第31話 理屈と感情は一致しない。
ギリさんは、湯気が漏れる大きな鍋をチラチラ見ながら、俺に話の続きを語る。
一本に纏められた黒い髪が揺れて、その唇に負けないくらいの艶やかさを放っていた。
「——ココのギルドを実質的に回しているのはアルさんとウォーケンさん。パパは街の偉い人とか、別の所のギルドの人達とかとお酒を飲みに行ったり、そういう事しかしてないわ。でも若い時に沢山悪い事をしてきたから、そういう仕事が舞い込んでくるの」
「それが悪い事?」
「うん。だって私達のせいで酷い目に遭った人達にとっては、諸悪の根源。下の人達は役割りをこなすだけの人達。ね? パパの方が悪いでしょう?」
私達のせいで。
その言葉で、ギリさんが自分の立ち位置をどう考えているのか、なんとなく伝わる。
「役割り、ねぇ? ウォーケンさんはその役割りの内容を理解していながら、自分から進んでそれをやってる様に見えるけど」
「ウォーケンさんの口調が移ってるよ?」
「……偶然だよ」
少しだけ恥ずかしい気持ちになる。
「ふふっ、ウォーケンさんが悪い事を進んでするのは、そういう立場だからよ」
「そういう立場? たしか、ナンバーツーとか言ってたけど」
「そう、パパとアルさんを除けば、ウォーケンさんはココで一番偉い人。ウォルフくんは偉い人の苦労って、考えた事ある?」
偉い人の苦労?
「ない、かな。そもそも俺は、偉い人と関わる事なんて、なかったし」
俺は素直に答えた。
「そうよね。まだ子供だし」
「子供は余計だ。もう人も殺してる」
少しムッとなって、自慢にもならない事実を述べる。
「……そうなんだ。ウォーケンさんに命令されて?」
「こないだは、そうだよ」
一人目は自分の意志だ。二人目、そして三人目も。でもこの間のは言われるがままにやった事である。理由を少しだけ教えてもらった今でも、完全には納得できないでいた。
「子供にそんな事をさせるなんて、あの人も酷いわね。アナタがそんな事したのは、ウォーケンさんが怖かったから?」
それも、ある。だが——。
「俺はウォーケンさんよりも強くなりたい。だから、学べる経験は全部、逃したくないんだ」
「ウォーケンさんに気に入られたかったのね? アナタは褒めて貰いたかった——違う?」
気に入られたかった? 褒めて貰いたかった?
「そう、かもしれない」
「……本当に素直なんだから。でも、そう。それが下の立場の人の苦労。お金を貰うため、生きていく為には上の立場の人に褒めて貰える様な事をしなくちゃならない。それはとても大変な事だわ」
「大変?」
「そうは思わない? 偉い人の下には沢山の人達がいる。その沢山の人達の中から自分が良く思われるなんて、とても低い確率よ」
……確率。
「ギリさんも、ウォーケンさんみたいな言い方をするね?」
「え? あらいけない。恥ずかしいわ」
ギリさんの頬が少し赤くなった。
「——こほん、話を戻しましょう。でも、そんな下の人達の苦労と、上に居る人達の苦労は、そんなに変わらないの」
「どういうこと?」
「ウォルフくんがウォーケンさんに気に入られたいのは、何故?」
「……強いから」
「そうなのね? じゃあ、ウォーケンさんに従う他の人達が褒められたい理由は?」
「……やっぱり、強い、から?」
「そういう人達も多いでしょうね。でも、理由なんて人それぞれだわ」
「ギリさんも?」
ギリさんもウォーケンには愛想良くしている。勿論ここに来る他の客にも愛想は良いが、ウォーケンに対してはなんというか、もっと親しげだ。
「わ、私の事は良いから。私が言いたいのは、偉い人も下の人達から気に入られなければいけないって事。それぞれ違う理由を持つ色々な人達からね。下に沢山の人達が居て、初めてその人は偉い人でいられる。パパなんて本当にそうだわ。ウォーケンさんやアルさんが居なければ、何もできないもの」
「そのウォーケンさんやアルさんも、下の人達が居なければ、何もできない?」
