エピローグ没稿纏め

 大幅に書き直したため一応礼儀というかなんというか書き直す前の原稿をとにかく載せておきます。書き直した理由はしっくりこなかったのもあるけどエピローグ中にPVが途切れる事態が頻発したからです。





「わーっ、世界って思ったよりずっと発展してるのね! 見ると聞くでは大違いだわ!」


 決闘の3日後。学園外。プレイアズ王国市街。90年代に発売されたゲームなのでスマホや携帯電話、まだメジャーじゃなかったパソコンなどは登場しないが、冷蔵庫や洗濯機や電灯やポケベル等の電化製品は登場するそれなりに高度な文明レベルにも関わらず、一部の建物を除いて頑なに中世ヨーロッパ風を維持する世界観重視の街並みを眺めてバエルが顔を輝かせてそう言った。


 本来なら休日である日曜日を挟んで普通に授業が始まる予定だったラグナロク学園は、現在一時的に休学中だ。ゲームと同じ流れだ。学園長が上手くやってくれたらしい。日曜日、玄咲の指定した時刻、場所に赴いた学園長が雷丈家の悪行の証拠を掴み、その事後処理やらなにやらで学園長だけでなくヒロユキや一部教師まで駆り出され、生徒にも全く無関係ではなく、結局休学にしてその間に雷丈家絡みの問題を各々片づけることになったのだ。プレイアズ王国において雷丈家とはそれだけ大きな存在だったのだ。


 とにもかくにも休日。玄咲はどうしてもシャルナにプレゼントしたいあるものを購入するために街に出かけることにした。ついでに簡易召喚したバエルを伴って町の観光もさせている。


 現在玄咲のSDには岩下若芽などの上級生から根こそぎ奪ったバトルポイントが250万ポイント入っている。国が運営に関わっているラグナロク学園で稼いだポイントは街で普通に通貨として使うことが可能だ。だから懐の問題は一切ない。カップラーメンを目前にして買えなかった無様は二度と繰り返さないのだ。


「楽しいか、バエル」


「ええ! とっても楽しいわ! 玄咲、ありがとう!」


「そうか……俺は君の笑顔が見れてとても嬉しいよ。これからも時々こうして君に外の世界を見せてあげよう」


「うん! そういえば玄咲。さっきからあなた私と普通に会話しているけれど人目が気にならないの? 小声で延々独り言ブツブツ呟いてる凄く危ない人になってるわよ」


 バエルの指摘の通り玄咲は現在道行く人々が割れて通る危ない人となっている。独り言に加えてその鋭すぎる眼光が危なさに拍車をかけていた。ポケットに突っ込んでいる手が凶器を隠し持っているかのようにも見える。ラグ学の制服のブランドをもってしても誤魔化せぬ危険人物感。しかし当人は全く気にしていない。


「人目を気にするより気にせずバエルと会話する方が得だろう」


「……そうね。よく分かってるじゃない。ふふ、そりゃ気にならないわよね。だって私と会話できるんだもんね」


「ああ」


「――あら? ねぇねぇ、玄咲。あの店に入りましょう」


「書店か。いいぞ」


 玄咲はバエルと書店に入店した。そしてすぐに入口近くのテーブルに積まれてる本に興味を引かれて手に取った。


「漫画本か。CMAって本当文化レベルが滅茶苦茶だよな。そこがいいんだが。えっとタイトルは【レッド・アイズ】か……」


 漫画本を捲ってみる。どうやら異世界が舞台のようだった。主人公は狂気に呑まれた軍人。切れると目が赤くなるらしい。どこかで聞いた設定だ。主人公の名前は天城心咲。どこか玄咲と似た名前だ。そのストーリーもまた玄咲の人生を彷彿とさせた。そしてその異世界の名前は地球という名前だった。


 どう考えても地球時代の玄咲をモチーフにしているとしか思えない漫画だった。蒼褪めた顔で玄咲はバエルを見た。


「バエル、これ、なに」


「あらあら。玄咲そっくりな主人公。格好いいわね」


「格好良くない。気持ち悪い。ああ、よく考えたらバエルに聞いても仕方ないか。分かる訳ないよな。すまない、無茶振りして。応えられない質問をしても意味ないか」


「む。あなた、まだ私を甘く見てるわね。いいわ、頃合いだからネタバラシしてあげる。要するに」


 バエルが人差し指をずずいっと玄咲に突き付けて言う。


「この世界がCMAを元にした世界なんじゃなくて、CMAがこの世界を元にしたゲームなのよ」


「?? CMA開発者に異世界帰還者でもいたのか?」


「あなたにしては頭を働かせたわね。でも違うわ。人間にはね。他世界の情報を受け取るアンテナみたいなのがついてるの。この漫画も、CMAもそのアンテナから受信した他世界の情報をアイデアとして創作に落とし込んでいるのよ。アンテナの精度は人によって違うけどね。CMAの制作者はビンビンだったみたいだけどこの作者はシナシナだわ。名前から違っちゃってるんだもん。でも、良かったわね。あなたの一生は漫画になるくらい劇的で人の興味を引くものだったってことよ。創作になるってことは価値を認められたってことよ」


「なるほど。創作者が己の創作活動を自分は元から存在するものを掘り出しているだけと表現することがあるがそれは間違いではなかったってことか」


「そういうこと。つまり、この世界はゲームの世界ではない。純然たる異世界よ。電子の中の世界でも文字の上に浮かび上がる世界でもない。あなたの住んでいた地球と同じ、生命が息づき苦悩する実存する一世界なのよ。というわけでもうこの世界をゲームの世界などと思い込むのはやめてね。この世界に対する無礼よ? 玄咲」


「う……」


 玄咲は今まで、特に初日はこの世界がゲームの中だと思って行動してきた。その行動がいかに滑稽だったか翌日にはもう理解していたがバエルの説明を聞いた今となってはもう痛々しくしか思い出せない。実在する人間にあのような態度を取っては嫌われて当然だ。


 そして改めて思った。シャルナはどこまで自分に優しいのかと。そんなシャルナに、この世界に確かに存在しているシャルナ・エルフィンと言う堕天使に出会えて良かったと。全ての世界でも最も愛する存在を救えてよかった。失わなくて良かったと。


「……バエル。俺は本当に幸せ者だよ。だって」


「だって?」


「シャルと出会えた。やっぱり俺はこの世界にシャルと出会うために転生したんだ。バエルの話を聞いて改めてそう思ったよ。シャルは生きてるんだな。当たり前だけど、生きてるんだな……ああ、幸せだ……」


