第三話 山田オリガくん、舐めプセクシー系配信者に屈辱と敗北を与える!






 ……ナターシャこと、通称『ナタ』はわなわなと手を震わせた。捨てた煙草を携帯灰皿に入れて消す手にも力が籠る。

 目の前のちょっと滅多にお目にかかれない美少年は困惑の面持ちであった。心を落ち着けようと煙草の二本目に手を付けた。


 今、SNSではちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 滅多にいない美少年が上半身すっぽんぽんで弓を使った結果、『これが♂ってマジ?』『アッー!』『雄っぱい! 雄っぱい!』『もう……男でもいい』とホモネタが加速しまくっている。

 それに対して『ナタ、セクシー系配信者なのにパズってる一番の理由が美少年の乳首なのマジウケるwww』と嘲笑されまくっていた。


 ナターシャはフォロワー数を見る。

 あれほど乗り越えられなかったフォロワー数一万の壁を越え、今もなお加速中だ。

 これは幸運ではあるだろう。配信業は今もなおライバルの多い、血を血で洗うような過酷なレッドオーシャン。

 配信者の中で抜きんでるためお色気系という人間の三大欲求の一つを満たす方面で活動していたけど……これは男性フォロワーを強烈に惹きつけるが、女性や若年層には広まりにくいという明確な弱点があった。

 それがこうして大勢のフォロワーを獲得した。

 彼らを繋ぎとめられるかはこれから次第だが、注目してもらえるきっかけは得た。

 もともと『闘獣士マタドール』という最高位のクラスも持っている。実力で惹きつける自信じゃあるのだ。のし上がる機会をくれた彼には感謝するべきだろう。



 ……だが、それはそれとして腹立つ!! 



 セクシー系の配信者として一年近く頑張ってきた自分が、通りがかりの美少年の乳首のおこぼれで有名になる。

 それはすなわち女が男にお色気で負けてしまったという決定的敗北を意味するのだ! これは女としての尊厳に、恥辱を受けたに等しい!!


 ほほの一つでも抓ってやるぞ、と肩を怒らせながら迫るナターシャだったが……頭に血が昇りすぎて足元が疎かになってしまっていた。

 ダンジョンで死滅した生物は時間経過で無機物であるはずの壁面に取り込まれて消滅するが、すぐではない。前にすすみでた際に足元に広がる血のぬかるみに足を取られて。


「わ、わぁっ!?」

「危ないっ!」


 つるり、と前のめりに転がりそうになるナターシャ。こけようになる彼女を咄嗟に支えるオリガ。

 危なかった、とナターシャは安心する。ダンジョンを出れば、ドロップアイテムを除いて返り血など浄化されるとはいえ、これでも女性だ。全身で血と臓物の中に突っ込むなんて事態を防いでくれたのは感謝すべきである。

 だからそう……オリガが咄嗟に支えようと伸ばした手が、本格的に彼女の胸を思いっきり揉んでしまったことは許せる程度の事でしかなかったのだが。


「は、はわわわわ……///」


 実はそこそこすけべであったりする山田オリガ。

 対外的には真面目を装うが、エッチなことには興味深々。だけどもこれは刺激が大きすぎた。突然降ってわいたラッキースケベイベントに顔は真っ赤で目は泳ぐ。冷静さを取り戻そうとしてもうまくいかない。

 

”おっぱい! おっぱい!”

”けっこうがっつり揉んでしまったが、しかしこれは仕方ない。”

”ふつうのアイドル系配信者だとユニコーン大発生するんだけど、ここは平和だなぁ(´ω`)”

”女性が女性のおっぱいを揉んでるようにしか見えないから……”

”そういわれると百合に見えてきたぞ”

”興奮してきた”


 そこで冷静になろうとオリガが取った手段はアホの極みであった。


「な、なむあみだぁんぶ、なむあみだぶつぅぅ……」


 前のめりの姿勢になって股間が紳士から野獣へと形態変化フォームチェンジしようとするのを……お経を唱えて仏様の法力におすがりすることで防ごうとしたのである。


「むぅー! なんて失礼な奴なんだい!」

 

