第三十九話 山田オリガくん、彼女を慰める




 ナターシャの髪から姿を現したにょろにょろ。

 兄オリガの髪にする大蛇の中である意味一番恐ろしい閻魔頭ヤマガシラが牙を突き立てた瞬間に、ヒナは手提げバックの中から千羽鶴のようにまとめられた式神を一斉に放出して、その光景を周囲の視界から隠した。まるで白い花吹雪にも見えるいくつもの式神が乱舞する。


「お、おい、カメラが急に壊れて……」

「どうなってるんだよ?!」


 そしてこれは八岐大蛇の祟りだ。

 強大な神威がうごめきだした影響で、機械が一時的に不調を起こし始めている。


「わ、うわぁー!!」


 そして……ナターシャは自分の髪から生えているにょろにょろが、ぐわりと口蓋を開き、毒牙を撃ち込まれた坂浦長官を丸呑みにしようとする光景に凍り付いた。頭から食らいつき、一気に相手の腹のあたりまで飲み込んでいく。

 そのままにょろにょろは頭を持ち上げて、重力の力で坂浦長官を丸呑みしようとしていた。じたばたと暴れる犠牲者の両足が、彼の聞こえない恐怖の絶叫を想像させて寒気が走る。


 もしこれが、蛇が餌を丸呑みしようと重力を利用しようとしているだけならナターシャも『わー、かしこいねー♪』と手を叩いて喜んだだろう。

 だがさすがに自分の髪が人を殺すという事実は耐え難く……反射的にあの『櫛』を取りだし、にょろにょろを漉いて解いた。一瞬で髪にほどけ、中から坂浦長官が転げ落ちる。


「は、はっ、はっ……た、たすか……?」


 生きたまま大蛇に丸呑みにされ、全身の骨を砕かれ消化されるなんて最後は、数ある死因の中でも最悪の一つだろう。九死に一生を得た坂浦長官は呆然としていた。

 にょろにょろは丸呑みしようとした坂浦長官が自由になった様子に不思議そうに首を捻り、ナターシャへと顔を寄せた。


『たべたほうがよくない?』

「……控えてくれると……助かるよ」

『あいよー』


 坂浦長官を丸呑みすることにそれほどこだわりはないのか、大人しくナターシャの髪の中へと引っ込んでいくにょろにょろ。

 ナターシャは坂浦長官を……かつては義父だった男を見下ろした。

 見れば彼の腕はどす黒く変色している。原因は明らかで、彼の腕に打ち込まれたにょろにょろの毒牙のせいだろう。相当の苦痛に苛まれているのか、坂浦長官は脂汗を流しながら呻いて叫んだ。


「……は、速く治せ! わしは容疑者なんだろう……死なせる訳にいかんはずだ……!」

「いいデスよ。贖罪の前に命を落とすのは神もお望ミ、チガイマス」


 シスターテレジアが手を翻し、治療の魔術を行使する。毒も同時に浄化する高位のものなのだと周りにも理解できた。

 が……シスターはそこで手を止める。牙による怪我は治したが、彼の肉体を犯す猛毒の効果はなおも健在だ。全身の激痛がいよいよ耐え難い様子の坂浦長官は青ざめて叫ぶ。


「なぜ、治さん……!!」

「NO、これ治さないが良いデスし、そもそも強すぎて治せませン」


 そこで兄オリガと一緒にヒナが近づき……苦悶に震える坂浦長官に言い放った。


「あんたはもうおしまいよ、長官」

「……なに?」

「……お兄ちゃんの髪に住まう大蛇。あたしたち新陰陽寮はいざという時の備えを施した。

 出自は不明だけど八岐大蛇は毒を持っているっていう伝承もあるの。

 それが、我々が改造した閻魔頭ヤマガシラよ」

「そうなんですか」

『そうなん?』


 当人の山田オリガは、ナターシャの髪から顔を出しているにょろにょろに不思議そうに尋ねるけれど、当人である閻魔頭ヤマガシラは不思議そうな顔をしているだけだった。そんなことよりピンチを救ったということでオリガの髪にいる他の兄弟が顔を出し『ないす』『おおてがら』『これは酒樽は固い』などと顔を寄せ合って話している。


「い……いいから毒を、毒を……ぎゃあああぁぁぁぁ、い、痛い! なんとかしてくれぇぇぇ!!」


 坂浦長官はいよいよ全身に猛毒が回り苦悶に絶叫している。会場の医務室から担架を抱えた医療スタッフがやってくるが……世界でも有数の聖女、シスターテレジアでさえ手に負えない毒だ。たぶん無駄に終わるだろう。

 ヒナは、ため息を吐く。


「その毒の名は『閻魔血毒ヤーマブラッド

 八岐大蛇の『毒』をつかさどる頭にヤシオリの酒と、そこにある種の毒水……冷酷無慈悲な悪人の命ごいの血と涙を与え続けることによって生まれた『善人非殺、悪人必殺』の猛毒よ。本来は『八岐大蛇が人を喰うならせめて誰も心が痛まない大悪人にしてくれ』という望みの副産物なんだけどね」