「……玄咲」


「なんだ」


「決闘後、あの子と何かあった?」


「……」


 玄咲は押し黙った。思い出すのは決闘後、シャルナにキスをされたあの瞬間の記憶。ばっちり、何かあった。けれど、それを正直にバエルに話すのは躊躇われた。謎の警鐘が頭の中に鳴ってやまないせいもあるが、なによりあの記憶は玄咲とシャルナの二人だけの宝物にしておきたかった。バエルにも言えることと言えないことがあった。


 だから玄咲のバエルに対する返答は具象をぼやかしたどこまでも曖昧で意味深な物言いになった。


「お互いの信頼を深め合った。それだけだ」


「やったの!?」


「そんな訳ないだろ!?」


 思わず大声を出してしまった玄咲を書店の客・店員が怪訝な目で見る。流石に恥ずかしさを覚えた玄咲は漫画を畳み、そそくさと店を出てバエルに小声で言う。


「決闘後、俺はシャルをシャルの部屋まで連れて行ったんだ。そしたらシャルはベッドに倒れて1秒で寝てそれきり起きなかった。だから俺もシャルに布団をかけてから自室に戻って寝たんだ。それだけだよ。もし起きていたとしてもやるわけないだろ。そりゃ、ちょっとは興味あるけど、そんな穢らわしい行為シャルとできないだろ……」


「穢らわしいって……ああ、あなたはそういう性格だったわね。間違いなんて起こりっこなかったわね。ああ、心配して損した」


「なにを心配したんだ?」


「……別に。またあなたが生き恥を晒してないか心配しただけ」


「流石に俺も少しは成長したんだ。そうそう生き恥は晒さないよ」


「うん。確かに少し成長したわね。魂格レベルも大幅に上がってるしね」


「あ、そういえばまだ確認してなかった。今俺何レベルなんだろう」


 玄咲はSDを操作してステータスの項目を開いた。


 天之玄咲

 魂格50


「……大分レベル上がったな。1学期で上げておくべき目安まで1日で達してしまった。レベル差があるほど経験値はたくさん入るからな。流石サンダージョー。レベル93なだけは――バエル」


「なに」


「今ナチュラルにゲームの感覚で話してしまったんだがこれも改めた方がいいのかな」


「いいんじゃない? CMAの知識も使いようよ。製作者のアンテナが鋭かったのね。ゲーム的な仕様に落とし込めていないところもあるけれどかなりの精度でこの世界の再現を行えているわ。参考にする程度なら十分メリットがあるわ。要は依存しなければいいのよ。もし不安なら私に聞いて。この世界とのギャップが大きければ正してあげる」


「ありがとう。バエルには助けられてばかりだな。決闘だって君がいなければ負けていた。本当に君は、俺の……うーん、天使ってのは、なんかバエルにはしっくりこないな。相棒?」


「相棒、いい言葉ね。うん。しっくりくるわ。私は玄咲の相棒よ。でも……ねぇ、玄咲。私のこと、愛してる?」


 しおらしく上目遣いでバエルが聞いてくる。その女の子らしい仕草にドキリとしながら玄咲は本心で答える。


「ああ、愛してる。……俺は永遠に君を愛するよ。君が望むなら地獄にだって一緒に堕ちよう。まぁ、俺はどうせ地獄行きだからどちらかといえば同伴してくれという誘いになるのかもしれないがな。よく考えたら俺にとってご褒美だ……あ、そうだ」


「なに?」


「もし封印が解けなかったら一緒に封印されるよ。そしたら少しは寂しくなくなるだろう?」


 名案を思い付いた。そんな表情でバエルに提案する玄咲。それは素敵ね! そんな返答を期待して。


 バエルは立ち止まって――というより浮き止まって一言も発さない。


「……」


「バエル? ……もしかして嫌だったか?」


「違うわ。呆れてるの。……あなた、どれだけ私を愛しているのよ。馬鹿だわ。馬鹿」


「馬鹿でも、本気だ」


「っ!」


 バエルが一瞬泣き出しそうな表情を浮かべる。気のせいだろうと玄咲が思うほどの一瞬、しかし確かにバエルは感涙にむせびかけた。プライドが高いバエルは泣くことを惰弱、無様と断じてそんな表情を決して玄咲に見せようとしないが。


 本当は玄咲の胸にすがりついて泣きたいくらいバエルは玄咲の言葉が嬉しかった。


「……愛、か。それも、悪くないわよね」


「ああ、愛と平和があれば他にはなにもいらない。いらないんだが……やっぱりこの世界でもそんな理想は叶わないらしい。いきなり、あれだよ。バエルがいなかったらどうなっていたことか……」


「うん。そうね。私にもっと感謝しなさい。……愛と、平和、ね……案外、こういう時間のことをそう言うんじゃない?」


「バエルも、そう思うか?」


「うん。私ね、思ったより愛されるの好きだったみたい。クロノスが愛愛うるさいの昔は理解できなかったけど今なら少しわかるわ」


「そうか。今、そう思ってくれているならとても嬉しいよ。俺は君にそういう感情を与えられているんだな……」


「ええ。……相棒、か。ふふ、当分はそれでいいわ。玄咲が私を愛してくれるなら、それで。うふふ、えへへ……」


 心底嬉しそうにだらしなく口角を緩めるバエル。バエルのここまで無邪気な表情を玄咲は初めて見た。普段の性格とのギャップに玄咲の心臓がドクンと跳ねる。ゲームの頃から、あるいは当時の最愛の天使のクララ・サファリアよりも大事にしてきたバエル。そのバエルのことも、玄咲は好きで好きでたまらない。


 けどやはり、玄咲の心の一番を占めるのはシャルナだ。誤魔化しようもなく一番だ。もはやどうしようもないくらいに玄咲はシャルナ・エルフィンに心を掴まれていた。


(まぁ、バエルの好意はあくまで精霊としての一線を引いた好意だからな。バエルも明言していた。恋愛的な意味では全くこれっぽちも愛していないと。愛に飢えてるせいでやたら愛を求めるが、それだけだ。相棒以上の関係に発展することは一生ない。――痛い言い方をすればバエルは攻略対象になりえない。やっぱり俺にはシャルしかない。それに、もし、バエルが攻略対象だとしても多分俺は――)