 だがたまったものでないのはナターシャである。

 支えてくれた際、胸を揉まれたのは恥ずかしいが事故だ。これは別に気にしてない。

 しかし人の胸に触れてから念仏を唱えるなんて! まるで自分がある種の穢れ扱いされているかのようで大変面白くなかった。

 ほほの一つでも張ってやろうかな、ほっぺを抓ってやろうか。

 けれどもこの美少年顔に跡が残るような罰を与えるのは……まるで歴史に残る名画にらくがきを刻み付けるような禁忌に似た感覚を覚えた。


 だからナタは口元にもごもごと煙草の煙をためる。

 配信者である彼女だが、どっちかというと世間様からは眉を潜められる類だ。彼女にとっては多少の意地悪をしようともそれほどイメージに傷がつかない。かといって叩いたり殴ったりはNG。

 だから、ちょっと困らせてやろうと思って……。




 口に貯めた煙草の煙を吹きかけてやったのだ。




「んっ、ちょ、何するんです!!」


 煙草の煙を相手の顔に吹きかけるなんてマナー違反である。

 オリガはいきなり煙たいものをかけられ、顔のまえで手をぱたぱたさせて怒る。困った事にドローンが撮影するお怒り顔もまた可憐であった。

 オリガとしてはいきなり失礼な事をされ。

 ナタとしては乳を揉まれたのに念仏を唱える彼へのただのからかい、意地悪な行為のつもりだった。八つの房に分かれた黒髪が暴れるように「ぐわー」「むせる」「ゆるさん」とぎゅるんぎゅるんとうねっている。

 だが……この時、一部の視聴者がその意地悪に過敏な反応をしていた。


”…………”

”えっ、今煙草の煙を吹きかけた?”

”副流煙が心配だが”

”……いや、まさかそっち系の意味?”

”や ら な い か ”

”やめろナタ!! お前ナニヲするつもりだぁぁ!!”

”ナターシャ「ひゃーはっはっは、お前らの大事なオリガくんを視聴者の見ている前で辱めてやるぜぇぇ!」”

”アッー!!”

”興奮してきた///”

”逃げるんだオリガくんwww”



 何か先ほどからコメント欄の反応がおかしい。

 オリガもナターシャも首を捻る。


”あ、これはナタもやったことの意味が分かってないっぽい”

”いや、普通はそんなの知らないよw”

”昔の遊郭の人がやる誘い方だっけ”


 先ほども盛り上がってはいたものの、コメント欄を埋める盛り上がりは今まで以上だ。

 どうも煙草の煙を吹きかけるアクションに何か特別な意味があるのか、と思った


「あの。浅学なので知らないんですけど.

煙草の煙を吹きかけるのって何か意味があるんですか?」



”や ら な い か”

”ウホッ///”

”実はみんながコメントしてる通り、夜のお誘いだ”

”つまり、オリガくん。古風なやり方だが、君はナターシャさんに「」とお誘いをされた風に取れるわけなんだ”

”もちろん今じゃ廃れた風習だけと、意味は通るのよ”

”キャーエッチ―”


「「えっ……」」


 オリガとナターシャの二人は固まった。 

 オリガはひゅばっと反射的に飛びのき、その綺麗な目をふるふると震わせながら後ずさりした。

 今さらようやく上半身裸になっていることに気づいたか、襦袢を整えて胸板を隠す。まさに女色魔に対する反応だった。



 少年の目が見開かれる。

 驚きと困惑、羞恥。それらがごたまぜになって、信じられないものを目の当たりにしたようだ。

 困り果てたように視線を泳がせ、形良い唇がわなわなと震える。羞恥のあまりに耳まで真っ赤に染まり、薄薔薇色の頬も同様に恥じらいで赤らんだ。

 唇はきゅっと閉じられ、目線を合わすことさえできないでいる。意識してしまうからだ。

 オリガはいきなり一夜を共にしようよ、と誘いをかけられ、どう躱すべきか。どうするのが相手を傷つけず、視聴者を混乱させずに事態を収拾できるのかを出来の良い頭で解決しようとするが……様々な知識を身に着けた美少年も、男女間に関しては無知な思春期の子供と大差なかった。

