第40話 汚物とは、汚い物である。
「新入り! 並べ!」
船は既に出航しており、俺は今、そこにいる。居住区の狭い一室に荷物を置いたのち俺は、そこの部屋長に連れられランプ一つの暗く広い空間に立たされていた。
ここには空のパレットの他には何もない。
パレットとは簡単に言うと、荷物を載せる皿みたいな物だ。平べったい
それらが積み重ねられたこの倉庫の様な部屋には、潮風が湿気となって充満し生臭い匂いが漂っていた。
立たされている人間は俺を含めて三人、その周りを複数人の薄汚れた臭い男達が囲っている。
全員で二十八人。
それが多いか少ないかは、わからない。
「あなたは船長ですか?」
たった今、俺達三人を怒鳴りつけ並ばせた正面の男に、俺は質問する。
浅黒い肌にぶつぶつとした赤みを幾つか見つけた。蚊でも居るのだろうか。
「俺が船長? 笑わせるな」
違うのか。
「俺達はただ作業するだけの人間だ。お前らはその中でも更に底辺、馬鹿みてえに言われた事だけしていろ」
なるほど。
一応、話は聞いている。
この船は薬を作るためにあるのではない。
普通の貨物船だったり大型の漁獲船だったり、そういう「普通の船」の一部を間借りして、俺達のシノギは行われるらしい。
裏家業の人間だったり組織だったりは元々海の荒くれ者達との交渉や、ルールに殺されかけていた人々を守る為に現れたとウォーケンは言っていた。キチンとルールが敷かれた現在でも、海と裏の密接な関係だけは残っているそうである。
この男は船長でも水夫でもなく、俺達の責任者、と云ったところだろう。
「つまり、あなたがこの中で一番偉い人なんですね? 俺はウォルフ、よろしくお願いします」
「お、おう」
何を戸惑ってるんだ?
というか、俺の横の二人は、何故挨拶しない? 大人のくせに。
船に乗ったばかりだというのに、この二人も、かなり小汚い見た目をしている。
「ここでの作業の事は聞きました。薬を作るんですよね? でも、何をすれば良いのかわかりません。俺はここで、何をすれば良いですか?」
「……ボウズ、そんなに早く、こき使われたいのか?」
「はい」
俺は即答した。
愚直に目的だけを目指す——俺は強くなるのだ。
その為には先ず、早くここでの生き方を学ばなければならない。
沢山の視線が俺の体に刺さる。隣りの二人からも。
その視線の多くは、いつの日か獣人達のあのハーレムで感じたものと同じである。
訝しむ様な目だ——あれ? 俺、何か間違えた?
「チッ、生意気な餓鬼だ」
やはり、間違えたみたいだ。
別に怖くなかったワケではなく、単にこの方が良いと思っていた。
アルさんも、ギリさんも、あの兎男も、そしてウォーケンとも上手くやれたのは、俺がこういう奴だったからである。
しかし、ここでは違うようだ。
そしてもう、戻せない。
「どうすれば可愛げがある様に見えますか?」
「は? ……そうだな。それじゃ、お前は便所係だ。どうせ作業は数日後だ。俺達の便所だけじゃなく、この船全部の便所掃除を、お前一人がやれ」
「作業は数日後? ……いえ、ありがとうございます」
雑用は想定内だ。
ウォーケンにも雑用は命じられていた。「誰かに何かを教わる為にはその人間に尽くすんだねぇ」という言葉も添えられて。
「なんだこいつ?」と、隣りの奴がボソッと、呟く。
見るとまだ働いてもいないのに、凄く疲れた顔をしていた。街の道端に座り込んでいた人達と同じ顔だ。
なるほど、こういう人間が集まるのか——。
作業は数日後との事なので、早速俺は便所に案内される。
というか、資材も道具も、 何も見つからなかった。何処かの別の場所にあるのだろうか。
「見て驚くなよ? へへ、かわいそー」
居住区の便所へ案内してくれた男が薄ら笑いを浮かべた。
なんだかあの痩せ男に似た雰囲気である。大きく違う所といえば、後ろで一本に縛られた長い髪か。
痩せ男二号とでも呼ぼう。心の中で。
そして扉が開かれるとそこは、肥溜めだった。
比喩でもなんでもなく、肥溜めそのものだ。便所自体が、である。
床から伸びた座式の便器が、糞尿で、溢れているのだ。便器の周りに茶色い水溜りもできている。
扉が開かれる前から匂いで想像はできた。
だが、開け放たれ飛び出した悪臭は、想像以上だった。
故郷の畑でも人の
でも、想定内……!
「あの、水はどこで調達するのですか?」
「あん?」
便所内の隅に、バケツがある。きっと尻を洗う為のものだ。
もちろん糞まみれ、である。
でも見たところ、水が入っていない。
尻を拭く為の棒もないが、それは個人で用意するのだろうか。
「お前が汲んでくるんだよー」
「何処で?」
「知るか。自分で探せって。じゃあなー」
そう言って痩せ男二号は去って行った。曲がり角の奥から「つまんねー」という声が聴こえてくる。
アイツら、いつもこんな便所を使ってるのか? 足の踏み場もないのにどうやって?
俺は自分の手以外が汚れない様、慎重にバケツを持ち、船内をうろつく。
他のバケツはないだろうか。
水もそうだが、あの汚物を汲む用のバケツも必要だ。水は、海水を汲むか? それならロープも必要だ。甲板以外で汲めそうな場所は、まだわからない——。
「うわ! 汚ねぇ!」
今すれ違おうとした男が声をあげる。
先ほどの空間には居なかった。たぶん、この船の水夫だろう。
「あの、すみません。バケツと、できれば長いロープを貸してくれませんか?」
「知らねえよ。つーか、なんでガキが乗ってるんだ?」
「え? この船って、そういう船じゃないんですか? 俺は稼ぎに来たんです」
そういえばアルさんが「子供に務まるとは思えない」と言っていた——子供は珍しい?
しかし、俺を案内した部屋長も、偉そうだったあの男も、痩せ男二号も、そんな素振りはしていなかった。
「……ふーん、可哀想になぁ。ま、俺には関係ねぇ。頑張れよ」
水夫が横を通り過ぎる。
あ、そうだ。
「待って」
「なんだよ?」
水夫が止まった。
「あなた達の便所も掃除するようにと言われました。場所を教えて下さい」
「俺達の? 余計なお世話だよ。お前らみたいな汚ねぇ連中にやらせたら、もっと汚くなるじゃねえか」
ふむ。
「と、いう事は、あなた達の所は綺麗?」
「綺麗、ではねえけどよ」
「じゃあ案内して下さい」
「なんだこいつ……?」
掃除云々はあの男が勝手に言っていた事みたいだ。しかし、良い機会である。
それにたぶん、まともな便所にはまともな掃除道具もあるはずだろう。
「お願いします。まだ掃除しかする事がないんです」
「……まじかよ。ああもう、わかった! 案内するからその前にその汚ねぇバケツを洗って来な!」
「何処で?」
「くそったれ! めんどくせえ!」
やってみないとその場所の苦労はわからない。確かにそうだ。
しかし、やってみれば良い部分もわかるかもしれない。
少なくともこの水夫は良い人だ。追い詰められなければ、良い人のままでいてくれるだろう。
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