第三十八話 山田オリガくん、堪忍袋の緒が切れていた!




「はいた唾は飲み込めんぞ、小僧!」


 坂浦長官は、これまで公に培ってきた紳士的なイメージをかなぐり捨てて怒声を張り上げた。

 これまではどうにかして暴かれつつある罪からどう逃れようか、野鼠のように怯えた心で思案していたのだが……自分の半分の年月も生きていない餓鬼から『人殺し』と罵倒を受けて反射的に本性をむき出しにしてしまったのだ。

 周囲からは驚きと訝しむ視線が集まるが、彼は気づいていない。


「わしをそのように言うのだ。間違えた時は相応に対価を支払ってもらうぞ」


 いっときの激情が喉元を過ぎれば打算と欲得が頭をもたげてくる。

 坂浦長官はこの冤罪から逃れ切った後、剣鎧童子を奪い取る計算まで浮かんだが……その、現実を見ず自分の理想しか頭に入らない精神だからこそこうなったのだと気づいていなかった。


 オリガは携帯端末を使って、内部にあるデータを近くのプロジェクターを使って投影し始めた。


「ここにでかでかとあなたのサインがあります。関与を否定するのは無理でしょ」


 契約書だ。

 半年前、ダンジョン探索者協会と交わした内容。神殿設営の際にかかる時間やらなにやら。

 

「まぁ、我々探索者のほうも契約書をしっかりと読み込んでいなかった、という落ち度はあります」


 そう言われると弱いのか、オリガと同様に契約に縛られていた探索者たちが困ったような顔でお互い顔を見合わせている。

 確かに分かりにくく、迂遠な書き方をしているが……虫眼鏡で文章全体を嘗め回すようにしっかりと精査すればこの契約内容が不当だと事前に察知することができるだろう。

 もっとも……例えばネットゲームを始める際に事細かな規約があり、その規約に同意しない限りゲームを始めることができないなら文章はスキップして同意して始めるだろう。それと同じだ。


「ただ、我々探索者はダンジョンが生み出され、世に混乱を起こした40年間もの期間を大過なくまとめ上げたダンジョン探索者協会に対して深い信頼を持っていました。

 ここなら理不尽な契約で自分たちを縛るなんてこともないだろう……そう考えていた信頼を真っ向から裏切られた形になります。

 あなたは協会が40年間をかけて築いた信頼を換金して、儲けたと喜んでいるだけの賢いつもりのバカですよ」


 はぁ……とオリガは大きく嘆息をこぼす。


「坂浦長官、あなたはご自分の手腕で三か月間の短い期間で神殿の設営をつつがなく終えた、そうお考えでしょうけど」


 その言葉に怒りで顔をどす黒くした黒幕は内心頷いた。

 そうだ。確かに普通より過酷なスケジュールを課した。牛歩のようにのろのろとした探索速度に不満はあったし、次代を担う最精鋭ならばこの程度潜り抜けられずにいてどうする! と腹立たしく思ったものだ。結果的にうまくいったのだから自分の慧眼は正しかったのだ、と自信を持っていた。

 だがそんな内心を透かし見るようにオリガは目を細める。


「その愚行の尻拭いをしたのが、鳳の婆様ですよ」

「は。はぁ?」


 鳳の婆様。ダンジョン探索者協会の中でも最も有名な後衛で、坂浦長官、アレクセイ、更科美智子と共にチームを組んでいた……坂浦長官が未だ正面からねじ伏せられない目の上のたんこぶである政敵だ。

 

「ぼくは内偵として神殿設営の契約を行いましたけどね。ただ、念のため鳳の婆様には、ぼくの視覚に同調してもらっていたんですよ」


 それこそが、坂浦長官の私利私欲から始まった蛮行を暴露するきっかけだったのだ。

 山田オリガ自身は制約の力に縛られて真相を口にはできない。しかし……彼の視覚を借りているだけの鳳の婆様はその縛りからは関係がなく自由に動ける。

 一人の、長身でミラーシェイドに目元を覆った精鋭探索者が言う。観客席から声がした――ゴトー先生だ。探索者の中でも腕利きで配信も行う、人気と実力の双方を兼ね備えたエース。そして山田オリガが初めて胸板を晒した瞬間に自分も胸板を晒し、『#オープン乳首ドスケベフェスティバル』の火つけ役となった、オリガが有名になるきっかけを作った男――オリガにとっては恨めばいいのか感謝すればいいのかよくわかんない相手である。


「あんときは心底死ぬかと思ったぜ。

 契約で縛られ助けは求められない。事情を知った鳳の婆様は増援をすぐさま手配してくれると言ったが……神殿設営の最前線で戦えるとなると数も質も重要だ。すぐには無理だった。最初の三日間で何人死ぬか肝が冷えたよ」