「何もできないって事はないけど、少なくともできるお仕事は限られるわね」
要は持ちつ待たれつって事か。
いや、違う。
持ちつ持たれつなんてのは、下の人間が勝手にする、都合の良い勘違いだ。
俺の両親も含めた村の人間達がそうである。だから、切り捨てられた。
「嘘だね。もしそうだったら俺は今、こんな所に居ない」
「嘘じゃないわ。ただ、私が話す事よりもっと、世の中がとても複雑なだけ。それでも、どんな人でも人間、一人では生きていけないの。偉い立場の人だったとしてもね」
それはわかる。だってこんな街の、こんな店の地下に、あんなギルドがあるのだから。
「……ウォーケンさんは、人の上に立つ為に、どんな苦労をしてるの?」
俺の知る限り、シノギをしているウォーケンは、とても楽しそうだ。
「そうね。例えば他の国の遠い所にある畑に泥棒をしに行く、なんてお仕事、アナタはしたい?」
……俺が居た村の事だ。
ギリさんもあのシノギの事を知っているというワケか。
「やりたくない」
「どうして?」
「泥棒なんて小汚い仕事自体もそうだし、遠くに行くなんて、面倒だよ」
あの馬車の乗り心地を思い出す。
「そうよね? 実際、やりたがる人はそんなにいなかったみたい。この街に住む人達でも人の困る事を直接やりたい人なんて少ないもの」
そうなのか? 意外だ。
「だから、そういうお仕事は大抵、本当にお金に困っている人しかやらないわ。そういう人達をアルさんも選ぶ。でも、嫌々お仕事をする人達が、キチンと成果をあげられる?」
「簡単な仕事なら、そうかな」
「泥棒はカンタン?」
どうだろう?
ウォーケンみたいに強ければ簡単かもしれない。でもウォーケンがあの場に居なければ親父と俺で撃退できていたとも思う。実際一人、俺にやられてる。
「人による、と思う」
先ほどから俺は、まるで他人事の様に話していた。つい最近の事なのに、冷静に状況だけを話せている。
「正解。だから、まとめ役が必要なの。勿論ウォーケンさんだってやりたくはなかったハズよ? ウォーケンさんは優しい人だし、リスクが大き過ぎるから。でも誰かがやらないと、ギルドの信用に関わる。ウォーケンさんには、そういう役回りが回って来るの。ギルドはキチンとメンバーに『旨み』を提供しなきゃいけないし、序列が上の人は誰よりも成果を上げなければならない」
それが、ウォーケンの苦労か。
でも——。
「あんなに楽しそうなのに?」
「どんな内容であってもやりがいを見つけなければ、お仕事なんてできないわ。私だって初めは料理なんて嫌いだったもの」
ウォーケンの事を知る度に、ウォーケンに対する怒りが薄れていく。
いや、初めから薄かったのかも——そう思えるくらいに俺は、平気なのだ。
それに気づくたび「恨み」という言葉を思い出す様にしている。それも段々と効果がなくなって来てはいるが。
俺は、おかしいのだろうか。
「ギリさん、シノギの事に、ウォーケンさんに、詳しいね?」
ギリさんもおかしいと思う。
ギリさんは「善い人」だ。
しかし見る限り、シノギの話をする事に抵抗を感じていない。
「それはそうよ。だって、ギルドマスターの娘だもの」
本当にそうか? 直接シノギに関わってない人が、本当にここまでの事を知る事ができるのだろうか。
「——なんて、本当は肩書きなんて関係ないわ。全部自分で知りたくて、アルさんに聞いたの」
「知りたくて?」
ギリさんもシノギをしたいのだろうか。
「うん、知りたくて。もしウォーケンさんが独立するって言うなら、私はウォーケンさんについて行きたい。パパの後ろ盾がなくなったとしても」
何故かその先を聞きたくない自分が居る。
「——私ね、ウォーケンさんが好きなんだ。だから、アナタがウォーケンさんに復讐なんてしたらきっと、許さないと思う」
ずきん、と少しだけ、胸が締め付けられるのを俺は、自覚した。
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