「お、見えてきたか」


 玄咲の目的地が近づいてくる。プレイアズ王国の王城周辺の活性地域から少し外れに立地する入口の暖簾に一文字ずつ、金、星、と書かれた万屋【金星かねほし】。とにかく金の欲しい店主が、カード、AD、そしてカップラーメンまで、とにかくせわしなく何でも取り扱っている店だ。ゲーム通りならシャルナへのプレゼントを打っているはずの店。


「売ってると良いんだが」


 敬愛してやまないCMAの開発者のアンテナの精度を信じながら玄咲は暖簾を潜っ




【サンダージョー、死す】


 本日未明、プレイアズ王城前の断頭台でサンダージョーの公開処刑が執行された。断頭台前の広場には国中から国民が集った。サンダージョーは公開処刑の間、浴びせかけられる罵声に一言も言い返さず沈黙を守り、プライア女王がギロチンを下ろす直前に一筋の涙を流した。死刑執行の瞬間には地を震わすほどの大歓声が上がった。


 雷丈正人はゴルド・ジョンソンと共に魔符警察署内で今尚取り調べを受けている。亜人貿易、天使売買、府警買収以外にも紙面に列挙し切れないほどの余罪を両名及び雷丈家の重鎮は犯していた。加えて精霊王のカードを失った雷丈家の取り壊しは既に決定しており、その悪名と魔工技術力をプレイアズ王国のみならず世界中に轟かせた雷丈家もついに終わりの時を迎えた。その下手人はやはりマギサ・オロロージオだった。


 また、エルロード聖国の重鎮のブートン大公はプレイアズ領地内で捕らえたためプレイアズ王国で処断することとなった。プレイアズ王国はブートン大公の国際法違反の咎をエルロード聖国に厳しく追及していく構えであり、国際的立場の好転は間違いないと――





「うむ。ハッピーエンドだ」


 ガラス窓にもたれかかり足を組んだ行儀の悪い体勢で手首にビニール袋をぶら下げてラグマで購入した新聞を祈るような気持ちで読んでいた玄咲は、記事の内容が求めていた内容だった事実に思わず相好を崩した。天使売買だの精霊王のカードを失っただのゲームでは存在しなかった情報が並んでいるが、この世界はゲームではないのでそのくらいの差異はあってしかるべきだろう。ゲームと同じように雷丈家が壊滅してくれたのだからそれだけでいい。シャルナにも知らせてやろうと玄咲がラグマを発とうとしたその時、


「おはよ、玄咲」


「む」


 丁度新聞から顔を上げたタイミングでシャルナが話しかけてきた。新聞に夢中で接近に気づかなかったらしい。


「おはよう。シャル。というかもう夜だからこんばんはか」


「そだね。……私、ついさっき起きた。ほとんど丸二日、寝てた。起こしてくれれば、良かったのに……」


「そんなことはできないよ。よほどベッドで寝たかったんだろう。シャルの言う通りベッドに案内するなり倒れ込んで寝てしまったじゃないか。休みたいときは休むべきだ。だから布団を被せて部屋を去ったんだ」


「うん……ベッドで寝たかったの。勢いのまま、ベッドで寝たかったの……」


「ああ。寝れて良かったな」


「…………うん」


 あまりよく思っていなさそうな顔で頷くシャルナ。丸2日は流石に寝すぎたと思っているのだろう。玄咲も寝すぎて後悔したことはある。CMAをしながら寝たらポケットボーイの電池が切れて未セーブのデータが吹っ飛んだのだ。何となくだが、シャルも寝る前にやっておきたかったことがあるのだろうなと玄咲は直感した。


「――ん?」


 ふと、違和感を覚える。そしてその正体に玄咲はすぐに思い至った。


「シャル、以前より台詞がスムーズに喋れてないか?」


 気づいてみれば瞭然の違いをシャルナに指摘してみる。シャルナがやっと気づいたか、みたいな少し得意げな笑みで頷く。


「うん」


「どうして、なんだ」


「吹っ切れたみたい。あいつのこと」


 言い切るシャルナの笑みに陰はない。いつも付き纏っていたどこか陰鬱な白い闇の気配が奇麗さっぱり消え去っている。すっきりしている。天使のように白い笑みだった。


「この喋り方、半分は精神病、みたいなものだったの。で、その病巣が消えたから、少し改善したみたい。話しやすいっ」


 シャルナは可愛らしく語尾を弾ませる。よほど嬉しいらしい。玄咲もまた、声を弾ませて返答した。


「そ、そうか! 良かった、良かったな! シャル!」


「うん! 良かった! 玄咲の、お陰だよ。ありがと、ね」


「……ん? なんか、以前みたいに、短く区切るな。改善したのでは」


「んー……もう、この喋り方に、慣れ過ぎてて、ね。正直、こっちの方が、しっくり、くるの。テンポ、とかさ……でも、使い分けれるように、なったのは嬉しいよ。長い台詞を、ある程度一気に、喋れるからね。幅が広がった、って思ってもらえたら、いいのかな? 玄咲は、どっちが好き?」


「前の方」


 玄咲は正直に答えた。シャルナの途切れ途切れのたどたどしい特徴的な喋り方に玄咲はすっかりと愛着を抱いていた。シャルナは玄咲の返答の躊躇いのなさに一瞬言葉を詰まらせた。


「そ、そうなんだ……じゃあ、そっちに、合わせよっかな……なるべく」


「そういえば、シャル」


「なに?」


「これを読んでくれ」


 玄咲はシャルナにプレイアズ新聞を渡した。【サンダージョー、死す】の見出しで始まる一面記事を読み終えて、玄咲に新聞を返してから、シャルナはポツリと言った。


「そっか、あいつ、本当に、死んだんだ」


 シャルナは感慨深げに溜息を吐く。強く玄咲は頷いた。


「ああ、2回死んだ。俺たちとバエルに殺されて、最後は法に裁かれて。そうなることが分かっていたからシャルにサンダージョーを殺させようと思った側面もある」


「そうなの?」


「ああ。殺したって実感を濁らせたらいけないからあえて言わなかったがな。……これは完全な俺のエゴだが、あまり後を引くような復讐にはさせたくなかったんだよ。法に裁かれたって大義名分があれば少しは割り切りやすくなるんじゃないかと思ったんだ」


 CMAの主人公の大空ライト君がそうだったから。初めての人殺しを、カードを見てもワクワクしなくなるほどの罪悪感を、そうやって乗り越えたから。


 シャルナも、そうであって欲しいと玄咲は思った。


「そこまで、考えてたんだ。……まぁ、確かに、ちょっと、気分、マシになったかな」


「そ、そうか、それなら良かった! ……でだ、その、シャル」


 玄咲は少し躊躇いながら――恐れながら、聞いた。


「……サンダージョーを殺して、今どんな気分だ?」


「すっきりしてるよ」

 

