第33話 脱力は想像以上に難しく、脱力だけに囚われると何もできない。
翌朝、いつもの様に俺は、早起きをする。昨日の夜の日課は休みでも、今日の日課は別なのだ。
ギリさんの住む部屋から出た俺はその建物と隣りの建物の間で、ジャブ、ストレート、フック、アッパー、スイングパンチ、そして昨日教わった横から薙ぐ様なキック、前方へ突き出すキックを練習する。教わった通りに。
ただ数をこなすだけでなく、その攻撃により相手がどんな動きをするのか、どんな困る事をしてくるのか、想像できる範囲で意識する。練習の時から狡猾であらねばならないからだ。
今朝のノルマは達成したが、今日はまだ余裕がある。ここは店に近い。仕立て屋に行っても金を持っていない俺は洗濯物を受け取れないし、昨日着た服はギリさんの部屋で洗っておいた。時間を沢山使う事ができるのだ。
「おはよー!」
ギリさんがこちらを覗き込んでいる。
「あ、うるさかった?」
まだ日は昇ったばかりだ。
「ううん、全然。仕込みと清掃があるから私はいつもこの時間に起きるのよ。でも、起きたらアナタが居ないから少し、びっくりしたわ」
仕込み、清掃。
「俺も行った方が、良い?」
「ううん、気にしないで。アナタと同じよ。お店の準備は私の日課」
「そうなんだ」
「だからアナタも日課を続けて?」
そう言ってギリさんは戻って行った。
お言葉に甘えて、練習を再開する。
パンチのコンビネーションは既に幾つかレパートリーがある。
だがキックは習ったばかりなので、どう組み合わせるのかわからない——それを考えるか? だけど自分で考えついたとして、それは的確なのか? 相手の動きもまだ不確かな想像しかできない段階なのに。
辞めておこう。
それより俺は、まだ教えて貰っていない事がある。想像するのは見た事のあるアレだ。あのウォーケンの、滑る様な移動法。
魔力を使った身体の動かし方を覚えた時、俺は勘違いをしていた。ウォーケンのあの素早い動きは魔力のせいだと。
しかし、よくよく考えてみれば違う。
俺がどんなに速く動こうとしても、ウォーケンは初動が丸わかりだと言っていた。
だがウォーケンの動きは動くまで、動いてからも、予測できない。アレはきっと「技」なのだ。そして恐らく、パンチやキック、魔力よりももっと重要な技。
俺はそれができるようになりたい。
それができるようになって、ウォーケンを驚かせたいのだ。ウォーケンと一緒に居られる今のうちに。
だがウォーケンは教えてくれないだろう。簡単に覚えられるモノではないものだからである。関節技と同じで、時間が足りない。
それでも、俺は覚えたい。
だから、ウォーケンが居ないこの時間でコツぐらいは掴もうというワケだ。
——ウォーケンが移動する時、地面を蹴っている様には見えなかった。脱力? そうかもしれない。パンチやキックを放つ時も体の力を抜けと言っていた。じゃあ、どの部分の力を抜く? 全身? そうだ。パンチやキックも動かす事だけ考えて、力は入れるなと言っていた。しかし——。
「うーん、本当に、全身?」
そもそもパンチの時、キックの時、本当に全身の力を抜けていただろうか。
俺は全身の力を抜いてみる——駄目だ。力を抜くと、立てない。
当たり前の事実に改めて気づく。
殴るのも蹴るのも最低限、立つ力は残っていた。それすらも抜くとなると、何もできない。
「やっぱり間違いか。じゃあどうやってやるんだ?」
諦めて直接訊くか? ダメ元で。
もう一度抜く。やはり、立てない。
ウォーケンに手首を制された時と同じだ。
下に落ちる——うん駄目だ。キックの練習をしよう。
誰よりも貪欲にと教わりはしたが、無駄な時間は過ごせない。確実に強くならなければ、ウォーケンに失望される。
俺は構え、後ろに下げた右足で地面を蹴る。その右足を何も無い空間に描いた敵の膝の横、そんなイメージにぶち当てる。当然そこには何もないので足は通り過ぎてゆき、俺は前のめりにならないよう途中で脚を止めて戻す——途中で止めて?
途中で止めなかったらどうなるのだろう。
想像はできたが、実際に試してみた。
体が前方へ倒れ、転ばないように蹴り足を地面につけ——ん? コレって進んでないか?
今度は前蹴りをしてみる。地面を蹴り、膝が上がる。踏みつける様に前に出す。そして、戻さない。やはり体が前に倒れる。転ばない様に蹴り足を地面につけた。
——やっぱりそうだ。前へ進むって事は、前に倒れるって事なんだ!
俺はもう一度、手首を制された時を思い出す。前方に倒れたあの時を。
「でも、あれじゃあ駄目なんだよなぁ」
進む事が倒れる事だからといって、本当に倒れてしまっては駄目だ。だから途中で踏み出して、力を入れなければならない——というか、全身の力を抜いて、どうやって都合良く前に倒れるのだろう?
色々と試しているうちに、そろそろ時間だ。ヒントを掴めはしたが、習得までには至らなかった。
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