第32話 若い大人の女性の家に泊まり、一緒に風呂に入る。
結局、今日は終日暇だった。
その分料理の勉強を沢山できたが、それでもまだ時間が余る。俺はウォーケンの迎えを待ち遠しく感じていた。
——とその時、カウンターの端に置かれた受話器のベルが鳴る。離れた所に居る相手と会話ができる、高価な魔道具だ。
俺はまだ応対の仕方は教わっていないのでギリさんがそれを取る様子をただ眺める。
「はい〝マディッキュガイディ〟です」
この店の名前だ。「ささやかな喜び」だなんて、この街には似つかわない可愛らしい名前である。
まあここに来る連中からすれば、その通りの意味なのだろう。
「——あらウォーケンさん?」
ギリさんは通話の為に声のトーンを少し上げていたが、更に一際明るくなった。
「——ええ、はい……えっ? ウォルフくんを? ……はい、そうなのですね。わかりましたわ……ええ、大丈夫です……そんな、気にしないで下さい」
何の話をしているのだろう?
「——ウォーケンさんもあまり無理をなさらないで? ……え? あ、はい。ちゃんと伝えておきます……ふふ、ですから大丈夫ですって……それでは、お気をつけて」
受話器をカウンターの上に戻すと、ギリさんは俺に顔を向けた。
「ウォルフくん、今日ウォーケンさん迎えに来れないって」
「そうなの? なんで?」
「お仕事、今日は長引くんだって。だから今日は私のお家に泊まるように言ってたわ」
長引く?
「ウォーケンさんに何かあったの?」
「ちょっと予定を変える事にしたって言ってたし、声も元気そうだったから大丈夫よ」
予定? 獣人のチンピラを狩ってまわってるだけじゃないのか? というか、あまり考えていなかったが、毎日、敵地に長い時間入り浸っていて大丈夫なのだろうか。
それとも他にも行く場所がある?
考えても仕方がない。
俺が見たウォーケンのシノギは、俺の村とこの前の獣人、この二つだけである。
「ギリさん、よろしくお願いします」
「何? かしこまっちゃって。それくらい気にしなくても大丈夫だから——あ、そうそう『日課』は今日は休みで良いとも言ってたから」
それは、そうだ。
金を払うわけでもないのに、他人の家の床を汗で汚すわけにはいかない。だが——。
「ギリさん、夕食の後、お風呂使っても良い?」
「当たり前じゃない?」
あ、言葉が足りなかった。
「そうじゃなくて——いや、お風呂にも入らせてくれるなんてありがとうございます。でも、お風呂を使いたいのはそれだけじゃなくて」
「え?」
俺はカウンター奥の小部屋に置いてある自分の荷物を持ってきて、その中身を少しだけ出した——数本のナイフを。
そのナイフ達は基本的に皆似たような形をしており、柄の刃に近い部分がくびれている。
「ナイフ?」
「最近、刃物の
ウォーケンは「出先」からお土産として、毎日ナイフを持ち帰って来る。恐らくその日の獲物の持ち物だろう。それを俺に砥がせるのだ。「子供が素手で戦うのは危ないねぇ」とかいう理由で。
ちなみに、最初に砥いだナイフを見せた時、その場で折られた。「刃が薄すぎると刃こぼれしやすい」とか言いながら、
アレは刃こぼれだとかそんなんじゃなくて、初めから折ろうとしていたに決まっている。
一生懸命に砥いだナイフを粗末に扱われた俺は、ウォーケンを背後から殴ってやろうと思った。実行はしなかったが。
「ああ、あのナイフ、ウォルフくんが砥いでいたのね?」
「あのナイフ?」
「アルさんが最近、ウォーケンさんがナイフを仕入れてくれるけど売り先がないってぼやいていたわ」
あの野郎。
そういうのは普通「キミの成長の証だ」とか言って取っておくモノだろう。
少なくとも親父はそうだった。
俺が初めて手入れした草刈り用の大鎌も恐らく、今もまだあの家に残ってるハズである。誰かに荒らされていなければ。
そういえばこんな事も言っていた。「刃物を砥いだ事があるって言ったけど、全然駄目だ。どうやらキミの親父さんは道具の手入れを軽視してたんだねぇ」と。
思い出して、また腹が立ってくる。
「……もし売れたら、その売上げの何割かは俺にくれよ。俺が船とやらに行ってる間もウォーケンさんには1ニッカも渡さないで」
「ふふ、アルさんに伝えておくわね。いくらなんでもウォルフくんが可哀想だもの。でも売り先が見つかったらの話よ?」
「わかってる」
その夜、俺はギリさんと一緒に風呂に入った。子供の特権である。
少しだけ恥ずかしい思いもしたが、明日ウォーケンに会った時に自慢してやろう。
その時どんな反応をするのか楽しみだ。
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