第3話

 廻り方同心の間部瀬勘太郎(まぶぜかんたろう)が、岡引きの慎吉を引き連れて、何件か茶屋を回っていた。


 間部瀬は新米同心であった。小柄な体格ではあるものの、濃い眉毛にギョロリとした目で厳つい雰囲気だ。見た限り強面の頭の硬い役人だが、内面は至って純朴で素直な性格だ。世間慣れしていない、うぶなところも時々顔を出す。

 同僚の言葉ではあるが、クソが付くほどの真面目でもあった。


「ああ、奥田の旦那ね。あたいも一回だけ呼ばれたわぁ」


 派手な格好で厚化粧をした女が舐めるような目で間部瀬を見た。名はさえといい、この茶屋で客相手をしている。丸顔でやや太めの体からは、色気は感じられない。


「あのぅ・・いつ頃のことでしょうか・・」

 間部瀬は赤い顔をして、目を合わせないようにうつむき加減だ。


「二月ほど前かなぁ、綾姉さんの代わりだったのよ。そんとき、綾姉さんが風邪気味でねぇ、あたいに行ってくれって」

「そうですか、そのお綾さんが、奥田殿の贔屓だった訳ですか・・」

 間部瀬はオドオドしたように体を揺すった。それを珍しそうにさえが顔を近づけて見ている。こういう、うぶな男もいるのかという、明らかに興味津々といった眼差しだ。


「そう。いつもうちの店では綾姉さんが指名されていたの。あのお方は年増好みだったのよ。だから、若いあたいなんか、全然声がかからなくてねぇ」


 間部瀬の後ろにいる慎吉が、背中越しに、驚いたようにさえを見た。

「あれぇ、若いって、お姉さんは、いくつですか」


 さえが慎吉を睨んだ。

「ちょっとあんた、女に歳を聞くものじゃないわよ」

「だって、若いっていうわりには、見たところ・・」

「何よ、その言い方は、ええっ」


 間部瀬が慌てて二人の間に入った。

「まあ、まあ、落ち着け、やましん」

 やましんとは慎吉のことである。


 慎吉は出身が上方の山奥で、「山奥の慎吉」と言われていたが、それが略されて、最近は「やましん」と呼ばれていた。上方の者らしく、ずけずけと物を言う性格があり、江戸をはじめとする東国における、いわゆる気遣いをあまり理解しない、というか、出来ない。無論、悪気はない。そこがまた、この男の憎めないところではある。


