第三十三話 山田オリガくんと彼女のうしろで移動してるにょろにょろ!


「えい」

 

 さくっ。


『あれー』『あれー』『あれー』


 気合を入れて飛び掛かったナターシャであったが、別にカッコいいアクションシーンがあるわけでもなかった。

 にょろにょろたちはそもそも服の中で兄弟たちと酒をめぐって喧嘩の途中で、ナターシャを全然警戒もしてない。そしてにょろにょろたちの根本はオリガの髪だ。根元に櫛をさしてほどけば、あっさりともとの黒髪へと戻っていく。

 もちろん黒髪に梳かされるのは一瞬のこと。すぐににょろにょろたちは元の姿を取り戻すのだが、その間に二人に引っ張られて外に追い出されている。


 そしてそんな隙があれば十分だ。

 酒瓶を丸呑みしていたにょろにょろも元の黒髪に解きほぐされ、オリガの股間には酒瓶のみが残されることとなる。


「そ、その……ナターシャさん。優しくしてください……」

「うん。誤解を招くいい方だけどさすがに勢いよくひっぱってオリガくんの大切な二つにダメージを与える訳にはいかない」


 そっと、このうえなく優しい手つきで酒瓶を引き抜いた。


”ごくり……”

”これが……オリガくんの股間の紳士と密着したお酒……///” 

”まずは百万から始めたいと思います”

”百二十万!”

”百三十万!”


「競りを始めないでください!」


 さすがに今回ばかりはオリガくんも顔を真っ赤にしてふるふると震えている。

 にょろにょろたちは、宿主である美少年が激おこなのをみてさすがにまずいと思ったのか、『どうしよう』『どうしよう?』と顔を見合わせていた。

 山田オリガは子供のころから犬猫に嫌われる体質だったので、生れて始めて生き物を飼ってみたわけだから甘い顔をしていたのかもしれない。

 にょろにょろが顔を見合わせるしぐさはなんとなくカワイイがもう騙されない。


「……もう許しませんよ」


 

 オリガは腕を振りかぶって投擲の姿勢。酒瓶を掲げてぶん投げる構えににょろにょろが慌てだす。


『まって』『まさかそんな』『やだー』


 しかし甘い顔をしていたからこんな目にあったのだ。今やオリガには何の慈悲もない。

 ぶるん、とぶん投げた酒瓶はそのままダンジョンの壁に叩きつけられ粉々に砕け散る。遠く離れた距離からでも、つんと鼻腔を差すアルコールの匂い。強烈なそれに顔を顰めながらオリガは矢の先端に呪符を括りつける。

 以前のフロストリザードとの闘いで弱点をつけない危険が身に染みたために準備した、属性を付与する符だ。


 放たれた矢は着弾と同時に着火。

 周囲に撒かれていた高濃度アルコールに引火して瞬時に燃え広がる。

 

『うわあああぁぁぁぁぁあ』『うわああぁぁぁぁ』

”うわああああぁぁぁ”

”うわああぁぁぁぁぁ”

”もったいねぇぇぇぇ”


 頭のにょろにょろががっかりした思念を広げるが、しかしオリガはもう甘くなどない。ムッとした顔でそのまま歩き出す。

 周囲には燃え広がるようなものもない、石造りの壁面や床が広がっている。放置しても何の問題もないだろう。

 

「もったいなくなんかありません! まったくもう!」




 にょろにょろがしょんぼりしている。

 山田オリガはダンジョン探索を終えて今は神殿の椅子の上でナターシャのほうに頭を預けてすやすやと眠っていた。

 探索が心身を苛むものであるのは間違いない。ましてや今日、オリガはにょろにょろの一匹がその権能を発した際にMPとでも言うべきものを吸い上げられている。ポーション類のアイテムで補充はしているが、この手の疲労は眠らないと根本的な回復にはならない。


「少なくとも寝顔を見せてくれる程度には気を許してくれたのかな?」


 ナターシャはそう思いながら、彼の頭でにょろにょろしている蛇たちに視線を向けた。


『おこ?』『おこかな』『どうしておこなのだろう』

「危うく男性の一番重要な部分をダメにされるところだったからだよ」


 何やら思案ぎみのにょろにょろに応えるナターシャだったが、にょろにょろの反応は『がーん』と効果音がつくぐらいに劇的であった。

 この時にオリガが受けたのが『今年のコミケに自分を題材にしたエロ同人が乱立する』という当人にしてみれば人生の一大事と説明を受けても……人間社会の営みを理解できない怪物にとってはいまいちピンとこなかっただろう。


 だが、生殖行為は別だ。

 人ならざる獣であっても、子供を残す能力を損壊させるかもしれなかった、と言われればその重大さは理解できる。あの時の酒瓶がうっかり股間を強打していたらそうなった可能性があった。


『なんてことを』『しまった』『ほんとうにもうしわけない』


 とにょろにょろたちは未だ眠っているオリガに詫びの言葉を向けるのだけど、まだすやすやと眠っている当人には聞こえるはずもなかった。


「まぁ起きたらちゃんとごめんなさいとすればいいさ」

『そうはいうけど』『どうしよう』『われわれがやくにたつとみせつければよいのでは』


 とにょろにょろたちは顔を付き合わせて相談する。

 いつものように舌をちろちろさせていたにょろにょろは――不意に隣に腰かけたナターシャに視線を向けた。


「ん? にょろにょろくん、何かあるのかい?」


 この時……にょろにょろはナターシャから少し嫌な臭いを感じた。

 物質的な臭いに関する単純な嗅覚とは次元が違う。

 伝説的な大邪怪のみが嗅ぎ取れる運命や死、この未来に起こりうる不幸の臭いを敏感に感じ取ったのだ


『おわびにこのこをたすけたらみなおす?』『みなおす』『おじゃまする』


 そうと考えるとにょろにょろの髪の一つがナターシャの頬に軽く頭突きをする。つんつんと頬をつつかれて彼女はくすぐったげに笑った。


「ちょっと、どうしたんだいにょろにょろくん」


 何かのいたずらかと思ってつんつんしてきたにょろにょろを撫でるナターシャ。頭を摺り寄せて撫でられるがままに任せるにょろにょろの一つ。 そうやってナターシャの注意を引きつつ――その間に死角をぐるりとめぐって頭を伸ばしたにょろにょろが……するん、とナターシャの頭髪の中に潜り込んだのだ。


 もしこの場に、山田オリガの妹であり監視者も務める鳳陽菜がいれば絶叫しただろう、『移住できんのアンタら?!』と。


『いじゅうせいこう』

『やったぜ』『やったぜ』『やったぜ』


 ナターシャの髪の中からひょっこりと頭を出すにょろにょろの一匹。様々な属性を持つ蛇頭の中で最も特異な『閻魔頭ヤマガシラ』は頭を振ってオリガの髪から顔を出す兄弟たちに挨拶する。


『そっちはよろしくねー』

『まかせろー』『じゅんびばんたん』『げんきでねー』


 まさか肩を寄せ合う二人の後頭部でそんな事が起こっているなどとはつゆ知らず。


「……う、ううん。ナターシャさん、ぼくどれぐらい寝ていましたか?」

「ほんのちょっとさ」


 二人はいつものように、何も変わらずダンジョンから生還するのだった。

 目立たず気にも留めない小さな変化……山田オリガの八つに結わえた黒髪の一つが消え、七つになっているなど、誰もまだ気に留めておらず。

 帰ってきた山田オリガを見て、その異変に気付いた鳳陽菜が再度ひっくり返るなどこの時二人とも思いもしなかった。

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