第37話
「へー、なに。けっこう室内新しいじゃん。外観古いのに。リフォームしてんだ?」
美桜の部屋をくまなく見て回りながらミナミが言った。美桜はコーヒーを淹れながら嫌そうに顔をしかめている。
「先生、あの人どうにかしてくださいよ」
「んー、無理かなぁ」
サチは苦笑する。
「友達なんでしょ?」
「そうだけど。島村さんは昔からあんな感じで、自由だから」
「自由と礼儀知らずって紙一重ですよね」
「なんだよ、いいじゃん。見られて困るものでもあるわけ?」
浴室を覗きながらミナミは言う。美桜は「そういう問題じゃないです」と不機嫌そうな口調で言った。
「まったく……。コーヒー、もうできますよ」
「お、サンキュー」
ようやく気が済んだのか、ミナミは戻ってきてサチの隣に腰を下ろした。
「さあ。じゃ、食べようか」
美桜がコーヒーと皿、フォークをテーブルに並べるのを待ってからミナミはスイーツの箱を開ける。そして間髪入れずに「わたしはこれ」と自分の分を取った。
「え、待って。これ、わたしへの手土産ってことじゃなかったですか」
「そうだよ?」
何を言っているのだと言わんばかりの顔でミナミは美桜を見ている。美桜はしばらく彼女を見つめると「この人、ほんとに何なんですか」とサチへ視線を移して真顔で言った。
「んー、まあ、こういう人だから」
「先生、なんかこの人に甘くないですか?」
「そう?」
「つうか、この人じゃないってば。ミナミ。あー、ミナミさんって呼んでくれてもいいけど?」
ミナミはすでにフォークを持って食べ始めていた。彼女が選んだのは季節のフルーツがたくさん使われたタルトだ。
「……この人に早く帰ってもらうにはどうしたらいいですか」
「じゃあ早く食べてしまおう。御影さん、どっちがいい?」
サチは箱を大きく開いて美桜に見せる。残っているのはロールケーキかショートケーキ。どちらもフルーツがたくさん使われているが、その種類が違う。美桜は少し迷う素振りを見せて「先生はどっちがいいの」と言った。
「わたしはどっちでもいいから、御影さん選んで」
「んー」
意外にも美桜は迷っていた。こういうことには悩まない性格だと思っていたが、どうやら違ったらしい。なかなか決められない美桜に業を煮やしたのか、ミナミが「じゃ、美桜はこれね」と勝手にロールケーキを美桜の皿に運んだ。
「で、明宮はこっち」
サチの皿にはショートケーキが置かれた。サチと美桜はまったく同じ表情でミナミを見つめていた。しかし彼女は「ん、なに?」と不思議そうにタルトを口に運んでいる。
「……そういえば、御影さん」
気を取り直してサチは「どうなったの? 冴木くんとは」と聞いた。
「松池先生からは、お互いに謝って一件落着したって聞いてるけど」
美桜は頷く。
「そうですよ。なんか向こうの親は不服そうでしたけど。お互いにごめんなさいって謝って、冴木は転校。もう金輪際会うことはない。一件落着」
「明宮に怪我させた生徒? そいつ、明宮には謝ったの?」
ミナミの言葉に美桜は眉間に皺を寄せて「謝る気はなさそうでしたよ」と低い声で言った。
「治療費出すからそれでいいでしょって、あの母親マジで最悪です。冴木は母親の言いなり。最後に二人とも殴ってやろうかと思った」
「ちょ、御影さん?」
「冗談ですよ。わたしだって連日で説教されたくないですし」
しかし美桜の表情を見ると、その言葉が冗談とは思えない。サチは「わたしは大丈夫だからね。本当に」と彼女を宥める。
「先生はよくても、わたしの気が収まらないっていうか。それに松池先生だって相当ムカついてたみたいですよ」
美桜はコーヒーを一口飲んでから「すっごい怒ってたから」と続けた。
「松池先生が?」
「はい。あの人、身長もあるし綺麗だから怒るとけっこう圧がありますよね。あの母親、ちょっとビビってましたもん」
美桜はそのときの事を思い出したのか、ニヤリと笑った。
「まあ、校長に止められて、結局は先生に謝らせることはできなかったんですけど。代わりに治療費は出すって事になったみたいです」
「そうなんだ……」
あの瑞穂がそんなに怒っている様子が想像できない。明日会ったら礼を言おう。そう思っていると、ミナミが「なんか、大変だねぇ」としみじみとした口調で言った。
気づくと、ミナミはすでにタルトを食べ終えていた。ゆっくりとコーヒーを飲みながらサチと美桜を見比べている。
「でも明宮、ちゃんと先生してんだね。他の先生とも普通にコミュニケーションとれてんだ」
「……島村さんの中で、わたしはどれだけコミュ症なの」
「かなり」
ミナミは即答した。そしてフッと思い出したように笑う。
「もしかして明宮、高校の頃のことあんまり覚えてない感じ?」
「え、何かあったっけ?」
「何もなかった」
サチは眉を寄せてミナミを見る。彼女はマグカップを両手で持って「明宮はさ、本当に何もなかったよ」と呟くように言った。
「――どんな感じだったんですか? 高校時代の先生って」
ふいに聞こえた声に視線を移すと、美桜がなぜか姿勢を正してミナミを見つめていた。
「お? 聞きたい?」
ミナミはニヤッと笑って美桜に問う。美桜は一瞬嫌そうな表情を浮かべたが、すぐに「まあ」と頷いた。
「あなたに聞くのは不本意ですが先生に聞いても話してくれそうにないので」
「いや、御影さん? 別に面白い話は何もないと――」
「じゃあ、話してあげよう」
サチの言葉を遮ってミナミは言う。
「高校三年間同じクラスだった大親友のわたしが語るさっちゃんとの思い出を」
「いや、島村さん。なにその語り口調。そんな思い出とか別にないでしょ。あと、さっちゃんはやめて」
しかし、なぜか美桜は興味津々といった様子で頷くと、少し身を乗り出して聞く体勢に入った。
「あの、御影さん? だから別に面白い話とかは何も」
「先生、ちょっと黙って」
なぜか怒られてしまった。どうやらもう彼女たちの気が済むまで好きにさせるしかないようだ。別に話されて困るようなことはない。
本当に、たいした出来事もない高校時代だったのだから。
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