宮とわたしさ、一年の最初の席が隣だったじゃん?」

「そうだっけ……」

「なんだよ、それも覚えてないの? ショック。じゃ、わたしとの最初の会話も覚えてないだろ」


 ミナミの言うとおり、覚えていなかった。サチが笑って誤魔化すと彼女はため息を吐いた。


「入学式のあと教室で先生を待ってるときにさ、社交的なわたしは君に自己紹介したわけですよ。わたしは島村ミナミ、よろしくねって。そしたら明宮、なんて言ったと思う?」


 ミナミは美桜を見る。


「普通に自己紹介したんじゃ?」


 しかしミナミは首を左右に振ると、サチを指さして言った。


「この明宮はさ、にこりともせずにどうもって言ったんだ。それだけだよ。信じられる? 高校一年の初日にさ」

「それは、なかなかですね」


 美桜はなぜか感心したように頷いた。


「でしょ? 初日だから緊張してんのかなって思ったけど、何日経ってもそんななの。表情がほっとんど変わらなくてさ」

「それ、孤立まっしぐらじゃないですか」

「そうなんだよ、その通り! 普通、高校生活をぼっちで過ごすってのはキツいじゃん? なのに、だ。明宮は全然平気って感じで休まず学校に来て一日中席に座ったまま誰とも話さず、まっすぐ前を見てたんだ」


 一度だって俯いてなかった、とミナミは思い出すように言った。


「へえ。でも、あなたは友達になったんですよね?」

「そりゃそうでしょ」

「……今の流れで、それが当然ってなるのはイマイチ理解できませんけど」

「だって面白そうだったんだもん」


 美桜は眉を寄せた。


「いなかったんだよね、今までわたしの友達に明宮みたいなタイプ。だから面白い子がいるなぁって。最初はそれでしつこく絡んでいったの」

「――面白がられてたんだ」


 思わず呟くと、ミナミは満面の笑みで頷いた。


「まあ、実際にもっと明宮と仲良くなりたいって思ったのは、あのときからだけど――」

「あのときって?」


 サチが聞くと、ミナミは「それは」と言いかけてからサチを見つめてきた。


「明宮が思い出してよ」

「えー」


 サチは腕を組んで思い出そうとするが、まったく心当たりがない。


「何かイベント的なこと? 体育祭とか、文化祭とか」

「いや、まったく特別なことじゃない。でも、わたしには特別だったからなぁ。忘れられててショックだなぁ」


 そう言われると忘れてしまっている自分が悪いような気がしてサチは大人しく記憶を探ることにした。しかし、やはり高校時代の記憶はあやふやだ。思い出すのは、なぜかいつも近くにミナミがいたということだけ。

 気づけば昼休憩すらミナミと過ごしていた。いつからだっただろう。彼女が他の友人たちの誘いを断ってまでサチの近くにいるようになったのは。

 考えているとミナミは「明宮は」と話を続ける。


「愛想は壊滅的になかったけど、別に相手を拒絶してるわけでもなかったじゃん? 明宮のこと嫌ってる奴とかいなかったし。コミュニケーションは下手だったけど相手との距離は近すぎず遠すぎずで上手くとってて、世渡り上手だなって思った。まあ、実際に明宮のことよく知ってみると、ただの不器用な奴だったってことがわかったけど」

「ああ、わたしもそれは思いました」


 美桜が少し微笑んで頷いた。


「お? 学校での明宮先生はやっぱり愛想がない?」

「いえ。普通に愛想振りまいてますよ。適度に笑って適度に生徒と関わって、先生らしくアドバイスしたりして。何事も適度に。先生も他の大人たちみたいに表面だけ相手のこと考えてる振りをしてるんだろうって、そう思ってた」

