真理の塔

@peipei0726

第1話

真理の塔


レンズに映るその塔は、くすんだ茶色の岩肌に水脹れのようなふくらみが全体を覆っていて、とてもその名にふさわしくない外観をしていた。豊かな森と地表に露出した鉱石に彩られたこの惑星において、唯一の下等な存在に思える。リナは双眼鏡をおろして隣に立っている係員に向かい、

「これ以上塔には近付けないの?」

「それは駄目です。あれの正体についてまだ何も分かってないですから」

「それを調べに私が来たんじゃなくて?こんなに遠くから見ただけじゃ、なにも分からないじゃない」

「ドローンでの調査が終わったら許可が出るかもしれませんが、あまり期待はできないでしょうね。なにせ初めに派遣された調査隊員たちが皆ああなってしまった以上、慎重にならざるえませんから」

そそり立つ渓谷の間に敷き詰められた森。その木々の絨毯からほんの数メートルほど、場違いのようにひょっこり頭だけ出しているのが問題の塔だ。肉眼だとコーヒー豆ほどの黒い点でしかない。見た者を虜にする魔性の塔だと聞いていたが、さして美しくもなく恐ろしくもなく、奇妙でも特別大きくもない、まったくもってぱっとしない見た目にリナは少々失望していた。

塔が発見されたのは数ヶ月前、この惑星の調査が始まってから半年が経った頃だ。この惑星であのような地形は他になく、当時は未発見の生物の巣かなにかかと思われていたらしい。さっそく調査員が4名派遣されたが、出発から15日後、基地に帰還したの2名のみだった。生還した隊員の話では、残る2名は塔に取り憑かれたようにその場から離れようとせず、説得しても聞く耳を持たなかったらしい。とっくに食糧は尽きて餓死している事だろう。

「あんなものに取り憑かれるなんて、まったくわけが分からないですよ」ため息まじりにスタッフが呟く。

「精神に異常をきたす化学物質かなにかを放出しているのかしら。もしかしたら生き物なのかも。まあ、いずれにしてもそのうち正体が分かるでしょう。どんな超常現象でも、それが実際にあるのであれば科学的な根拠があるはず」

「それはどうだか…。まあ、そろそろ基地に向かいましょうか」


基地に向かう道、岩がごろごろと転がる悪路を8輪バギーはけたたましいエンジン音を喚かせて飛び跳ねるように進む。岩の間から顔をのぞかせる未知の植物をへし折りながら、運転手は「今から生還者に会われるんですか?」とリナに叫んだ。

「ええ!」助手席とシートベルトの間でピョンピョン跳ねながらリナも叫び返す。

「実は今朝、生存者のうち一人が逃げ出しましてね。どこを探して見つからないんですよ。たぶんあの塔に向かったんじゃないかって皆が言っていますが、私もそう思いますね。とにかく、残る一人は隔離して脱走しないように警備していますが、会う時には気をつけてください」

「じゃあ生還者も気が狂ったっていう噂は本当みたいね」

「気が狂ったというよりは…。まあ、実際に会ってみれば分かりますよ」

今それどころじゃないんだけど!リナは必死にシートベルトにしがみついた。


隔離室の扉の向こう、今となっては唯一の生存者がいると思うとリナは背筋にスッと緊張を感じた。ひと息ついてカードキーをかざすと、音もなく扉は左右にスライドして空間が現れる。隔離室は簡素なベットとテーブルに椅子があるきりで、そのテーブルには肘をついた男が力なく宙を見つめていた。頭髪は乱れ、数日間手入れをしていない髭が中途半端に顔の半分を覆っている。床には空になったウイスキーボトルが数本散らばっていて、気化したアルコールの刺激臭が鼻をついた。恐る恐る歩みよったが、男は肘をついたまま微動だにしない。

「はじめまして、私は塔の調査に派遣されたカワセリナ。ちょっと話を聞きたくて来たんだけど…」

男は虚ろな目を動かさずに無反応のまま、リナは戸惑い、重苦しい空気が部屋を満たす。

「あの…、話を聞いてもいい?」

男はやっと手を動かしたが、それは近くにあるウイスキーボトルを手に取る為だった。その時、チラリと見えた手首には生々しい傷があり、まだ固まりきっていない赤黒い血が滲んでいる事に気がついた。男はボトルを引き寄せると軽くゆすり、空っぽだと分かって床に落とす。カーンと高音が部屋に響き渡った。

(これじゃあ何も聞き出せないじゃない!)