 シャルナはあっけらかんと答える。その躊躇いのなさに玄咲は呆気にとられた。


「……それだけ?」


「うん。……そりゃ、少しは、引きずってるよ。引き金って、確かに重いね。まだ指に、感触が残ってる。バエルって精霊が、殆どやってくれたのに、この指に、彼女を撃った感触が、サンダージョーの、命を奪った実感が、宿ってる。……不思議、だね。そして、玄咲の言ってた通り、重いね。一生、残る、かも」


「う……そうか。そりゃ、そうだよな……」


 シャルナの実感を伴った言葉に玄咲は罪悪感を刺激される。シャルナにサンダージョーを殺させたのは間違いだったのか? 一瞬、そんな血迷った考えさえ抱く。


「でもね」


 けれど、それでも、シャルナは笑ってくれる。


「だからこそ、吹っ切れたの」


 玄咲の蒙昧を吹き飛ばすかのように。


「もう、大丈夫」


 いつも、いつも。


「すっごく、重い。けど、だからこそ、その重みに吊り負けてね、黒い感情、引っこ抜かれちゃったの。だから、心の中、軽い!」


 シャルナは「ん-っ……!」と腕を天に向けて伸びをする。


 シャルナの白い輪郭が夜空の中で際立つ。


 黒い世界の中でどこまでも白く。


 シャルナは両手を広げて笑う。





「また、背中に、翼、生えたみたい!」




「――そうか」


 玄咲もまた、笑った。


「よかったな。シャル」


「――――」


 シャルナが手を広げたまま目を見開いて玄咲を見る。玄咲は少したじろんだ。


「ど、どうした」


「――そんな風にも、笑えるんだね」


「え?」


「凄く、自然で、穏やか」


「……そうかな。俺は、普通に笑ったつもりなんだけど」


「そうだよ。……それにね、凄く、可愛い」


「か、可愛い?」


「うん。可愛い。……玄咲は、いつも、私に、とっては、可愛い、けどね。今のは、とびきり」


「シャルには俺がそんな風に見えていたのか?」


「うん」


「……どこが、可愛いんだ?」


 真剣に疑問に思って玄咲は問いかけてみる。シャルナは手を下げ玄咲に向き直って新聞を返してから答える。


「いつも、必死なところ」


「……まぁ、必死だよ。必死でないと生きてこれなかった」


「凄く、ドジなところ」


「……ドジ、というか、頭が悪くてな。いつも何かを見落としてしまうんだ」


「本当は、凄く優しくて平和主義者なところ」


「……楽園ってのは争いがなくて愛に満ちた世界なんだ。俺はただ楽園に憧れているだけなんだ。憧れに近づこうとしてるだけなんだ……」


「全部、全部ね――大好き」


「――――」


 可愛い、という言葉を予期していた玄咲は不意を打たれて硬直する。シャルナが真っすぐ玄咲を見つめる。


「あのね、玄咲。決闘前日、言ったよね。決闘が終わったら、私の本当の気持ち、ちゃんと言うって」


「――ああ」


「今、言うね」


 玄咲の心臓が跳ねる。ついにこの時がきたかと。


「――えっと、あ――」


 シャルナが口を開きかけて、閉じ、また開きかけて、また閉じ、その動作を繰り返す。告白しようとしてはその度に躊躇っている。シャルナはとうとう、頬を赤らめ、唇を震わせて、玄咲と視線すら合わせられなくなる。瞳の端に涙すら滲み始める。どうしても、あと一歩勇気が出ない。一線を越えられない。そんな様子だった。


割とどんなことでも飄々と言ってのけるイメージをシャルナに持っていた玄咲はその様子を少し意外に思った。が、すぐに思い直す。


(――いや、無理もないか。なにせ告白だ。CMAならエンディング対象――結婚相手が決まる程の重大イベントだ。いくらシャルといえど緊張するのが道理だろう。――よし、覚悟完了。ここは俺から――)


「シャル」


「な、なに、かな……」


 赤らんだ顔を背けたままか細い声で答えるシャルナに玄咲は躊躇わず告白した。


「愛してる。結婚して欲しい」


「ひゅっ――!?」


「俺はシャルが好きだ。大好きだ。世界で一番愛してる。そして、世界中の誰よりも愛してる――天之玄咲は、シャルナ・エルフィンという堕天使族の少女のことが、大好きだ。一生一緒にいたい。そう、思っている」


「え――ひゃっ、ひゃんっ――」


 ――湯気が立つほどに、かつてないほどにシャルナの顔が真っ赤になる。玄咲は自分でも相当なことを言った自覚があるので、シャルナのその反応もまぁ当然だろうなと思った。玄咲自身も相当気恥ずかしい。だが、玄咲の方からこれだけ真っすぐ気持ちを伝えれば断られる心配がないと分かって、シャルナも告白しやすくなったはず――玄咲はシャルナを真っすぐ見つめて、その返答を待つ。


「あ、ああああの、ね。わ、わわ私ね、玄咲の、ことがね」


 シャルナが、視線を激しく右往左往させて、さらに詰まりまくりながらも、とうとう言葉を紡ぎ出す。気遣いが利いたようだと玄咲はほっとした。


「あ、あの、ね。私ね、玄咲の、ことがね」


「う、ん」


「げ、玄咲の、ことが、ねっ」


「うん」


「げ、玄咲の、こと、を……が……を……」


「……うん」


「……玄咲の、こと…………こと、こと……」


「…………」


 シャルナは中々明言してくれなかった。玄咲は段々不安になってきた。もしかしたら別の意図があるのではないかと。希望と絶望の二重エンジンで稼働する心臓が段々と痛み出す。


 シャルナがとうとう玄咲に視線を合わせる。


 そして、言い切った。


「あの、ね! 私! 玄咲の、ことが! ね!」


「! う、うん――――!」





「好――大事な、お友達だと、思ってるのっ!」





(――――――――うん、分かってた。そんなオチだって……)





