第十七話 八岐檻我くん、本名バレしてしまう!!


 

 八岐大蛇。

 日本神話に登場する史上最大の大怪物、荒神。対抗不能の暴神。

 そして、日本人ならばまず知らぬ人のいない神代かみよの時代のビッグネームだ。


 八本頭の蛇。

 オリガの頭髪から延びた八本の蛇頭を見ればどうしても八岐大蛇を思い出す。最初威嚇された時の疑いが正解だったとは。ナターシャは冷や汗を感じた。

 フロストリザードを威嚇した時の、あの火頭の威圧感は感じたことがないほど強大。

 もし彼の髪に煙草の煙を吹きかけていたらあれと同格の蛇頭を全部怒らせてしまうところだったのだ。

 ナターシャは精神安定のために煙草が欲しくなったが、我慢我慢と言い聞かせてロリポップを銜えた。


「それで、オリガくんの髪の毛について聞きたいんだけど」

「あんたが知ってどうにかなる話ではないし、どうにかできるもんでもないけど。

 お兄ちゃんの名前ってあんた、覚えてる?」

「それはもちろんさ」


 山田織賀。

 カタカタ表記をよく使ってはいたけど、カップル配信者の相方を務めるのだからナターシャと接触する前の彼の配信は当然チェック済みだ。

 その漢字にヒナは頷いて――携帯端末で別の一文を加える。


「それはおにいちゃんの隠し名。

 おにいちゃんの本当の名前は……こっちなの」


 そうしてヒナが見せるその名前は……人名とは思えない奇怪な単語でできていた。


――八岐檻我やまたおりが――


 ナターシャは眉を寄せる。

 こんなめちゃくちゃな名前、普通の神経の人が付けるものではない。


「名は体を表す。おにいちゃんに関わった最初の人はそういう目的で育てたの。

 八岐大蛇の依り代として、その檻として、枷として。ダンジョンの出現によって蘇った神秘を利用するために生み出された魔術兵器として」

「……聞いたことなんか一度もない」

「知られたら本気で困る秘密だったもん。……けっこうバレたけど」


 ヒナはお茶を飲んで舌を潤してから言う。


「古来より蛇と髪って相性がいいのよ。ギリシャ神話におけるメデューサ。日本でも鬼女の黒髪が蛇に変じてる絵って見かけるでしょ? 依り代としては最適に近いの」

 

 そう言いながらヒナはがさごそと鞄の中から何かを取り出した。


「……あたしがあんたと会ったのは、この櫛を渡すこと」


 ヒナが差し出すのは、先ほどオリガの髪をくしけずったあの櫛だ。

 確かにオリガの髪に宿ったあの蛇たちを目立たなくするなら、誰かが髪を漉く必要がある。

 ただ。ナターシャはちょっとおっかなびっくり気味だった。


「あの蛇たち、噛んだりしない?」


 オリガくんの色気にくらくらして思わずキスしたくなった時、彼の髪に宿る大蛇たちはナターシャを威嚇したことを思い出す。しかしヒナはスパゲッティをもぐもぐしながら首を横に振った。


「お兄ちゃんは依り代で、かみかみを降ろしてる関係よ。……こじつけじゃないかって顔よね」

「うん、まぁ……」

「今の時代に復活した陰陽術や呪術では、同じ名前を持っているってのは案外侮れない要素なの。

 で、お兄ちゃんはあの髪に降りた神と繋がってる。……あんたの事を嫌ってるなら、まっさきにがぶりってされてるわ」


 その言葉にナターシャはうきうきした顔になった。

 あの髪もオリガの一部。なら噛んだりしないなら心の底から嫌われているわけではなさそうだ。

 そんな上機嫌なナターシャに、ヒナは不機嫌そうな顔を見せる。


「……もう一つ。忠告しておくことがあるの」

「うん?」

「サカウラ……あんたの幼馴染……」


 だが、幼馴染と言われた瞬間、ナターシャははっきりと不快感を顔に浮かべた。


「違う」

「違うって、何か」

「あんな奴は幼馴染じゃない。ただの養父の息子だって言いなおして」


 どうもそのあたりはナターシャにとっての逆鱗らしい。

 それを悟ったヒナは少し黙ってから答えた。


「養父の息子、赤の他人のサカウラだけど。あいつ、お兄ちゃんにコラボ申し込んできたの」


 それほど驚くべき話ではなかった。

 ナターシャは笑う。オリガの前では一度も見せたことのない、憎悪と嘲笑交じりの微笑みだった。


「だろうね。サカウラのクラスは『ヘビーナイト』。鉄壁の守りと重武器で敵を倒すクラスだけど」


 回避前衛系の最高峰、『闘獣士マタドール』と比べると下位クラスと言っていい。

 

