第39話 ぬるま湯地獄。
ついに、その日がやって来た。
今俺は船に乗る為、馬車の荷台に揺られている。ウォーケンも一緒だ。
そのシノギの内容とは。
——カコの実から薬物を精製する仕事、である。
つくづく俺は、カコの実に縁がある様だ。
「ウォーケンさん、船の仕事って、そんなにキツいのか?」
薬を作るだけ。倫理観を無視して生きる為にただ淡々と働く——やる事は村に居た時と大して変わらない気がする。抵抗もない。
「さあねぇ?」
「おい」
「やってみればわかるんじゃないかねぇ。仕事の苦労なんてのは実際にやらないとわからないモノさ」
「仕事以外の苦労も?」
「くくくく、わかってるじゃないか」
馬車が静かにバウンドした。
「——ああいう仕事には、本当に色々な奴らがいる。力が強かったり声がデカい事を良い事に好き勝手しようとする奴ら。俺達みたいなアウトローも、元を辿ればそういう奴らが起源になったと云われている。それに全てを諦め終わった奴らも居る」
「俺は終わってない」
俺は、これからだ。
「その通り。俺もキミを終わらせる為に向かわせるんじゃあない。だが、終わった連中ってのは、まだ先がある人間を、自分の位置にまで引きずり下ろそうとする。自分以外の落伍者を増やして安心したいんだねぇ」
引きずり下ろす?
「そういう害悪を一箇所に集めたのが、キミがこれから乗る船だ。足を引かれて自分を見失わない様に、せいぜい工夫して生きるんだねぇ」
「工夫?」
「その為の材料は既に与えておいた」
「闘う方法のこと?」
「アレは単なる『やり方』だ。だが、その本質には既に、気づいているんだろう?」
「どうかな」
「キミはあのウシさんと喧嘩した時、何故正攻法だけで闘った? ただ忠実に俺の教えを守ったってワケでもないんだろう?」
あの時の俺は、魔法も狡猾さも使わなかった。魔力による身体操作すらも使わずに、あの獣人に立ち向かった。
それは手の内を明かさないなんて事とは全く違う理由である。だって、負ければ死ぬのだから。実際そうなりかけた。
「俺は勝ちたかった。でも、ズルをして勝つのならそもそも、あの行動に意味なんてない。彼らの溜飲も下がらず、結局ギルドやあんたは彼らを根絶やしにしただろう。俺は強さのみで勝ちたかった」
「ズルも強さの内だが、正解って事にしておくかねぇ。目的の為なら敢えてその身を削りその場で耐え凌ぐ。それこそがシノギだ。愚直に目的だけを見続けるんだねぇ。そうしないとキミは、他の連中と同じ、化物になる。人間として生きなさい」
「そこへ送り出す張本人がよく言うよ」
「わかりやすい場所の方が、わかりやすいだろう?」
「なにソレ?」
おかしな構文である。
「俺達人間は皆同じ。些細なきっかけで勝者にも敗者にもなる。キミはどっちかねぇ?」
まるで蟻の巣に運ばれる芋虫みたいな心境だ。食われるとわかっていながら、ただ身を委ねて運ばれている。
「他人事みたいに」
「他人事じゃないさ」
ウォーケンは俺から顔を背け、馬車の入り口を見た。
「——そういう場所は、曖昧なんだ。物事をハッキリさせず、地獄と現実の区別もない。ぬるま湯こそが、人を堕落させる地獄なのさ。だが、だからこそ、わかりやすい。キミは堕落せずに生きるんだねぇ」
笑ってしまいたくなる。
なんて極端な願望だ。
俺に堕落して欲しくないから、堕落しそうな環境でその意味をわからせようとしている。先を失えばそれは、死んでいるのと同じ。短い期間で俺は、ウォーケンに関わってそれを学んだ。
なんて「保護者」だ。
「ウォーケンさん、あんたもあのオッさんと何も変わらないね」
「今さら気づいたのかい? 俺は優しい男なんだ」
「それは嘘だ」
「くくく、どうだかねぇ?」
これからぬるま湯の地獄へ行くというのに俺は、それを楽しみにしている。ウォーケンが用意してくれた地獄だ。それを乗り越える自分を想像して、ワクワクしている。
しかし——。
もう少しだけ、馬車にゆっくり走って欲しいと、そう願うのだった。
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