 


「ウッ……」


 ナターシャはカメラやマイクでさえ拾えない小さな声でうめいた。

 胸の中を掻きむしりたくなるような興奮や喜び、思わず抱きしめたくなるような強烈で甘美な疼き。

 

”…………”


 コメント欄が沈黙している。

 絶世の美少年が羞恥や恥じらいに悶え、耳まで真っ赤にした姿はどう考えても演技ではなく。男女の性差関係なく思わず見入ってしまうほどに……こう、可憐だったのだ。


 ナターシャ=更級はのちにこの時の事をこう述べている。


『あの時ボクは女性であることを感謝した。

 もし男性だったなら胸の中に溢れ出る情動のすべてをオリガくんに注いでいただろう……そして万を超える視聴者の眼前で逮捕案件をやらかしていたね』


 と。

 まさか目の前の女の情緒がとんでもないことになっているなど想像もしていないオリガ。

 じり、じり……と後ずさる。

 それは例えるなら野良猫が人を警戒して距離を取る様な動きであり。

 その彼の震える唇と綺麗な目をもっと間近で見たくて進み出たナターシャだったが……そこでオリガの警戒心が爆発した。

 

 そのまま背中を向けて全速力で逃げ出したのである。


”……逃げたね”

”まぁそういうお誘い受けて一緒にホテル行く人はおらんよ”

”……エッチだったね”


「うん……お色気で負けた」


 コメント欄の台詞を横で見ていたナターシャも呆然といった様子でつぶやいた。


”お前w 認めんのかw 自分で認めんのかいw”

”まぁ…………でも気持ちはわかるぞ”

”相手が悪かった”

”同性相手にときめいたのは俺だけじゃないはず”


「……今日はすみません、アクシデントのため配信はお休みします」


”フォロワー数も爆上がりしてるし、冷静さも欠くだろうから無理もない”

”おやすみー”


 いつもならカメラに向かって投げキスの一つぐらい見舞ってやるところだが、今のナターシャ=更級は普段のアクションさえもできなかった。


 冷静を装おう無情上の下で、めちゃくちゃ動揺していた。 

 そわそわする。掌がむず痒い。じりじりとした妖しい官能が腰間で疼いている。

 あの真っ赤な顔をもう一度間近の、触れるほどの距離で見たい。


 配信を中止していてよかった。

 ナターシャは今自分がどれほどだらしなくて、はしたない顔をしているのか。

 兎にも角にもわかっている事は一つだけ。



「もう一度会いたい……」



 このまま山田オリガくんとの縁を途切れさせてはいけない。

 配信者としても、ナターシャ個人としても、このまま彼の人生に関わりのないまま終わるのは絶対に嫌だった。


 未だ彼女自身は自覚していないが、自分の人生を相手の人生にずっと絡み合わせたいと願う心。

 ナターシャは、自分でも驚くほどに萌えていた。

 



 その場から離れて少し。

 山田オリガ本人にとっても想像しえない事態が密やかに起こっていた。

 八つに結われた綺麗な黒髪……それらがまるで脈打つように胎動を始めたのである。先ほどぶっかけられた不愉快な紫煙。直接浴びた訳ではないが、ソレにとっては煙草のヤニの匂いは本能的に受け付けない不愉快な代物であった。

 まるで切り立った巨峰の山々一つがうねるような、力ある胎動。見るものがみればすべてを投げ出して逃げ出したくなるような異様な光景であった。


『へんなものをふきかけられた』『むせる』『ゆるさん』『ゆるさん』『ゆるさん』


『……でもかなり喜んでるよ』『おっぱいにはかてなかったよ……』『たたるのはやめとこう』


 だが……髪を依り代にするソレは、しばらくにょろにょろとうごめいていたが……己と繋がった少年の感情を受けてそのまま大人しく静まることにした。

 黒髪が変なことになってるとはつゆ知らず。

 特に何の問題も発生していなかったのでオリガは自宅に戻ることにした。

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