1-3

 来た! 来た来た!

 放課後が来たー!


「真野に会えるぞ!」


 ホームルームが終わってすぐに俺は駆け足で教室を出て校門を超えようとしていた。


 しかし、あと一歩で門から出るその瞬間、何者かが俺の後襟を引っ張ってきた。


「うわっ」


 思わず後ろ向きに倒れた俺の後頭部が引っ張ってきた人物の胸に収まる。衝撃はあまりなく、寧ろやわらかいような。そして、ふわりと香る、柑橘系の清涼剤の香り――。


 やっと自分の頭に当ってるものを理解しだした瞬間、今度は両肩を掴まれ押し出された。


「この、馬鹿ッ!」


 急に引っ張ったり、押し出したりして、極めつけの罵倒。一体、この無礼者は誰なんだと振り返る。


 目と目が合い、その人物の顔を見て困惑した。


「……あっ」

「……よっ」


 気まずい空気が流れる。


 俺の目の前には指で頬を掻く、才黒妃花さいくろ ひめかの姿があった。


 妃花は、俺にとってはいわゆる幼馴染であり、中学の頃は同じバトミントン部だった。


 俺は家の都合で高校では部活に入れなかったが、妃花は変わらずバトミントン部に入り同学年の中ではトップの実力と言われていた。


 バイト生活だった俺とバトミントン部で活躍する彼女ではどうしても会う時間が減り、いつの間にか疎遠の状況が続いていた。


 高校に入ってからは廊下ですれ違うくらいで話すこともほとんどなかったはず。その妃花がなぜ?


 どうやらさっきの胸に当ってしまった事故のことは、罵倒の一つで勘弁してくれたようで、妃花は笑みを向けて俺の隣に寄ってきた。


「今日、部活休みなの。くりゅーも最近バイト辞めたんでしょ? 久々に一緒に帰らない?」


「えっと……」


 どうしよう。これ、めちゃくちゃ断りづらい。


 いやでも、さっきまで俺は真野に会うために心を湧き立たせていたじゃないか!


 ここを断って真野のとこに行くのが男ってもんじゃ。


「その……今日じゃないとダメか? また今度、部活が休みの日とかでも……」


「きょ、今日じゃないとダメなの!」


「そ、そうか……」


 ダメなのかぁ。そっかぁ。


 よく見ると、妃花は頬が少し火照っていた。


 そういえば、俺は誰よりも早く教室を出てここまで走ってきたはずだ。こいつはわざわざ、一緒に帰ろうと走って追いかけてきたってことなのか。


「……あぁ、いいよ。じゃあ帰ろうか」


「ほんと!?」


 ――あぁ、押し負けてしまった。


 でも、妃花の顔はパァっと華やいでいる。


 そんな姿を見て、充実感を覚えながらも真野に対する罪悪のようなものがグサリグサリと心に刺さる。


 久々に並んで歩く帰り道でだったけど、どこかうわの空になってしまう。


 仕方ないことなんだ。焦らされたら焦らされるほど思いは強くなってしまう。


 それに、形として俺は真野と妃花を天秤において妃花を選んでしまったような状況だ。


 早く真野に会って彼女に尽くしたい。そうすれば、全部許される気がする。


「ねぇ。くりゅー? 聞いてるの?」


 隣を歩いている妃花が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。


「あっ、ご、ごめん。なんか疲れてるみたいでさ」


「あー、そういえば。今日、遅刻したって聞いたけど……。担がれて登校してて来たらしいじゃん。なんか、お祭りみたいだったってクラスの子が言ってた」


「マジか」


 やっぱり、変に目立ったよなあれ。下手したら全校生徒に知れ渡ってるんじゃないか?


「ね、ねぇ。くりゅー。なんか、あんた最近困ってることがあるんじゃないの?」

「ま、まぁ。ないことはないけど」


 ていうか、現在進行形で困ってるんだよな。


 こうやって二人で帰るのは昔みたいで懐かしい気分になれて少し落ち着く。

 でも、こうやって妃花と一緒にいながら真野に会いたいと思ってしまう。


 そんなことをボーっと考えてしまうことが妃花に対して申し訳ない。


 そして、いち早く真野のもとに行くことができないことも真野に対して申し訳ない。


 俺はどうすればよかったんだ?


「ちょ、あんた。なに、頭抱えてうねうねしてんの!?」

「あるんだよ、俺にもいろいろさ」

「……」


 そういえば、真野のことを妃花に話したらどう答えてくれるのだろうか。昔からの付き合いで、俺のことをわかってくれる妃花なら理解してくれるだろうか。応援してくれるかもしれない。


「くりゅー!」


 妃花が急に足を速めて俺の前に立ち、顔を向けてきた。


「あんたが、誰かに助けて欲しいって思うことがあったら、私は絶対に助けてあげるから。私は今もくりゅーの味方だから」


「お、おう。急になんだよ」


「う、ううん。別になんでもないの、ただ今の言葉は絶対に忘れないでよね!」

「……あぁ、わかった」


 なんとなく、妃花の言葉で彼女がもう真野と俺について知っていることを察してしまった。


 昔馴染みだし、久々の再開でもなんとなくわかってしまう。


 俺の味方と言ってくれたけど。この恋に敵も味方もあって欲しくはないんだよな。


「……ありがとうな、妃花」

「べ、別にぃ。あんたに何かあったら、妹ちゃんが可哀そうだし。それに、くりゅーって友達少ないもんね」


 少しいたずらな微笑み。妃花がいる視界は、いつもより明度も彩度も高く感じる。明るく爽やかで親しみやすい同級生の女子。


 軽井さんが高嶺の花だとすると、妃花は「お前誰が好きなん?」と聞かれた際に、一番多く名前が出るようなやつだろう。


 だから、俺も中学くらいの頃は妃花の笑顔にドギマギしていたこともあった。今となっては一周してこの笑顔を見るとなんだかホッとする。


「おいおいおい、友達少ないは余計なお世話だろ! それに俺にとってはバイトが忙しかったし遊びに行けないから、多過ぎるのも問題だったんだよ」


「あはははっ、図星じゃん。強がりに必死過ぎだよ」

「なんだと、この野郎!!」


 妃花が逃げるように走り、俺はそれを追いかけた。


 その一瞬だけ、妃花の背中がずっと一緒につるんでいた頃の小さな背中と重なる。


 もし、本当に俺が何かに追い詰められるようなことが起きた時は妃花を頼ってもいいかもしれない。


 昔からそうなんだ。妃花は俺が困っている時は助けてくれた。たとえ直接的な解決方法がない場合でも最後まで一緒に悩んでくれた。だから、ついつい甘えてしまっていたし、沢山助けてもらった。


「なぁ、妃花。相談とかじゃなくて一つ、話したいことがあるんだ」

「ん? 何?」


「俺さ、好きな人ができたんだ」

「……うん、知ってるよ」


「やっぱりかー」


 何かを考えるように空を見上げて数歩。妃花は、いきなり「どーん」と言って肩を俺にぶつけた。


「うおっと。危ないだろ!」

「ごめんごめん」


 そして、何もなかったように話題は切り替わり。最後は何でもないような話の後に、昔のように別れた。


「また明日ね」

「おう」


 今日はたまたま妃花の部活がなかっただけだ。


 また明日ってのは当分先になるんだろうな。

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