リナはもう帰ろうかと思いはじめた時、

「椅子はあそこだ」

男は部屋の片隅を顎でしゃくった。

「話せるのね。頭がおかしくなったって聞いたから」

「頭がおかしくなった?」

男ははじめてリナに顔を向け、次の瞬間笑い出した。発作のように唐突に始まったその笑い声に、リナは思わず椅子を手に取ろうとしていた動作を止める。

「まあ、だいたい合ってるよ。塔に行ってから俺はイカれてる」

気持ちを落ち着かせ、改めて椅子を男の正面に置いて座る。

「どんなふうに?」

「そうだな。なんて言えばいいのか…、世界がまるで、なにかのジョークみたいに思える」

「…もうちょっと分かりやすく教えてくれる?」

「この部屋は部屋じゃない。あんたもたぶん人間じゃない。世界はよくできたハリボテで、この壁をぶん殴ったら中身は空っぽなんだ。どこを壊してもそれは同じ。みんな嘘でした!って具合にな。まあ、正確には違うが大体はそんな感じさ」

「ハリボテだからって、私を急に殴らないでよね」

「とりあえず、それは我慢しておくよ」

場を和ませるために言った冗談だったが、男の返答にはそうでないニュアンスが含まれているような気がしてリナは寒気を感じた。

「なあ嬢ちゃん。ほんとに飛びかかったりするわけじゃないから安心しろよ。そもそもあんたなんか、この壁と同じで俺にとっちゃどうでもいいんだ。あんたも嘘。部屋も嘘。テーブルも通信機も金も、なんだってジョークなんだ。…ったく、頭がおかしくなりそうだぜ。酒を飲んでも何をしても逃げ切れねえ。これを見ろよ」

男は服の袖をたくし上げ、むき出し両腕をリナの目の前に晒して見せた。ウイスキーを取るときに見えた生々しい傷は、腕の先から肩近くまで続いていた。

「俺にとってリアルなのは痛みだけだ。痛みは無視しようにも嫌が応なく意識を持っていく。こっちの気持ちなんか関係なしに、暴力的に、そこにあるんだと主張してくる。それが俺にとっての唯一のリアルで、救いだった。だから俺は気が狂いそうになるたびに自分を傷つけ、現実を取り戻した。でも今はそれさえない。ついには最後に残った痛みさえも俺は感じられなくなった。そいつもやっぱり偽物で、ジョークだったんだ」

「何もかも空っぽになってしまったのね」

「いいや、唯一そうじゃないものがある。塔さ」

リナは手に持ったペンを握りしめた。

「塔で何があったのか聞いてもいい?」

「かまわん。正直、俺にとっちゃあんたと話すなんて壁に向かって話しかけているようなもんだが、たまには壁に向かって話したっていいだろう」

男はむっくりと椅子に座り直し、顛末を語り出した。

「あれが見つけたのは俺の所属する惑星調査団第六班だ。ちょうどその時、俺たち第六班はこの基地の建設に取りかかったばかりで、調査に人出を割けない状況だった。それで俺を含む4人の少数部隊が急遽編成されたってわけよ。メンバーは隊長のスノウ、地質学者兼生物学者のケント、補佐のカリー、そして俺。全員男だった。出発してから5日ほどは、何ら問題なく歩いて移動した。最初は楽しかった。あんたも知っての通り、この星の自然は数ある星の中でもとびっきりに美しい。だから仕事と言うより観光に来た気分でちょっぴり浮かれていたんだ。皆同じ隊で顔見知りだし、会話もつきなかった。俺たちがこうして楽しく旅行している間、他の連中は必死に汗こいて基地の建造をやっていると思うと、調査部隊に入ってラッキーだと思ったね。俺は自然科学には詳しくないが、この星独自の法則にのっとった摩訶不思議な地形の数々には、さすがに心を奪われた。川は水底の鉱石を反射して赤く輝いていて、まるでドラキュラ城を見学している気分だ。ケントのやつは珍しい植物を見るたびに興奮しやがって、何度も皆を足止めしてはガラス瓶に植物を詰め込んでいた。カリーも自前のカメラで風景を撮りまくってたしな。とにかく、出だしは順調だった。

だが出発して1週間を過ぎたあたりから徐々に様子がおかしくなった。今思い返してみると、ちょうど塔が肉眼で見えるようになった頃だったのかもしれない。この星の風景が徐々に美しいとは思えなくなった。どんな色彩の植物を見ようが、どこか味気なく感じた。この星特有の縦に伸びる雲が上空を通り過ぎても、見向きもしなくなった。会話も減って、皆黙々と歩き続けるようになった。まだこの時はただ単に風景に飽きたのか、もしくは連日の行歩に疲れがたまっただけなのかと考えていた。丘を通り過ぎるたび、無意識に塔の姿を探している自分に何の疑いも持たなかった。

塔まで残り100キロを過ぎたあたり、ついに自覚せずにはいれらなくなった。周りの風景が無味乾燥に思えるのと反比例して、塔の存在が心を占めているという事に!進めば進むほど、有機物と無機物の判別がつきにくくなっていく。どれも同じ素材でできているように見えて、どこからどこまでが植物なのか石ころなのかも分からなくなる。世界は頼りなく、見せかけだけの嘘なんだと正体を現しはじめる。頬に当たるそよ風も、遠くから聞こえる小川のせせらぎや、土の香りだって、それっぽく見せる為の演出にしかすぎないんだ。何もかもが真実味に欠けていて頼りない。しかし塔だけは、まちがいなく存在する!なぜそう思えるのかは分からないが、おそらくは人間の感覚を超えた確信なんだ。木々の間から塔が姿を覗かせるたびに俺は安心し、はやく到着したいという欲求にかられた。他の隊員も同じ心境だったはずだ。ケントはいつの間にか未発見の植物を見ても、リュックを下ろすどころか立ち止まりさえしなくなっていた。誰も口には出さなかったが、早く到着したいという気持ちにいてもたってもいられなかったんだ。寝る時間は惜しまれるように短くなり、食事は最小限になった。隊長のスノウが言葉少なに指示する以外に、会話はなくなっていた。