 玄咲は放心して口から魂を吐きかけた。心のどこかでシャルナと恋人なんて都合が良すぎると希望側の未来予想図を否定し続ける自分がいた。だから案の定だと思った。それでもショックなことに変わりはなかった。シャルナを見る。顔を蒼褪めさせて震えていた。玄咲の過剰過ぎる期待を裏切ることに罪悪感を覚えているに違いなかった。玄咲自身自覚している重すぎる好意を断るのは相当な勇気のいる好意だっただろう。シャルナの勇気を思えばいつまでもショックを受けてはいられない。玄咲は気持ちを立て直して――一夜城並にガタガタの基盤だが――シャルナに向かい合って言った。



「――シャルが友達だと言うのならば俺たちの関係は友達で良い。少しもシャルを責める気はない。だからまずそこは安心してくれ」


「え、えっと、あー……うー……うん……」


「だが俺にシャルを諦める気持ちはさらさらない。それだけ言っておく。――君の想像の100倍は俺はシャルを愛している。どうしようもなくシャルに狂っている。いつか必ず、そんな気持ちで友達でい続ける。それくらいは許して欲しい。駄目だと言っても多分俺の気持ちは変わら」


「う、うん! 全然いいよ! それで、いい! それが、いい!」


 シャルナは食い気味に肯定してきた。おそらく罪悪感が折衷案に飛びつかせたのだろう。玄咲は己の好意にシャルナの許可を得てホッとした。


「そうか。それじゃ、俺たちは今日から友達だ。――シャル、愛している」


 最後にもう一度だけ告白した。迂遠に断られてなお溢れる思いをどうしても伝えずにいられなかったから。


 シャルナは俯き、さっきまで青かった顔を今度は赤くして言った。


「わ、私も、愛してる……」


「!」


「と、友達と、して……」


「……うん。そうだよな」


「う、うぅ……」


 シャルナが呻く。やはり好意の押し付けはシャルナを困らせるだけのようだった。玄咲は今日はもうこれ以上一緒にいない方が互いのためにいいと判断してシャルナと別れることにした。玄咲にも虚勢を捨てて家で落ち込む時間が必要だったから。


「それじゃ、俺はこれで……」


「あ――玄咲、ちょっと、待って」


「? なに――」


 声をかけられ振り返った矢先。


 シャルナが何のためらいもなく顔を近づけて。


 玄咲の右頬に唇で触れる。


「――シャ、ル?」


「――お友達、だけどね。これくらいの、ことは」


 呆然と右頬を押さえる玄咲にシャルナが頬を紅潮させてはにかむ。


「いつでも、して、あげる。して欲しく、なったら、言って?」


「――シャル」


「なに?」


「それって、友達なのかな?」


 反射的に口をついて出た玄咲の本音に、シャルナは笑顔を崩して眼を逸らした。


「――う、うん。お友達、だよ。私が、そう言ってるん、だから、間違い、ないよ?」


「!」


 玄咲は納得した。


「そうだな。シャルがそう言ってるんだから間違いない。生まれて初めて経験するこれが、男女間の友達関係か……」


「うん。それとね、耳貸して」


「え?」


 シャルナが今度は玄咲に近寄って耳打ちする。


「1年後、期待、しててね。玄咲の、喜ぶこと、してあげるから」


「!?」


「それだけ」


 意味深なことを告げてさっと離れるシャルナ。その顔には少し恥ずかし気な、でもそれ以外はいつも通りの悪戯っ子の笑み。シャルナのことが玄咲には未だよく分からない。あんなにも一つのことを言い淀んでいたかと思えば、軽やかに大胆なことをしたり、言ってのけたりする。そのギャップの中身が玄咲の眼には未だ透明なままだ。


 もっと知りたいと思う。知らなければならないと思う。そしてそう思うということは、やはりシャルナと付き合うのはまだ時期尚早だったということだろうとも。互いに互いのことをまだ知らなすぎる。それでは恋人にはなれない。恋人という関係性は神楽坂アカネという例外を除いて信頼度を深め合うイベントの積み重ねの先にのみ存在する至高の結末。リアルな恋愛をCMAで幾度も繰り広げた玄咲はその学びを今更ながらに思い出した。


 この世界はゲームの世界ではない。しかしCMAから学んだことは玄咲にとってあまりにも多い。完全に切って捨てることはおそらくできないのだろうと思いながらも、それでいいのだろうとも思う。CMAの知識のお陰でシャルナを助けることもできた。現実との差異をしっかり認識していれば十分に役に立つ。これからのこの世界での生き方をこの1週間で玄咲は何となく掴んだ。この世界を現実だと認識しつつ、ゲームの知識をギャップに気を付けながら活用していき、学園でレベルを上げカードを手に入れADを強化し、そして符闘会で優勝して、シャルナを救う。それが玄咲がこれからやるべきことだ。よく考えたら、少なくとも符闘会までの向こう1年間は、浮かれて恋人遊びなどしている暇はないなと玄咲はふと思った。


(プレゼントとかも買いはしたが、ちょっと浮かれすぎてたかな……あ)


「そうだ。シャル、これ、プレゼントだ」


 玄咲はすっかり存在を忘れていたビニール袋をシャルナに手渡す。シャルナがごそごそと中身を取り出す。


「プレゼント? 何かな――わ!」


 シャルナが取り出した黒と赤の縞々模様の縦型のカップ容器――月清のカップラーメン【ヘル・シーフード味】を見て快哉を上げた。


「すごい! これ、激レアなんだよ! どこで、見つけたの!?」


「ふふ、学園外の一見カップラーメンを売っていなさそうなマイナーな店を狙い撃ちで訪れて手に入れてきたんだ」


「すごい! すごい! 夢にまで、見た、ヘル・シーフード、味だ!」


 シャルナは本当に嬉しそうにカップラーメンを抱きしめている。プロフィールに書かれていた好きな食べ物カップラーメンという情報は確かなようだった。玄咲は心がポワポワしてきた。


「ありがとう! 玄咲! 一生、大事に、するね!」


「!? 食べてくれ! そのために買ってきたんだ!」


「あ、ご、ごめん。じゃあ、今度、一緒に食べよ? この前、みたいにさ。カップラーメンは、一緒に食べた方が、美味しいん、だよ」


「……そうだな。じゃあ、今度一緒に食べようか」


「うん!」


 シャルナが大きく頷く。シャルナが生きて、笑顔を自分に向けてくれている。当分はそれだけでいい。それだけでも十分幸せだ。玄咲はごく自然にそう思えた。無論、恋人にはなりたい。でも、シャルナが隣にいるのなら友達だろうと恋人だろうと世界は楽園だ。いつかは必ずシャルナと――心の奥底にそんな気持ちは絶えずある。だけど、急ぐ必要はない。


