第5話 義妹・羽城志帆

 さて、千桜マリヤ先輩は、俺の姉になると言った。

 羽城家の養女になるということは、同じ屋敷に住むということである。


 その日は、俺はまっすぐ家に帰った。

 あの先輩は、今日にでもうちに来るような口ぶりだった。


 両親にも事情を問いただしたい。

 羽城の屋敷は、名古屋市昭和区の八事地域にある。明文館中高も歩いて通える距離だ。


 この地区は、<大煌害>の前からの高級住宅街として知られている。日本最大の自動車メーカーの創業家とか、戦前から続く地元証券会社の経営者とか、そういった家の屋敷が丘の上に並んでいる。


 そのなかに、俺の家もある。


 金色の風見鶏と赤色の屋根が目立つ洋風の大豪邸。

 それが羽城の本邸だった。


 そして広大な庭やテニスコート、別宅がその周りを囲んでいる。入り口には厳かな印象の黒い鉄の門があり、警備員の詰め所まであるのだ。


 この屋敷と土地の資産価値だけでも、数百億円にはなる。


 自分の家だけれど、普通の家じゃない、というのはよくわかっている。

 順調に行けば、この家は俺のものになり――羽城の家は俺が当主となる。


 羽城グループの従業員は、全国40万人。

 そのグループを背負う重圧を、想像しただけでも俺は気が重くなる。


 俺に、その器があるのだろうか?


 ふさわしくなるための努力はしている。自分のことも、決して無能ではないとも思う。

 ただ、俺は羽城の家に生まれただけで、何も特別なところはない。


 俺は――。


「おかえりなさい、兄さん」


 はっと、我に返る。考え事をしながら、屋敷の玄関を開けていた。そこには、制服姿の少女がいた。

 とても小柄で、可愛らしい雰囲気だ。髪を少し茶色に染めているけれど、ギャルっぽい印象はなく、むしろ上品にすら見える。


 布地もリボンも青一色のセーラー服を着ていて、これは近くのお嬢様学校の制服だった。

 彼女は羽城志帆。中学三年生で、俺の義妹だ。


 志帆はふふっと笑う。


「今日は帰ってくるの、早かったよね。愛華さんとのデートは良かったの?」


「まあ、今日はちょっとね」


「もしかして、可愛い妹のあたしに早く会いたかったから?」


 からかうように、志帆は言う。

 俺もつられて、くすりと笑う。


「それもあるかもね」


 そう言って、俺はぽんぽんと志帆の頭を撫でる。志帆は顔を赤くして、「もうっ」とつぶやいた。


 志帆は羽城の養女だ。かなり遠縁の親戚の娘で、没落した実家に売られ、「政略結婚のコマ」として9歳のときに羽城に拾われた。


 そういう経緯があるので、兄妹といっても、羽城の実子である俺とは境遇がかなり違う。

 志帆に、将来を決める自由はない。職業も、結婚相手も、羽城の家が差配する。


 理不尽だと思うが、今の俺にはどうしようもない。いつか将来、俺が羽城の家で、権力を握ったときには、志帆を自由にしてあげたいとも思う。一方で、それが家の利益につながらない、俺個人の感傷にすぎないことも理解していた。


 そんな志帆は、なぜか俺に懐いてくれている。

 

「ね、兄さん! 早く帰ってきたなら、勉強教えてよ」


「いいけど、そんなに熱心に勉強しなくてもいいのに」

 

「だって、兄さんと同じ高校に行きたいんだもん」


 志帆は甘えるように、俺に腕を絡めた。彼女は中高一貫のお嬢様学校に通っているのだけれど、わざわざ来年の高校受験で明文館を受け直すという。


 そのために志帆はけっこう熱心に勉強している。たしかに明文館は地域で一番の進学校だが、志帆はたとえ努力しても羽城の家のコマとして扱われるだけだ。


 けれど、志帆はそんな俺の思いを見透かしたのか、優しく微笑む。


「羽城の家の役に立ちたいの。ただのお嬢様の美少女より、才色兼備の美少女の方が良いよね?」

 

「まあ、志帆が美少女なのはそのとおりだけど、自分で言う?」


「なら兄さんがあたしのことを美少女って呼んでくれればいいんだよ?」


 くすくすと志帆は笑う。実際、志帆はかなり可愛い。もっとも、愛華のようなアイドルクラスの容姿の女子と比べると、少し地味だけれど。


 そんな失礼な考えを打ち消して、俺は靴を脱いで荷物を置き、志帆と一緒に自分の部屋へと向かう。

 妹に勉強を教えてほしいと甘えられて、その頼みを断る兄はいない。


 志帆は上機嫌だった。

 部屋に入ると、志帆は後ろ手で扉をぱたんと閉める。そして、俺を振り向くと、上目遣いにこちらを見る。


「ふふっ……兄さんと二人きりだ」


 俺は少しどきりとして、緊張する。兄妹といっても、血は繋がっていないし、出会ったのも小学生になってからだから、異性として見てしまう瞬間もある。

 志帆は、どうなのかわからないけど。


「勉強を教えるなら、志帆の部屋の方が良かったんじゃない?」


「いいの。兄さんの部屋に入りたかったんだもん」


 そう言うと、志帆は俺のベッドの上にぽんと座った。制服の青いスカートが少し乱れて広がる。

 俺は戸惑って、「その位置では勉強はできないよ」と言おうとする。


 けれど、その前に志帆が口を開く。


「さっき羽城の家の役に立ちたいと言ったでしょ?」


「そうだね」


「あれ、本当じゃないの」


「へ?」


「嘘ではないけど、本当は……兄さんを支えられるような人になりたいなって思ったの」


 志帆はそんなふうに小声で言う。


「それは――」


「も、もちろん、兄さんには愛華さんがいるってわかってる。でも、あたしはあたしのやり方で、羽城の当主になる兄さんを支えたいの」


 志帆は早口で言った。


「ありがとう、志帆」


 そういうと、志帆は顔を赤くする。


 自分を兄として慕ってくれる志帆の気持ちは嬉しい。


 けれど、俺も志帆も羽城の家に縛られているのだな、と改めて感じる。愛華にしても、そうだ。俺との婚約は家が決めたものにすぎない。


 自分が恵まれていることはわかっている。だが、外の世界に出てみたい。

 この狭苦しい枠組みから、解放されたい。


 けれど、俺の周りの人は誰も彼も、俺を羽城の次期当主としてしか見ていない。

 例外はいないのだ。


 そのはずだった。

 ところが――突然、俺の部屋がノックされた。使用人だろうか?


 志帆が慌てて立ち上がって、扉を開けようとする。それが志帆の役割だからだ


 兄で嫡子の俺と、妹で養女の志帆では、羽城の家では俺の方が立場が上だ。この家では、そうした厳然とした序列がある。

 いくら兄に対して親しく接していても、雑用は志帆がやらなければならない。


 でも、俺は羽城の決まりが気に入らなかった。ここは俺の部屋でもあるし、志帆が扉まで行く必要はない。


「志帆は休んでてよ」


「でも――」


「志帆は、もっと俺に甘えてくれていいんだよ」


「う、うん」


 嬉しそうに志帆はうなずいた。

 ともかく、俺は部屋の扉を開けた。


 そこにいたのは、赤髪が綺麗な、圧倒的存在感のある美少女だった。


「さっきぶりね。元気してた?」


 千桜先輩は、くすくすと笑い、青い瞳で俺を見つめた。





<あとがき>

志帆も健気で一途なヒロインの一人です!


おもしろい、志帆が可愛かった、志帆にも活躍してほしい、と思っていただけましたら


・☆☆☆→★★★

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