そして、遂に塔に到着した。森を抜けると嘘のように草木一本も生えていない、だだっ広い砂地が半径1キロほど目の前に広がっていて、塔がその真ん中にのっそりと立っていた。それを見た俺たちは思わず立ち止まった。塔の外観はとても褒められた物じゃない。黄ばんでブヨブヨした姿はあんたも知っての通りだろう。しかし、俺たちにとって塔はこの世界において唯一の本物だった。ずっしりとした根本は地面に深く根を下ろしていて、そこから天に向かって突きあがったフォルムは神々しくすらあった。塔は有無を言わせない、どんなものよりも説得力があったんだ。

塔に見惚れている俺たちの中で、最初に動いたのはカリーだった。奴は荷物を放り出し、吸い寄せられるように塔に向かって駆け出した。それを見た他の隊員も後に続き、疲れを忘れて走り出した。ケントでさえリュックを放り出した。中に入っていた小瓶のコレクションはいくつか割れてしまっただろう。息を切らして塔に行き着くと、俺たちは危険を承知で迷いなく素手で触り、いとおしく撫でた。見た目に反して、塔のブヨブヨは触ってみると硬かった。突起物の輪郭を指でなぞり、その感触をうっとりと心ゆくまで感じた。あの時の満たされた気持ちといったら!今でも鮮明に思い出す。塔に比べれば俺の命なんて取るに足りないガラクタだ。この星の自然もそう。それだけじゃない、キリストも銀行も相対性理論も、これまで信じてきた世界は皆ジョークにすぎなかったんだと気付かされる。あの塔だけが唯一の存在であり、絶対なんだ。その安心感といったら!あんたには分からないだろうな。

俺たちは任務を忘れて塔に居座り、塔のそばで生活をした。首が痛くなるまで塔を見上げ、耳を当てたり、撫でまわしたり、抱きしめたりした。塔に触れていないと不安だったから、寝るときも片手を塔に触れたまま横になった。そうして数日が経った頃、食料が尽き始めた。ついに隊長のスノウが基地に帰ると宣言をして、俺たちは塔から離れる決心をしたんだ。心の底から離れたくなかったが、このままでは死んでしまうとも分かっていた。だがカリーの奴だけは言う事を聞かず、離れようとはしなかった。…あの馬鹿めが。あいつは塔から離れるくらいなら死んだ方がマシだと言ったんだ。自分がイカれているのは分かっている、でも離れられないんだと。説得した俺やケントも、カリーの気持ちは痛いほどよく分かっていたから、これ以上の説得は無駄だとわかって少しの食料を残して3人で帰路についた。正直に白状すると、俺は残ったカリーが羨ましかった。俺たちが戻ろうとする世界に果たして意味があるのか、自信がこれっぽっちも持てなかったからだ。

基地に向かって歩きはじめてから4日後、朝起きるとケントが消えていた。行き先は分かっていたから、残った隊長と俺は黙ったまま旅を再開した。帰る途中、もう元の自分には戻れないんじゃないかと不安で仕方がなかった。残念ながら、その懸念は当たっていたわけだ。今でもこうして抜け殻みたいな生活を続けている。世界は色を失ったまま、その中心に塔が居座り続けている。忘れようと努めても、頭の中から追い出せない」

「かわいそうに。幻想から抜け出せないのね」

リナはゆっくりと口をひらいた。

「だが、もし本当なのだとしたら?」男は苦しそうに頭をひっかく。

「俺の世界が本当で、あんたの方が幻想だとしたら?」

「もしそうだとしても、どうでもいいとしか思わない。それにあなただって自分がおかしくなってるって自覚しているんでしょう?」

「そうだよな、あんたの言う通りさ。俺はどうやら手遅れらしいな。ええいクソ!もう帰ってくれ。話すことはもう話した」

「わかったわ。話してくれてありがとう」

リナは立ち上がり、椅子を元ある場所に戻した。男は頭を抱えたまま動かない。部屋を出ようとした時、男はリナに向かって言った。

「あんたら、あれを調べようってんだろ?」

「ええ、そうよ」

「やめておけ。あれは人間がどうこうできるようなもんじゃねえ。…それと酒をもってこいと伝えろ!」

ビンを蹴り飛ばす音が背後に聞こえてリナは振り返ったが、男は静止したままだった。

廊下を歩きながら、リナは塔の写真を取り出して眺めた。

「せめてもっとカッコよければいいのに…」

思わずそう呟いてしまうほど、塔は相変わらずぱっとしない見てくれだった。

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