第36話
「ふうん。こんなとこにアパートあったんだね。わたしがいた頃にはなかった気がするな」
駐車場に車を停めながらミナミは呟くように言った。彼女はエンジンを切ると「明宮の部屋、どこ?」と車から降りながら言った。
「一階の、左の部屋だよ」
サチも手土産が入った袋を持って助手席から降りながら答える。そのとき美桜の部屋のドアが開いた。真澄が来ているのだろうか。そう思ったが、出てきたのは美桜本人だった。
私服姿の彼女は怪訝そうにミナミとサチを見比べて「先生、どこ行ってたの」と近づいてきた。
「え、御影さんこそ学校は? まだ授業中だよね?」
「体調不良で早退した」
「体調不良って……」
サチは美桜の顔を見つめる。昨日のように顔色が悪いわけでもない。目に力もあるし、表情も口調も普段の美桜と変わりない。どう見ても元気そうである。
「サボったの?」
しかし美桜は「そんなことより」と腕を組んでサチを睨んできた。
「怪我人がどこ行ってたんですか」
「あ、これを取りに」
サチはバッグから市役所の封筒を取り出して美桜に渡す。彼女はその中を見て「住民票?」と眉を寄せた。
「そう。お母さんに渡しておいてくれる?」
美桜は深いため息を吐くと「こんなの、いつでもよかったのに」と呟いた。
「そうなんだけど、平日なら待ち時間も少ないかなって。家に一人でいても暇だったし。怪我も別にたいしたことないから」
「まったく……」
美桜は再びため息を吐くと「で?」とサチの後ろへと視線を向けた。
「あそこでニヤつきながらこっち見てる人は誰ですか」
サチはハッと我に返って振り向く。そこにはパーカーのポケットに両手を入れてニヤニヤしながらこちらを見ているミナミの姿があった。
「あ、あのね。彼女は島村さんって言ってわたしの――」
「さっちゃんの高校時代からの親友、柚原ミナミでーす」
サチの言葉を遮ってミナミはそう言うと、ガッとサチの肩に腕を回して背中から抱きついてきた。驚いたサチは慌てて「ちょっと島村さん!」と彼女の手を振り解こうとする。しかしミナミの力は思ったよりも強く、さらに怪我が痛んで抵抗できない。
「島村? 柚原?」
美桜が困惑した表情で呟く。
「ああ、島村は旧姓。今は柚原なの。よろしくねー、御影ちゃん?」
美桜は無表情に「どうも」とミナミを見ている。いつも学校で見ているような表情。いや、それよりも冷たい表情だ。ミナミはそんな美桜の様子を見て、さらにニヤつきを深めた。
「ちょっと島村さん、離れてってば。痛いから」
「お? あー、そっか。さっちゃん怪我してたっけ。ごめんごめん」
悪びれた様子もなく、ミナミはパッと手を離した。サチは息を吐いて左腕を押さえながらミナミを睨む。
「さっちゃんはやめてって高校の頃も言ったよね?」
するとミナミは小さく舌打ちをした。
「覚えてたか」
「それに高校からの親友って……」
「わたしはそう思ってるよ?」
何でもないことのように言ってミナミは笑みを浮かべた。サチはそんな彼女の笑顔を複雑な気持ちで見返す。
さっき、車の中でサチは言ったのだ。友達らしい友達はいなかった、と。それなのに彼女はサチのことを親友だと言う。本気なのか、冗談なのかわからない。彼女の言動はいつもそうだった。
「で、先生」
ふいに聞こえた美桜の声にサチは彼女へ視線を移す。
「先生は安静にしなくちゃいけない日に高校時代の友達と遊んでたってことでいい?」
トゲのある口調。彼女は不愉快そうにミナミを見てからサチへと視線を移した。サチは慌てて「いや、違うよ?」と否定する。
「住民票取りに市役所行ったら偶然にも島村さんと会って、それで――」
「御影ちゃんに会いに来たわけだ」
「いや、話飛びすぎててまったくわかんないし。てか、馴れ馴れしいです」
「御影ちゃん、可愛いよね。学校でモテるでしょ」
「人の話聞いてます?」
「何ちゃんっていうの? 下の名前」
しかし美桜は答えずにふいとそっぽを向く。するとミナミが「何ちゃん?」とサチへと視線を向けてきた。
「美桜ちゃん」
「先生!」
瞬間、美桜が怒った顔でサチを睨んできた。その顔が少し赤い。ミナミは「へえ、美桜ちゃんか。なるほど、名前も可愛いね」と満足そうに頷く。
「で、美桜はさ、スイーツ好き?」
「いや、いきなり呼び捨てとか距離感おかしくないですか」
「美味しいの買ってきたんだ。一緒に食べようよ。明宮の部屋でさ」
「あ、でもわたしの部屋、まだテーブルないから」
サチが言うとミナミは「は? マジ?」と目を見開いた。
「じゃあ、しょうがない。美桜の部屋でいいよ。コーヒーか紅茶淹れてくれる?」
「……馴れ馴れしい上に図々しい」
美桜は心底嫌そうな顔で「先生?」とサチを見てくる。サチは苦笑しながら「お願いします」と頭を下げた。すると彼女は深くため息を吐いて「しょうがないなぁ」と部屋に戻っていく。その背中を見ながらサチは微笑む。
大丈夫だ。いつも通り話せている。お互い何も意識することなく自然に話せている。それはきっとミナミがいるおかげだ。
もしかすると彼女はサチと美桜が気まずくならないようにと気を遣って来てくれたのかもしれない。
そう思ってミナミへ視線を向けると、彼女は笑いを堪えたような顔でサチのことを見ていた。
「なに、その顔」
思わず訊ねると彼女は「いや、だってさ」ともはや笑いを堪えきれなくなったのか、声を上げて笑い始めた。
「やっぱ明宮が先生って、ちょっと無理がない? あの明宮が先生ってさぁ。実際にそう呼ばれてるの聞くとめっちゃ違和感」
サチはムーッとミナミを睨む。
「一応、担任やってますけど」
「うっそ、マジで? 明宮、ちゃんと授業とか出来てんの? でっかい声出てる? ねえ美桜、明宮の声ちゃんと教室中に届いてる? 生徒とコミュニケーションとれてる?」
「知りません」
美桜は振り返りもせずに言って部屋に戻ってしまった。
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