第十四話 山田オリガくんの髪の毛のほうが本体より強い気がする!!



 

”え、これヤバくない?”

”おいおいおいおい”

”フロストリザードって速くて硬くて強いとか完璧なスペックの奴やん!”

”イレギュラー、か……?"


 コメント欄でも本来ここに出てくるはずのないモンスターに動揺が広がっている。

 フロストリザードはこんな低階層で出てくるはずのないモンスターだ。むしろもう少し進んだ先の階層主として出ることがある。


「ダーリン、前に出るなよ!」


”いや、だいじょうぶだ。ナターシャも確か元は深層まで足を運んでいたはず!”


「そうだけど絶対平気って訳でもないよ?!」


 ナターシャはこの不自然な状況に冷や汗をこぼす。

 フロストリザードは下層域の魔物としてはそこまで強力な種ではない。

 俊敏な動き。強力なパワーと鋭い爪。そして全身に氷を装甲、甲冑のように纏う事で高い防御力も備えている。

 周囲に冷気を排出することで敵対者に『寒冷』デバフ効果を発生させ、動きを鈍らせたりもする。


 ただし、これらは火炎属性のエンチャントを施すだけでほとんどが無効化できる。

 冷気も、氷の甲冑も、道具の『火蜥蜴の精油』を武器に使用し、火属性を付与するだけで解決してしまえるのだ。



 そして当然……こんな浅い階層で唐突にフロストリザードと遭遇するなんて考えていない。

 オリガとナターシャは、対峙する時用の必須アイテムなど持ち合わせていなかった。


「手を出すなよ、オリガくん!」


『火蜥蜴の精油』が一つあれば一蹴できるフロストリザードだが、無い状況だと……圧倒的に不利になる。

 ナターシャの攻撃ではフロストリザードの氷の装甲を突破できない。ならば回避を成功させて火力バフを溜め、威力をあげる必要がある。

 しかし相手の発する冷気のせいで身ごなしにに悪影響が出るはずだ。


(いやな感じだ)


 ナターシャは一人、心の中でつぶやいた。

 深層域にいるモンスターが、突然現れた。それも二人にとっては相性最悪のフロストリザード。

 あまりにも出来すぎている。何者かが罠を張ったのだとしか思えなかった。ナターシャは剣を構え、フロストリザードの爪を紙一重で避ける。

 体力配分を考えている余裕はない。持ちうる全力を費やさねばならないだろう。



 

 オリガの義妹になる鳳 陽菜は当然のように張り付いていた兄のチャンネルで起きた事件に目を丸くする。


”ダンジョン内にいる有志で直行できる人いる?!”

”協会に通報終了したよ、けどフロストリザード相手にできて、火属性のエンチャント持ちはいないって!”

”撤退できそう? オリガくんの糸で足止めとかできんかな”

”たぶんコメント欄見てる余裕ないよ”

”サカウラのチャンネルが予定時刻になっても開始しないからこちらを見にいたけど大変な事になっとる……”


「……なんでよ、もー!!」


 兄のオリガはナターシャの言葉を受け、弓矢は使用していない。

 フロストリザードの足に接着糸を張り巡らせ、ひたすら機動力を削ぐことに徹している。だが強い粘着性も極度の冷気で用をなさずに破壊される一方だ。


”うわわ! やばい! おかわりが来た!!”

”冗談だろ!”

”うっわ、これマジでおかしい。誰かが作為的にやったとしか思えん”

”今はとにかく誰か助けてあげて!”


 そんな風に考えていたら状況はさらに悪化の一途をたどる。一体だけでさえ持て余し気味だったフロストリザードがもう一体姿を現したのだ。

 ヒナは電話を掛けた。祖母の連絡先には繋がらない。なら仕方ないと判断し、指から式符を取りだして、疾ッ! と一声かけて放った。そうすれば一瞬で鳥に変じた式神が空中へと飛んでいく。

 連絡はこれでよし。電話に出なかった祖母が悪いと整理をつけて……家の奥、兄に知らせていない秘密の地下室へと飛ぶように降りていき……祭壇に祭られている八つの束に目を向けた。

 ずっと昔、兄が保護された時に断髪した髪の八つの束は鎖めいた紙で縛られている。

 ヒナはそれに鋏をあてがい、じょきんっ! とためらわずに一息でまとめてすべて断ち切った。


 瞬間、落雷めいた轟音が至近距離で炸裂する。


「わー!!」


 妖風が巻き起こり、ヒナは吹き飛ばされた――が、空中で猫のように身をひるがえして衝撃を受け流して着地する。

 髪の後に目を向ければ……火が沸き、その火を水が消し、残った水を木が吸い、その木を中から金が裂き、金を土が飲み込む。

 光が闇を切り裂き、あるいは闇が光に纏わりつき――最後には消滅する。

 異なる力の乱流はお互いを食い合っているようだ。

 どれほど強大な力であろうとも異なる属性がそれぞれを相殺し合えば残るのは静かな均衡のみ。


「おにーちゃーん!!」


 力の大半を縛る封印は今解いた。たぶん状況は好転しているはずだとヒナは一階に駆け上がった。





 オリガはさらにもう一体現れたフロストリザードの姿に、さすがに冷や汗を感じる。


(もしかして……)


 頭に浮かぶのは、過去の技術者系配信をしていた時に放送した動画だった。

 あの時は人類の発展や未来にばかり考えていたせいで……道理ではなく感情や嫌悪感を何より大事にする人々に命を狙われる可能性を考えなかった。


 そのことを視聴者の一人に指摘され、『あの動画』は公開中止にしたのだが。


 もしかするとあの時の動画を知った保護団体が殺し屋でも雇ったのだろうか。

 冷たい恐怖の塊が氷のように背中を伝う。であれば、なんとしてでもナターシャを逃がさないと。

 彼女はフロストリザードと接近戦を演じたせいで、まるで猛吹雪にでも遭ったように体のあちこちが白く染まっている。顔色も悪く動きもだんだんと衰えを見せ、防具のあちこちに傷跡ができていた。

 それでもナターシャは叫ぶ。


「オリガくん! 逃げたまえ!」

「カップル配信者が相手を見捨てて逃げたらもうおしまいでしょう!」


”いや……この状況、逃げても誰も責めないぞ”

”生存の高い目を選んでくれ!”