「……でも、違ったわけだ」


 ミナミが微笑みながら言う。美桜は答えるべきかどうか迷っている様子だったが、やがて「はい」と柔らかく微笑んで頷いた。


「ふうん。そっかそっか」


 ミナミはテーブルに頬杖をつきながら美桜のことを見つめている。まるで我が子を見守る母親のような笑みで。


「でもさ、やっぱり高校時代っていうのは文化祭やら修学旅行やら、ぼっちだとキツいイベント多いじゃん?」

「多いですね」


 素直に頷く美桜。ミナミはちらりとサチを見てから「どうやって明宮がその苦難を乗り切ったのか、聞きたくないかい?」と言った。美桜は再び姿勢を正し、真顔で「聞きたいです」と頷く。


「いいだろう。話してあげよう」


 こうして再びミナミの思い出話が始まった。それを聞きながらサチの記憶も蘇ってくる。

 イベント事があるたびに、いつのまにかサチはミナミのグループに入っていたこと。ミナミは他の友人たちと一緒に行動していたはずなのに、いつの間にかサチと二人きりになっていたこともあった。修学旅行のときは好きな者同士で班をつくれという先生の言葉に、どうしようかと迷っていると自然とミナミが手を引っ張ってくれた。


 ――ああ、そうか。


 サチは思わず微笑む。高校時代のサチの記憶にはミナミしかいない。会話をした記憶も、お弁当を一緒に食べた記憶も、一緒に遊びに行ったのも、全部そこにはミナミがいたのだ。彼女がいたから自分は高校時代を平穏無事に送ることができていたのだろう。

 サチは自分がコミュ症だと思ってはいなかったが、きっと周囲から見ればそうだったに違いない。あの頃は、とくに母からの締め付けがキツい時期だったのだ。

 第一志望校に入れなかったサチに対して母の態度はそれまで以上に厳しくなっていた。だから友人などいらないと思っていた。どうせ母が何か言ってくるに決まっているから。それで相手に不愉快な思いをさせるのが嫌だった。自分の友人を悪く言われるのが嫌だった。だから高校では大人しく一人で過ごそう。そう思っていた。しかし、そこにはミナミがいた。

 彼女はいつだって笑顔で誰とでも仲が良くて、常にそこには温かな輪が出来ていた。彼女はその輪の中にサチを入れてくれたのだ。決して無理矢理ではなく自然に。サチに負担がかからないように、ただそこにいればいいとでも言うように。


 ――こうしてれば寂しくないでしょ? わたしもこれで寂しくない。


 ふいに記憶の中で聞こえたミナミの声。あれは、初めてミナミと一緒に昼食を食べたときのこと。彼女はそう言って笑ったのだ。楽しそうに。今、隣で笑っているような温かな笑顔で。

 そのとき、パッと脳裏に別の記憶が蘇った。それは寂しそうなミナミの背中だった。そして雨に打たれながら震える、細い肩……。


「え……」


 思わず声が出てしまった。ミナミが怪訝そうに「どした?」とサチの顔を覗き込んでくる。サチは慌てて首を横に振った。


「ううん、なんでも。あ、もうこんな時間だよ」


 サチはスマホで時間を確認して言う。お喋りに夢中になっていて時間を忘れていたが、時刻はすでに十八時を回っていた。


「やば。ナナキ、散歩行かなきゃ」

「ナナキ? なに?」

「犬ですよ。うちで飼ってる」

「あ、わたしも一緒に」


 立ち上がりかけたサチに美桜は「ダメです」と言った。


「忘れてるかもしれませんが、先生は今日は安静にして休む日なんです。今日はわたしだけで行きますから」


 強い口調で言われてサチは「わかった」と大人しく座り直した。美桜は頷くと視線をミナミへと移す。


「あなたはもう帰ってもらって大丈夫ですけど」

「なんだ、その言い方は。明宮の若かりし頃のエピソードを存分に聞かせてやった恩が感じられない」

「はいはい。ありがとうございました」


 そのとき、ワンッとナナキの力強い声が聞こえた。


「ああ、なんかめずらしく声張って吠えてる。ちょっと行ってきます」


 美桜は慌てた様子で散歩へ行ってしまった。

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