「何も、本当のことを言わなくても・・、あ、いや、その、つまり・・」


 この言葉に、さえが即座に反応し、血相を変えて間部瀬に詰め寄った。

「ちょっとあんた、あたいが嘘を言っていると言うの」

「違う、そうじゃない、何も見たままを言わなくても良いと・・、あっ・・」


 火に油を注ぐような言い方になってしまった、と反省する間もなく、気遣いを理解しない男が、また油を注ぐ。


「だって、それで若いっていえる容姿かと思うでしょ、誰でも」


 慎吉が、間部瀬の陰に隠れるように身を沈め、顔だけ出しながら言った。慎吉を嗜める余裕すら無かった。さえが間部瀬の胸倉を掴んだ。


「キー、嘘じゃないわよ、綾姉さんより二つ若いのよ、本当だから、キー」

 間部瀬が大きな体のさえに押されて後に倒れ込んだ。後の慎吉も、突き飛ばされて転がった。

 ドタン、バタンと、茶屋全体が揺れるかと思うほどの衝撃だった。


 その時、スッと襖が開いて、すらりとした細身の女が顔を出した。

「騒々しいわねぇ、あなたたち、何をしているの。さえちゃんも落ち着いて」


 淡い紅色の着物を着て、色白で細面だ。歳は三十路を越えていると思われる。それだけに、柔らかい物腰で、妖艶な雰囲気を醸し出していた。


「あっ、綾姉さん、この役人どもが、あたいを嘘つき呼ばわりするのよー」

 さえが目に涙を浮かべて、泣きべそをかいている。間部瀬が起き上がりながら首を振り、右手を突き出して否定した。

「違います、誤解です、そんな事は言っていません・・」


 綾が場を取り成すように間に入って座った。ゆっくりと三人の顔を見回して微笑んだ。

「まあ、まあ、皆さん、落ち着いて話しましょう、ねえ、お役人さんも」


 綾に見つめられ間部瀬が赤くなって、恥ずかしそうに下を向いた。慎吉は、子供がお菓子の山を前に興奮するように、口を半開きにして、綾に見惚れている。


「奥田様のお話ですよねぇ・・」

 綾が、男たちに流し目を送りながら、色っぽく体をくねらせた。


 数年前、この茶屋を使った奥田は綾を気にいる様になり、やがて屋敷に呼び寄せるようになった。奥田は勤め帰りに店に寄って前金を払い、綾が屋敷に来た時に残りを渡した。

 金額は店が決めた料金で、決して多く渡すことは無く、心付けも無い。かといって値切るようなこともなかった。一晩付き合って、早朝、奥方が起きる前に屋敷を去ることが取り決めとなった。月に二、三回が続いていた。


 赤い顔の間部瀬が上目遣いで綾を見た。

「そうすると、奥田殿の屋敷に最後に行ったのは、いつになりますか・・」


「そうねぇ、もう二月近く前かしら。ここのところお呼びがなかったのよ。誰か、他に贔屓の人が出来たのかと思っていたわ。いくら良いものとはいえ、何事も飽きが来るものよ、ねぇ」


 綾が色っぽい目で視線を向けると、間部瀬は恥ずかしそうに首を竦めた。

「そうでしょうかねぇ・・。ええとそれで、その、何か奥田殿が屋敷に呼ぶ女と、揉めるような話は聞いていませんでしたか」

「他の茶屋の方も呼ばれているとは聞いていましたが・・どうでしょう。少なくとも、私にはきちんと決められた金は毎回払ってくれましたし、そういう話も、あまり聞いていませんねぇ」


 間部瀬が下を向いたまま、視線だけ上げた。

「そうですか、それで、その、他の茶屋の人とは誰でしょう」

「私が知っているのは、愛宕屋さんの、お美津さんよ」


 さえがパチンと手を叩いた。

「あたいもお美津さん知っている。やはり、あたいより年上よ、そうよ」


 さえが、どうだと言わんばかりに慎吉を見ると、慎吉が下を向いて、力なく首を振った。


「お美津さんには、何か話を聞いていませんか。その、例えば、奥田殿と揉めているというような話ですが」


 間部瀬の問いに、綾は少し考えたが、首を振った。

「いいえ、そのような話は何も、といいますか・・」


 間部瀬が身構えた。

「何かありましたか」


 綾が斜め目線で間部瀬を見ながら、体をくねらせた。

「お美津さんも、もう、二月ほどは声がかからないって、愚痴を言っていたくらいですのよ。それまでは、少なくとも、月に二、三度は稼げたのに、ってね」


「やはり、奥田殿には、他に贔屓が出来たということですか」


 綾が綺麗に結い上げた髪に右手を添えながら、口元を緩めて、視線を向けた。

「他に、何がありますの。急に男として役立たずになった、というのなら別ですけど」

 間部瀬は真っ赤な顔で下を向いた。


 さえが、喉の奥深くまで見えるほど、大きな口を開けてあくびをした。


「色々と、ありがとうございました、はい・・」


 間部瀬が立ち上がろうとすると、その袖を綾が掴んだ。

「もう、お仕事が終わりなら、どうですか、少し気晴らしに・・」

「え、あ、いや、その・・」


 綾が、グイッと体を近づけて来た。

「あたし、すごく暇になって、今日は、ゆっくりとお相手出来ますのよ」


 低くささやくような妖艶な声に、間部瀬の役人としての倫理観に凝り固まった気持ちがあっけなく壊されかけたが、かろうじて踏みとどまった。

「すみません、これから、愛宕屋さんにも行かないといけないので・・」

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