 学園生活はまだまだこれからも続くのだから。


「――でも、いいの?」


 シャルナがカップラーメンを抱きしめたまま、申し訳なさそうに言う。


「こんなもの、貰っちゃって。私、これに見合うもの、なんて、返せないよ?」


「以前、普通のシーフドラーメンをくれただろう。それとこれでチャラだ」


「あんなの、借りに、思わなくて、いいのに」


「俺も同じ気持ちさ。こんなの、借りになんて思わなくていい。俺はシャルと対等でいたいんだ」


「対、等?」


「ああ」


 コクリ。


「上でも下でもなく隣にいたい。だから、だからカップ麺だけでなく、今までの全ての行為を借りになんて思わないでくれ。シャルは優しいから、こうでも言わないと多分引きずるだろう?」


「……うん。私、何をしてでも、返さないとなって、思ってたよ。正直、ね」


「なら、そう思わないことが一番の借り返しだと思ってくれ。新しい人生が始まるんだ。今までのことなんて全て忘れてしまった方がいい。俺もなるべく忘れることにした」


「……だから、今日、なんか、玄咲が、明るく、見えたんだ」


「そうか?」


「うん。全然、違うよ」


「――だとしたら、それはシャルのお陰だよ。シャルが俺を赦してくれたお陰で、俺も自分を少しだけ赦せるようになったんだ。その影響だと思う。だからシャル――ありがとう」


「――うん!」


 シャルが頷く。その笑みは眩しい。天上の笑みだ。天国に行くものの笑みだ。地獄に行くものとはまるで違う。玄咲はとは根本的に存在の本質が違う。シャルナと玄咲は一生を共にしたところで死に分かたれる運命だ。シャルナとは永遠を共にすることはできない。バエルとはすることができるかもしれないが。


 けれど、もう玄咲は気にしない。


 地獄に落ちるなら地獄に落ちるまで、この楽園の夢を謳歌すればいい。生を楽しめばいい。


 死んだ後のことなど考えても何にもならないのだから。


「じゃあ、俺はもう帰るよ。今日は帰ってバエルとカード図鑑を読む約束があるんだ。0からこの世界について学び直そうと思ってる。特にカードについてはゲームと現実の効果のギャップが大きいからな」


「え?」


「それじゃ、さようなら」


「あ、ああ。うん。さようなら」


 手を振って見送ってくれるシャルナ。しばらく帰路を歩いた後、ふと、言い忘れていたことがあったなと思い出し、玄咲はシャルナ振り返った。遠くラグマの前にいまだ佇むシャルに向けて、大声で、


「言い忘れてた、シャル――また、学校で!」


「――うん! また、学校で!」


 シャルナもまた、口に手を当てて大声でそう言い返してくる。 


 玄咲は笑顔で頷き、バエルとの約束が待つ家への帰路を1人、暖かな気持ちで辿っていく。






 シャルナは昨日変わった夢を見た。


 赤い世界の夢だ。


 血と炎に塗れた世界。輪郭のぼやけた、でも残酷だってことだけは嫌というほど分かる世界。


 その世界で、醜悪な姿をした4人の男たちに囲まれて、昔のシャルナそっくりの、黒髪黒目の女の子が泣いている。どうやら家族をその男たちに殺されたらしい。少し前の惨劇の光景が重なって見える。少女は少しませているらしくこれから自分がどうなるか十分に分かっているようだ。世界は地獄だ。そう絶望している。


 女の子が恐怖で発狂する。大好きだった、死んだパパへと助けを求めて叫ぶ。気の荒い男がキレて、また女の子を打とうとする。女の子の顔が恐怖で引きつる。


 突如として炸裂音が鳴り響き、気の荒い男が首から血を噴いて倒れた。


 アルアルした男となよなよした男も続けて。少女が後ろを振り返る。その時、また炸裂音がして。


 4人の男たちと同じような、しかしもっと立派な服に身を包んだ男が頭頂部を晒して倒れ行く姿を少女は見た。


 少女は絶望した。4人の男はまだ一人残っている。一番大柄なコフコフ男が、後ずさる少女に近づきスカートの中に手を侵入させて、下着の中にまで手を入れてきて、少女が誰にも触らせたことのない部分を撫で回してきて――。


 その時、地を踏み砕くような足音がした。それからあっという間にコフコフ男は殺され、立派な服の男は倒した男たちの死体を順に漁って、少女が一番嫌いななよなよ男に唾を吐き掛けて、蹴って、そこでようやく我に返った少女が声をかけると、立派な服の男は振り返り――


 悪魔のような赤い瞳と眼が合った少女が恐怖に悲鳴を上げて。


 そこで夢は終わった。


「……あれって、やっぱり、玄咲、だよね」


 シャルナは確信を籠めて呟く。あんな綺麗な赤い眼をした人間が他にいるはずがない。それに身に纏う雰囲気も、顔立ちも、玄咲そっくりだ。間違いない。


 だとすればあの赤い世界の夢は夢などではなくただの魂の記憶なのだろう。


 あの昔のシャルナにそっくりの少女はきっと前世のシャルナなのだろう。



 そしてシャルナとは絶対的に別の存在なのだろう。



「……だって、あの子は、怖がったもん。醜いとさえ思ってた。私の大好きな、あの赤い瞳を」


 そんな子は自分ではないとシャルナは思う。感性が違い過ぎて受け入れられないと、シャルナとは別人だと。あの子はファザコンでシャルナはマザコンだし、赤い瞳への感想が何よりの決定打だ。生まれた世界が、育った環境が違い過ぎるのだろう。少女の視点で夢を見ながらも、別人の視点を借りてる感覚にしかシャルナはならなかった。


 シャルナは、シャルナだ。シャルナ・エルフィンだ。エルナ・エルフィンのただ一人の娘で、他の誰でもない。そこに余分な混ぜ物など必要ない。シャルナはシャルナであることにそれなりに誇りを持って生きている。


 だから、今さら、実はあの少女でしたと言われところでシャルナには困惑しかない。シャルナをシャルナの人生を送ってきた。もう、何もかも、別人に枝分かれしてしまった。だからもう、あの少女とシャルナは全くの別人だ。