「彼では……華に欠けるね」


 サカウラが850万や900万ものフォロワーを引き付けるに足るトーク力や実力を持っているならまだよかった。

 しかしそうではない。実力のある探索者ならサカウラの不自然なまでの幸運や戦歴に作為を感じるだろう。

 彼が名声を博すための戦歴……その踏み台にされたナターシャならば、なおさら彼を見る目は厳しくなる。あんな奴を輝かせるために、自分は八百長を強いられたのか、と今も憤懣が喉をついて溢れそうだ。


 そんなナターシャの複雑な内心を知ってか知らずか、ヒナは言う。


「……お兄ちゃんが、ダンジョンの未踏査階層の探査部隊、そのバックアップにいたことは聞いたよね?」

「あれ、本当なのかい?」

「そうだよ」


 いざ振り返ってみると、ナターシャは自分の幸運に驚くばかりだ。

 たまたま一目ぼれした可憐な少年だったけれども実力もある。背中を任せられる相棒と人生の伴侶をいっぺんに手に入れたのだから。

 だが、ヒナは不機嫌そうに言う。


「ダンジョン未踏査階層では、当然ドロップ品も出る。普段ならそれらすべて一括で回収され、それぞれが欲しいものを融通し合うんだけど。お兄ちゃんったら規定の給料七割を諦めて、全身甲冑のドロップ品を求めたの」

「オリガくんが?」


 わからない。彼のクラスは糸使いで、全身甲冑のような着用して戦うのに相応の体力を要するものは使えないのに。

 だが、ヒナは眉間を寄せて不安げに言う。


「……今回の一件で、お兄ちゃんが深層域の全身甲冑、『戦王の剣鎧』の持ち主だってバレちゃったわ。

 実力が足らないサカウラが、一発逆転を狙ってお兄ちゃんからあの鎧を奪いにくるかもしれないし……ダンジョン探索協会のトップでサカウラの父親、坂浦宗男長官もちょっかいかけてくるかもしれないし」

「そんな……いや、そうか、そうだね」


 ナターシャは最初……否定したかった。

 だが、今回の事件を想うとヒナの不安は正しいと考えなおす。自分とオリガに危険なモンスターをけしかけて、二人の窮地を格好よく助けることでマッチポンプを図った男だ。 


 携帯端末を見やる。

 トゥイッターでは現在炎上中だ。さもありなん。


”……アヤシイ……”

”もっと下層で活動してるサカウラがたまたまこの日、割にあわない階層で行動して”

”そしてたまたまイレギュラーモンスターが出てきて、たまたま対抗手段を持ってた”

”みんな、推論は控えよう。サカウラの事務所は腕のいい弁護士雇ってる。こういうのを誹謗中傷扱いで訴えてきた実績があるんだ”

”言論の自由(四)

”うわは、サカウラのフォロワー数が潮を引くように減ってる。さっきは780万だったのが600万を割るのも間近だ”

”インガオホー”


 追い込まれている。

 ナターシャはかすかに笑った。あの時は殺したいほど憎んだ相手が勝手に自爆して勝手に破滅の坂道を転がり落ちていく。

 父親の地位と権力で作られたヒーローは知名度補正ネームバリューを失い凋落の一途をたどっていた。


「ふん……」


 ナターシャは小さく溜息を吐いた。

 彼のフォロワー数が少しずつ減っていたのは知っている。そしてナターシャはそれには何も関わっていない。せいぜい箪笥の角に小指ぶつけて苦しめとささやかな恨み言を囁いていただけだ。

 ナターシャはせせら笑う。あいつには何もしていないのに、勝手に少しずつ衰退し、そして愚かなことをして自滅しようとしている。

 何も手を下さぬまま自業自得で破滅する、かつての幼馴染にして仇敵。

 できれば引導は自分の手で渡したいな、と思うのだった。



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