 今までため込んでいた憤懣をようやく口に出すことができるのだ、他の探索者たちも次第に口を開いていく。


「契約通りの速度で探索は進めなきゃならないもの。特に大変だった最初の三日間、睡眠時間は仮眠を30分。それを三度のみ。あとは常にぶっ放してぶっ放してぶっ放して、その合間に寝るような生活だったし。トイレも風呂も無しよ。最悪だったわ」

「まさに話に伝え聞く『オホーツク海のカニ漁船みたいな仕事』だったよなぁ」

「鳳の婆様が手配してくれた増援が来た時は、しばらく『救援が来たんですか』としか言えないメンバーがいて……極限状態は心を壊すとよく分かったよ」

「ここに立ってられるのはまだマシな連中で、食事に混ざってたクライマックスの影響で不眠症に悩む人間や病院から出られない奴は多い。なぁ……わかってやったんだろ、坂浦!」


 もう長官と敬称をつける気もない。はっきりとした憎悪を叩きつけられ、坂浦長官がひるんで後ずさった。


「き、貴様……わしを、わしを誰だと思って……」


 ゴトー先生が叫ぶ。


「あんたが誰って?! みんな知ってるさ! 自分は安全な後方にいて他人には犠牲と献身を捧げることを賞賛する薄汚いエゴイスト!

 ヨブ・ト〇ューニヒトの尻尾だよ!!」


 オリガやナターシャにはいまいち刺さらない話題だったようだが……精鋭探索者や観客席からは時折笑う声がする。どうやらみんながよく知る敵役の名前だったのだろう。

 坂浦長官は、かつては最精鋭だった。かつては探索者として最前線にいた実力と名声を兼ね備えた男。しかし……現役と引退者の間には大きな差がある。この場にいる精鋭探索者一人にさえ彼は勝てないほどに錆びついているだろう。


「……わ、わしが……わしがどれだけこの組織に尽くしたと思っている!

 わしをどうにかしたら組織が持つとでも!!」


 己の帝国の破滅、都知事戦に出馬し知事となる栄光の未来。

 それらすべてが崩れ去り、崩れ落ちそうになる男にオリガは冷ややかに言う。


「この半年、鳳の師匠は自宅に帰れないぐらいに東奔西走してましたけどなぜだかわかりますか?

 坂浦長官を馘首クビにすることは半年前からの決定事項だったんです。それによる混乱と被害を防ぐために鳳の師匠があちこち動いて、あなたを懲戒免職した後の混乱が許容範囲に収まるという政府判断を受け、ようやく先日――GOサインが出たんですよ」


 山田オリガは嘆息をこぼす。


「正直を言うと、あなたのせいでぼくは大変になったけれども。

 こうして直接的な断罪はする気などなかったんです。決着は鳳の師匠がつけてくれるから。せいぜいネットニュースであなたの逮捕を聞いて、祝杯を挙げられれば十分でした」

『おさけ?』『いま祝杯ともうしましたね』『おさけがのめるんですか』

「……寝てなさい」


 オリガは祝杯という単語に反応したにょろにょろを手に持つ紙束で叩いて鎮めた。


「けど、あんたは二度。ぼくに手を出した。

 人の研究にケチをつけ、その成果を盗もうとした。二度あることは三度ある。放置していたらまた何か余計なちょっかいをかけるかもしれない。

 だからあんたに……弁解しようのない恥をかかせ、人生を台無しにしてやろうとこうして舞台を拵えたんです。

 まぁ……あとは贖罪のみに生きてください」

「任せてくだサーイ」


 そこでにこやかに微笑みながらシスターテレジアが立ち上がる。


「咎人を更生するまで見守るのは神のゴ意志デス。

 坂浦宗男サマ、あなたがあらゆる裁判を終えたそのあとは……アメリカにお越しくださるように話がついてマス。

 何も知らない方に『オホーツク海のカニ漁船級の大変な仕事』を斡旋して恥じないアナタならば……賠償金のすべてを支払い終えるまで最前線で戦ってくださるデショウ。ユウゲンジッコウ、ワタシが怪我も直して差し上げます。

 かつては日本探索者のトップだったそうですし、『オホーツク海のカニ漁船』レベルのスケジュールもダイジョウブ、イケルイケル、ガンバレガンバレシヌマデガンバレ」

 

 坂浦長官がこのままでは死より悲惨になると理解したのは、シスターテレジアのカタコトからだった。

 贖罪することが罪人にとって何より幸福だと信じるような宗教的盲信に怖気を抑えられず、反射的に駆け出した。数名の精鋭探索者が反応するが、火事場のバカ力か、長官が――観客席にいたナターシャへと辿りつくより一手遅い。

 後先考えての行動ではない。

 彼女を人質にとって――それからは? そんな風に失敗した後の事を考えられる男ならば、最初からこんな事はしない。

 とにかくこいつを……かつては義理の娘だった彼女を人質にすれば――そう考えて手を伸ばし。


『がぶー!!』


 突如として現れた蛇が、長官の掌に噛み付くことで目論見をご破算にした。


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