 夢の中の少女は所詮夢の中だけの存在ということだ。


 ヘル・シーフード味のカップラーメンも含めたカップラーメン山盛りのビニール袋を手に提げて夜道を歩きながらシャルナはそう結論付ける。


 だが、シャルナは一方で思う。カップラーメン山盛りのビニール袋を遠心力を使ってくるりと1回転させながら、


「――でも、やっぱり、運命の人、なんだなって、思えるのはいいな。前世から、一緒だったくらい、魂が強く、繋がってるん、だもんね。これはもう、運命としか、いいようが、ないよね。ふふ……」


 口に拳を当ててにやける口元を隠すシャルナ。周囲には誰もいないがそうせずにはいられなかった。それくらい今のシャルナはだらしない笑みを浮かべている自覚があった。


「なにせ、こんな絵、描いてくれるくらい、だもんね」


 シャルナは胸ポケットにお守りと一緒に突っ込んである、玄咲からもらった絵を取り出して広げてみる。呆れるほど下手糞で、でも愛情深い絵。


 お母さんと、瓜二つの絵。


「……ほんと、お母さんの絵と、そっくり」


 シャルナの母もよく似顔絵を描いてくれた。というか、絵心がないから……と嫌がるのをシャルナが無理やり描かせていたのだ。シャルナは母の描く拙い、でも愛情が一杯籠った絵が大好きだった。特に気に入った絵は宝物として木で造った宝箱に大事に保管していた。もう、サンダージョー一家に家ごと燃やされて1枚も残ってはいないだろうが。せめて1枚だけでも手元に残っていたらとシャルナはずっと思っていた。


 玄咲の絵はそんなお母さんの絵と同一人物を疑うほどに瓜二つだった。そして、宝物の中でも特に気に入っている絵と遜色ないくらいに、シャルナの琴線に触れた。宝物が蘇ったとシャルナは思った。だから欲しいと言ったら、当たり前のように玄咲は自分の描いた絵をシャルナにくれた。


 笑顔の素敵な似顔絵を。大好きなシャルナの似顔絵を。


 これ以上ないほどのプレゼントだった。シャルナは永遠の宝物にするともう決めていた。今度は失くさないように肌身離さず持っておくのだ。お守りと一緒に胸ポケットに入れておく。お守りとしての意味も籠めて。いつも心に寄り添ってくれるように。


 心の、一番近くに。


 シャルナは絵を浅く優しく、でも心の中でこれ以上ないほど深く強く抱きしめて、何度も言った。


「好き。好きだよ。大好きだよ。玄咲……」


 シャルナは抱きしめ続ける。溢れんばかりの愛をこめて。大事な宝物を。


 心の中では、もっと大事なものを。


「……うん。もういい、かな」


 ようやく満足しシャルナは絵を胸ポケットに戻す。あまり開いて閉じてを繰り返すと痛むので今後はいざというときだけ開くようにしようとシャルナは決めた。勢いで胸ポケットに仕舞ってあとのことは考えてなかったのだ。もう3枚くらい観賞用・保存用・飾る用に描いてもらおうとシャルナは密かに決意する。


 そして、ため息をついた。


「ああ……やっぱり、誤魔化しちゃった……こうなる気が、してたん、だよね……」


 シャルナは今日、玄咲に告白するつもりだった。そのつもりで部屋を訪れたらいなかったので、ここに違いないと本能でラグマを訪れたらそこにいたのだ。そして、日常会話から入り、頃合いを見て、勇気を出して告白しようとした。


 やっぱり、言えなかった。


 シャルナが多分こうなるだろうなと思っていた通りの結果になった。再び、ため息をつく。シャルナは何も好き好んでいつも迂遠な言い回しをしている――ところもあるが、それだけが理由ではない。ストレートな物言いが苦手なのだ。それも、物凄く。余程感情的にならない限り、好きとさえ言えないくらいに。


 シャルナは玄咲の想像よりも本当はちょっとだけ恥ずかしがり屋な女の子なのだ。


「……でも、言おうとしたもん。言いかけたもん。玄咲、好きだよ。ずっと一緒にいようね、って」


 それでも、シャルナは今日は勇気を出して好きだと言うつもりだった。出だしこそ躓いたものの、一拍休んで、心を決めて、そして、言おうとしたところに。


 先に玄咲が告白してきた。


「あはは、本当に、ここぞという、時だけは、外さないな。参っちゃうよ……」


 しかも、色々とすっ飛ばして、結婚しようと言ってきた。さらにはシャルナが言われたい言葉のオンパレードで愛を伝えてきた。その瞬間、シャルナがやっと決めた気持ちはばらばらに吹っ飛んだ。そして自分でも見てられない程の動揺の末――。


 ――大事な、お友達だと、思ってるのっ!


 気づけばそう言っていた。


 自分で自分に呆れた。そこは勇気を出す場面だろうと。なんでそこで誤魔化すのかと。


 けれど、予期せずして口から出たお友達という言葉は言ってしまえば不思議なほどしっくりきた。今の自分たちの関係はこれしかないと直感で悟った。


 だからシャルナはこれで良かったと思っている。


「……だって、今恋人になったら、きっと、2人とも、駄目になっちゃうもんね」


 もし玄咲が今シャルナと恋人になったら、なんだか恐ろしいことになりそうな気がする。正確には予測できないが、とにかく凄まじく駄目になりそうな気がする。暴走しそうな気がする。シャルナには玄咲の歪で過剰な愛情の全てを受け止める覚悟があるし、駄目になったら一緒に駄目になる覚悟もあるが、それはそれとして今だけはそれじゃ駄目なのだ。


 それは夢から遠ざかる選択肢だ。2人で生きる未来から逸れる道だ。この1年間はひたすらに頑張らなければならないのだ。


 思い、シャルナは気まずげに俯く。


「……うん。玄咲にばっか、言えないけどね」


 そして凄まじく駄目になりそうなのはシャルナもまた同じだった。


 なにせ、シャルナには。


 玄咲にして欲しいことが一杯ある。


 玄咲にしてあげたいことが一杯ある。


 恋人になったらその全てをしてしまうだろうという負の自信が自分にある。


 もちろん、ちょっとえっちなことだ。考えただけでドキドキしてしまうような、イケないことだ。シャルナはこの国の図書館で得たちょっとえっちな知識に興味津々だった。それを玄咲で試してみたくてしょうがなかった。というか既に何度か試していた。そして何度も誘っていた。相手が相手だから未遂に終わっているだけで、それとなく、何度も。


 シャルナは玄咲の想像よりも本当はちょっとだけえっちな女の子なのだ。


「……まぁ、玄咲は、想像も、しないん、だろうけどさ」


 例え想像したとしても、変な理屈をつけて整合性を取るのだろうが。それが堕天使たるシャルナの実態なのだ。こんな様で天使などと名乗れようはずがない。だから、そんなシャルナが今玄咲と恋人になる訳にはいかない。


