第6話 赤の魔女
予想外に早い。
まさか制服姿の千桜先輩が、もう俺の部屋の前にいるなんて。
俺もびっくりしたが、それ以上に驚いていたのは志帆だった。
志帆は立ち上がり、ぱんぱんとスカートを整える。
それから、志帆は千桜先輩を睨んだ。
「この人、誰なの? 兄さん?」
俺が答える前に、千桜先輩が口をはさんだ。
「勇人くんの愛人って言ったらどうする?」
志帆がさっと顔を赤らめる。そして、俺をちらりと見つめた。
「まさか裏切った……わけないよね?」
不安そうに、志帆の瞳は揺れる。ここでいう裏切りとは、婚約者の愛華に対する裏切りを意味する。
昔から、志帆は愛華と仲良しだ。
そのうえ、志帆は、俺と愛華がくっつくと信じて疑っていないらしい。「理想のカップルだよね」と志帆はよく俺たちのことをからかってくる。
理想、という言葉が、客観的な意味なら、愛華は理想の婚約者かもしれない。だが、俺の主観では、愛華は俺にはできすぎた人間だ。
俺は肩をすくめた。
「残念ながら、俺には愛人を持てるほどの甲斐性はないよ」
志帆はほっとした表情を浮かべる。そして、「そうだよね。愛人なら、他にもっと身近な女の子がいるし」とつぶやいて、はっとした表情で口を押える。
そんな志帆を、千桜先輩は青い瞳で興味深そうに見つめる。
「そういうあなたは、何者なの? お嬢様学校の制服で、勇人くんの部屋のベッドの上にいるなんて」
「あ、あたしは志帆。勇人兄さんの妹よ! 妹が同じ部屋にいるのは変なことじゃないでしょ?」
「ま、それはそうね。でも、それはわたしも同じこと」
「え?」
「わたしは勇人くんとあなたのお姉さんになるのだから」
千桜先輩は綺麗な笑顔でそう告げた。
志帆は完全にフリーズする。俺の部屋で、二人の女の子――しかも、どちらもとても可愛い子が、対峙していた。
見ると、千桜先輩はコンパクトなスーツケースを持っていた。
「そうそう。わたしの部屋は、ここになるから」
「「へ!?」」
俺も志帆も同時に素っ頓狂な声を上げる。
てっきり、俺が出ていけということかと思ったが、違うらしい。
「ベッドがダブルサイズで良かった。二人で寝たら、狭いのは困るものね」
「千桜先輩は、俺の部屋に住むつもりですか!?」
「ご当主様……羽城のお父様にわがままを言ったの。弟くんと同じ部屋にしてほしいってね」
「な、なんでそんなことを……?」
「わたしたち
仮子とは、志帆や千桜先輩のような、家を支えるための養女・養子のことだ。
ただし、家督相続権は持たないし、実子や通常の養子と違って、その権利は大幅に制限されている。大煌害以降、爵位のある家では普通に行われているし、志帆のような没落家庭の子を救うのにも役立ってはいる。
彼女たち(ほとんどが女性だが、たまに男もいる)の最大の役割は、政略結婚のコマとなることだが、その究極の目的は羽城の家を支えること。
つまり、俺の父、ゆくゆくは俺の役に立つことが、彼女たちの存在意義だ。
「まあ、それはそうですが……それと、俺の部屋に住むことに何の関係が?」
「弟くんとの親睦を深めるために決まっているじゃない。わたしと弟くんは、今日初めて会ったばかりだし、ちゃんと仲良し姉弟にならないとね」
「いや、だからって、その……」
「あ、わたしみたいな美少女と同じベッドで寝るから緊張してる? 大丈夫。間違いは絶対に起きないから、安心して」
千桜先輩は、からかうように言う。
絶対に起きないとどうして言えるのだろう?
俺は健全な男子高校生で、千桜先輩は男なら誰もが惹かれるような美少女なのだから
スタイルも抜群だし……。
俺は邪念を振り払う。
「それにしても、父さんがそんな話を許すとは思えないですよ」
俺の父、つまり羽城家当主の羽城
未成年の男女が、同じ部屋で寝起きするなんて、許すとは思えない。
千桜先輩の顔に、一瞬、暗い影が差す。その表情の意味が俺には理解できなかった。
いずれにせよ、千桜先輩はすぐに明るい笑顔に戻った。
「大丈夫。お父様は、わたしの言うことに反対できないわ」
「え?」
「わたしはただの養女ではないの」
千桜先輩は、歌うようにそう言った。
「それなら、先輩は何者なんですか?」
「君のお姉さんよ」
「はぐらかさないでください」
俺はさすがに困惑した。この先輩女子は、どうにも得体が知れない。
本当のところでは、何を考えているかまるでわからないのだ。
千桜先輩は、碧い瞳を輝かせ、そして赤い髪を右指でいじり、「そうね」とつぶやく。
「羽城にとっての魔女。それが一番近いかもね」
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