「解毒剤をくれぇぇっ……!!」

「あるわよ」

「早く……!」

閻魔血毒ヤーマブラッドの解毒法はただ一つ。

 自分がしでかした罪をすべて自白し、公共機関で罰を受け、すべての罪が許され贖罪が終わることよ」


 は……と大きく目を見開いた坂浦長官。

 この閻魔血毒ヤーマブラッドを浴びた人は大悪人ですべての罪を自白し尽くしつくすまでは何日、何週間もかかるだろう。そのあいだずっと全身を耐え難い激痛が駆け巡る。これがずっと贖罪が終わるまで……? 坂浦長官が叫ぶ。


「なら、せめて殺してくれぇぇっ!」

「ノン、いけませんデース。自殺は神様の救いを拒む行為デス」


 死という救いさえおせっかいな神の使徒が阻む。このシスターテレジアという女は自分の目的のために呼んだ相手だったはずなのにやることなすことすべて自分の邪魔をするばかり。全身の関節がひっくり返り、耐えがたい頭痛と嘔吐感がこみあげる。尿道結石が全身の血管を刺して回るような凶悪な痛みで全身が痙攣する。

 もう溺れるものは藁をもつかむ気持ちで坂浦長官は――少しでも痛みを和らげようと……ナターシャを、彼女を通して自分の頭に浮かんだ罪を叫びだした。


「許してくれ、アレクセイィィ……! だ、だがわしはお前を殺してなどいない……!

 あの日にお前の最高級ポーションの中身を色水に取り換えただけだぁっ!」

「……ッ」

「ナタさん?!」


 突然ぶちまけられた聞き捨てならない罪の自白。周りの探索者だってあまりの蛮行に顔を嫌悪のあまり、はっきりとしかめた。窮地では生命線になる回復剤を無駄にさせていたなど、ダンジョンでの殺人に匹敵する。

 ナターシャはまるで足元の地面が崩れ落ちたような恐怖でよろめき、オリガが慌てて彼女を支えた。


「わ、わしは……わしはお前が、美智子さんを掻っ攫ったお前が憎くて、だから……! だからお前が死ねばいいと思ったが本当に死んでしまうとも思っていなかったんだ……! わざとじゃない!」

「ナターシャさん! 聞かなくていいです! このおっさんぼくの想像の百倍キモイ!」


 ナターシャはオリガの気遣いの言葉に首を横に振る。

 はぁ、はぁ、と呼吸して腹の奥底から湧き上がる怒りの炎を額に導き、首に力を込めて睨みつける。


「美智子さんはきっと脅迫されているのだと、だからお前が死ねば彼女はわしの元に帰ってくると……!

 あぎゃああぁあぁっ!! わ、悪いとは思っているのだ! だ、だからお前の娘を引き取って育ててやったし線香も絶やさず弔ってやってたではないかぁっ!! い、いまさら化けて出るなぁ、わしのせいでは、わしのせいではないのだぁぁっ!!」


 そのまま七転八倒する坂浦長官のもとへと、つかつかと歩み寄り――ナターシャは……周りの人が『母親の面影がある』と言っていた美貌を長官の傍に寄せる。

 まるで地獄に仏でも出会ったように、坂浦長官は激痛のただ中で安堵を浮かべる。

 激痛と混乱の中で冷静さなどなく、ゆめまぼろしを見るような焦点の合わない目をする彼に、ナターシャは小さく笑った。


「お……おお、美智子さ」

「キッモ……気色悪ぅぅぅ……!!」


 凍り付く坂浦長官の顔面を蹴り飛ばしながら、ナターシャは叫んだ。


「わたしがあんたを選ばなかったのは、五臓六腑から香る魂のキモさがゲロ吐きそうなまでにひどいからよ!!」


 思い出にある母の言葉遣いを真似ながら吐き捨てた。

 相手の頭の中に浮かべていた都合のいい偶像の姿で、痛烈な罵倒をする。

 幻想を打ち砕かれ、とうとう最後の寄る辺さえも失い、坂浦長官は顎を砕かれ歯を飛び散らし、新たな激痛に惑乱しながら転げまわった。あとはもう、他に任せるべきだ。


「オリガくぅん……キモかったよぉぉ」

「はい……かわいそうに、もう大丈夫ですからね……」


 シスターテレジアに引きずられていく坂浦長官には目もくれず。

 ナターシャは涙をぼろぼろとこぼしながら、膝を突いてオリガの胸板に顔を埋めて泣いていた。ずっと昔に経験した両親との死別。もう治ったはずの心の古傷から再び血と涙が溢れてくるように、悲しくて仕方ない。

 ナターシャの髪に入り込んでいた閻魔頭ヤマガシラが、オリガの髪のもとへと戻っていく。

 けれどもナターシャの事を心配するオリガの影響か、にょろにょろも慰めるように体をあちこち彼女に巻き付け始めている。周囲を警戒するように見張っているのは、もうこれ以上外因に彼女を傷つけさせまいと構えているようだ。


 震えるその肩を強く抱きしめて、とんとんと叩く。

 一連の騒動は、ようやく終息を迎えつつあった。


 

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