 それでは、シャルナの夢を一緒に叶えようと言ってくれた玄咲に申し訳が立たない。


「……うん、だから、今は、これでいい。でも――」


 唇を抑えてシャルナは頬を赤らめる。


「――また、キス、しちゃったな。しかも、あんなことまで、言って――危なかった。玄咲じゃなきゃ、誤魔化せない、とこだった。もう、玄咲が、あんな表情、するから……」


 シャルナは一旦別れかけた時の玄咲の表情を思い出す。必死に取り繕ってはいるが見ていられない程に酷い顔だった。その顔を見た瞬間物凄い罪悪感に襲われて、せっかく告白してくれたのにそれを断ったのだと思うと胸が締め付けられて、玄咲が可愛そうで仕方なくなって、気付いたら玄咲に本末転倒なキスをしていた。なんとか慰めてあげたかったのだ。キスした瞬間、戸惑いながらも玄咲は一瞬で気を取り直した。その単純さと自分への深い愛情をシャルナは心底愛おしく思う。


「本当に、玄咲は、私のことが、好きすぎ、だよね。全く……困るなぁ……我慢、できなく、なっちゃいそう、だなぁ……えへへ……」


 だが、その一方で、シャルナはこうも思う。


「でも、あんなこと、お友達に、するはず、ないのに、玄咲も、よく、一々、誤魔化される、よね。本当、鈍感なんて、レベルじゃ、ないよ。まぁ――」


 鈍感が異常性の域にまで達している友人の過去を思い出しシャルナはふと暗い表情をする。


「――元々鈍感、だったん、だろうけどさ、それだけじゃ、ないよね」


 あの鈍感さの根底にあるものは、おそらく自己肯定感の異常な低さだろうとシャルナは思っている。玄咲は自分に全く自信がない。自分で思っているよりはずっといい男なのに、自己肯定感があまりにも低い。だから自分に都合のいいことは無意識に否定しようとする。自分にそんな資格はないから。逆に都合の悪いことは無意識で受容する。それこそが自分に相応しい現実だから。過去を知り深く通じ合ったシャルナには玄咲のそういった歪な精神性が今では手に取るように分かった。


 玄咲の精神はやはり少し、いや、大分病んでいる。


「でも、かなり良くなった。きっと、もっとよくなる。私が、よくする」


 それでも、玄咲の精神は少しずつ、着実に改善してきている。前よりも全体的に明るくなった。自然に笑えるようになった。全身から狂奔を発していた出会った当初とは比べ物にならない。それは、シャルナのお陰だろう。玄咲には他に深く付き合える存在が――あのバエルとかいう恐ろしい精霊を除けばシャルナしかいないのだから。でも、あの精霊の影響だとは思えないので、やっぱりシャルナのお陰だ。そう明言もしてくれた。特に過去の話を聞いてあげてからは、シャルナから見ても凄く良くなった。シャルナも玄咲の支えになれているのだと思うとシャルナは胸が暖かくなった。もっともっと、支えになりたいと思った。


 これから、いくらでもその機会はある。


 お友達として、学園生活をこれからも続けていくのだから。


「……それにしても、笑顔、可愛かったな……好き……あんな風にも、笑えるんだな……。多分、あれが、玄咲の、本性、なんだろうな」


 シャルナが過去を振り切ったと知った時と、別れ際にも見せてくれた素敵な笑顔のことを思い出す。純朴な少年そのものの、今までで一番綺麗な笑顔。それが、捻じり捻じれて、常にどこか引きつったような笑みしか浮かべられなくなったのだろう。素直に笑うことさえできなくなったのだろう。


 もっと見たい。だからシャルナは玄咲をもっともっと癒してあげたいと思う。いつか過去さえ忘れてしまうくらいに。


「うん、頑張ろう」


 シャルナを、一生かかってもその恩を返し切れないほどに――もう借りには思わないが――何度も救ってくれた、そしてあまつさえこんな穢れた堕天使を大好きにさえなってくれた、玄咲。そんな玄咲のことがシャルナもまた大大大好きだった。出会った時から好きだった。それから色々あって大大大好きになった。容姿も、性格も、異常なところも、その全てがシャルナと噛み合う運命の人。シャルナは玄咲をもう一生絶対に離さない。絶対に離れられない。だからこそ、一生一緒にいられる未来に向かって行きたい。真っすぐ、明るい未来に、夢の方角に玄咲と一緒に向かって行きたい。


 ずっとずっと一緒に、玄咲と笑い合っていられる未来に。


「……それで、1年後」


 1年後。


 符闘会で優勝して、シャルナの夢が叶ったら。

 

 玄咲に絶対に断られるはずのない本当の気持ちを伝えて。


 そしてその時くらいは、思いっきり羽を広げて堕落してやるのだ。


 堕天使らしく。

 

 きっとその未来にたどり着けるだろうと思う。


 だって、シャルナは一人ではないのだから。


「……一緒に、夢を、叶えようね。玄咲。だから、今はまだ、お友達。だけど――」


 シャルナは胸ポケットから似顔絵を、ビニール袋からヘル・シーフド味のカップラーメンを取り出す。


 そしてギュッと胸に抱く。


 幸せが、生まれる。玄咲を抱き締めているような錯覚に笑みがこぼれる。自分もちょっと病んでるなと思いながらも、シャルナにはこの幸せを手放す気が起きなかった。相手に狂っているのはシャルナもまた同じだった。


「――だけどね、永遠に、ずっと、死んでも、一緒だよ。玄咲。お友達、だけどね。好きだよ。大好きだよ――」


 ふと、シャルナは夜空を見上げる。山奥のあの小さな山小屋から見上げた夜空よりも尚明るい夜空。その中にまるで世界の中心であるかのように輝く赤い星と、それに寄り添う小さな白い星がある。黒い世界の中で2つの星はぴったりと重なり合っている。赤い星の中に白い星がまるで抱きしめられるかのようにぴったりと納まっている。


 なんとなくその星が自分たちのように思えて、そんな発見さえも嬉しくて、シャルナは小さく笑った。


「だから、だから――」


 闇夜に佇むシャルナを星明りが照らす。


 安らかな笑顔に、宝物を抱き締める手に、闇を照らす光が満ちる。




「世界で一番、大事なお友達」

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