”近隣の神社にいるパーティーに連絡とったけど『火蜥蜴の精油』持ちはいない!”

”この階層じゃ全然必要のない代物だ、無理はないけど!”

”支援魔術師とかいねぇのかよ!”

”みんな言ってるだろ、アリーナ参加者がもてはやされてるから、最近は支援系とか人気ないんだよ!”


 このままではまずい、当事者も視聴者も誰もがそう思った瞬間だった。

 オリガの胸元……巫女服の裏地に作ったポケットが輝いている。探索者免許書しか入れてないはずだ。なぜ、と思いながらオリガは免許書を取りだし、驚きで目を見開いた。


「み、ナターシャさん! ぼくのクラスが「糸使い」から「メデューサ」に変化してますよ!」

「本当かい?!」


 詳しくはないが、糸使いというクラスよりはなんとなく戦闘向きに思える名前にナターシャは叫ぶ。


”うっそだろお前、このタイミングでクラスチェンジとかあり得る?!”

”頼む、ここで状況を覆すパワーに目覚めてくれ!!”

”なーんだ、演出乙”

”この状況で演出とか目が腐ってんの?”


「でもメデューサってあれですよね。睨んだら石になったり……しませんね。

 ……お?」


 だが、そこでオリガは――自分の艶やかな八本の黒髪が動き出しているのに気づいた。

 先端を結わえられた黒髪が鎌首をもたげていた。

 あまりのことに驚き目をぱちくりと閉じて開いた次の瞬間には……蛇に変じている。


「わー、にょろにょろだー」


 目を輝かせているオリガの前で、彼の八本の髪は変化を遂げた。なんだかおかしな意志が伝わってくる。


『よう』『こんにちわ』『酒くれよ』『酒くれよ』『酒くれよ』


 光を帯びた蛇、月光を纏う蛇、火でできた蛇、水で形作られた蛇、木と苔生す蛇、金属でできた蛇、土くれでできた蛇。

 そして紫色の毒気を纏う蛇。どれもこれも、並みならぬ妖氣、あるいは神威を放っていた。


「みてください、ナターシャさん! なんか動いてます!」

「うええぇぇえ?!」


 ナターシャ=更級は……この状況で驚きと、「ああ、やはり」という納得を感じていた。

 オリガにカップル配信を頼んだ時に、自分へと威嚇した八本の蛇。あれはやはり見間違いなどではなかった。しかしオリガの頭髪を依り代に顕現する大蛇妖だいじゃようの威圧感は以前と比べ物にならない。

 オリガの髪の中で蠢く火の大蛇は――天性の捕食者めいた狂暴な速度でフロストリザードに迫る。


「シャアあアァァァ!」

「ゴアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ!」


 深層域の魔物も、オリガの髪より発せられる妖異に怯みながらも威嚇する。

 その威嚇を木っ端のようにふきとばす勢いで大蛇が吠えた。


 ……以前、威嚇された時にナターシャが感じた予想が正しいなら。

 この八本の蛇が……もし神代より語り継がれ、日本人なら知らないものなど存在しないあのがしらの大蛇ならば。

 その知名度補正ネームバリューはこの世に存在するどの探索者よりも、強力なものになっているはずだ。

 大口を開いて咆哮するフロストリザードは……獅子と相対した草食動物が絶望で動けなくなるのと同じように硬直する。

 その一瞬で火蛇は相手に絡みつくと……蛇が体を巻き付けて絞め殺すように、全身を撓ませ――ぼきぼきぼきっ、と、白木の束がまとめてへし折れるような快音を響かせ相手の至るところの骨をへし折り尽くす。

 じゅうううううぅっ……と肉が焦げ付く恐ろしい音も響く。オリガの髪から生えた火の蛇が、まとった火炎で相手の肌を焼き焦がしながら絞め殺しているからだ

 

 もう一体のフロストリザードは、目の前で起きた凄まじい力に怯えたのか――踵を返して逃走していく。

 その背を追うにも、蛇の本体であるオリガ自身の足は速くないし、ナターシャ自身も疲弊しきっていた。


「はー……危なかった」

「大丈夫ですか、ナターシャさん」

 

 オリガの頭ではいまだに蛇たちがにょろにょろしている。

 以前と違い、ナターシャに対して敵意を浮かべることもなく「だいじょぶ?」「しんどい?」と不思議そうにしていた。


「オリガくん……その蛇は?」

「かわいいですねー。ぼく子供の頃からわんわんやにゃんにゃんに嫌われる体質だったから、にょろにょろが来てくれてとても嬉しいです」


 ……犬猫にとっては蛇のような有毒の生物は天敵といっていい。

 嫌われていたのは、動物たちが本能的に危機を察知していたのでは? とナターシャは思ったが口にはしなかった。本当にうれしそうだったからだ。

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