第19話 汚い街での訣別。
更に数日後、俺達を乗せた馬車が目的地に着いた。一目でわかる程に汚い街である。ヒビだらけの石の舗装に水溜りが目立つ道。側溝から昇るドブの匂い。ドブ以外にも生ゴミの匂いが何処からか漂っていた。黒ずんだ汚れが苔ごと覆う煉瓦造りの建物。物陰では黒い虫や鼠なんかがガサガサしている。行き交う人々の身なりは俺が居たあの農村の連中に近いものがある。立派なのは屋台くらいか。ボロい木の屋根の下で売られる果物や野菜の質は良さそうだ。
「なあ、こんなに堂々と馬車を入れて大丈夫か?」
俺は馬車から降りていた。黒男はまだノロノロとブルリザードの手綱を握っているが、こんな所でまでこいつの股ぐらにいるのは恥ずかしい。歩いて良いなら歩くべきである。
もう俺は、縛られていない。
御者台を見上げる首は少し疲れるが。
「良いんだよ。ここに居る奴らは皆んなお仲間さ。領主や役人も含めてねぇ」
「それで成り立つのか?」
「成り立つのさ。一般的には違法でも俺達にしか捌けない仕事があるんだよ。この街は地図には載ってないが、此処の国も認めている」
「ふうん? 国が泥棒を認めてるんだ?」
「言っただろう? 物事の善し悪しは強い奴らが作るってねぇ。俺もこの国の出じゃないが、中々住みやすい街だよ」
この国が何処の国かは知らないが、そういう国の、そういう街も、あるのだろう。
俺が居た農村の作物だって、言ってみれば国ぐるみの犯罪だ。
「——ところで、キミのロマンチックな予想は外れたねぇ?」
お袋とオッさんは結局逃げずに一緒に街までやって来た。俺としては逃げて欲しかったが。
「仕方ないだろ? 俺はまだ子供だ」
「くく、都合の良い時だけは子供ぶるんだねぇ?」
そんな話をしていると、オッさんが近づいて来た。
「ウォーケン。ちょっと良いか?」
「ん? 馬車はどうしたのかな?」
「他の奴に任せた。それより、話がある」
黒男がオッさんの質問に質問で返し、オッさんはそれに応える。
それよりも——。
「あんた、ウォーケンっていうんだね?」
「ん? 言ってなかったかねぇ? 悪い悪い。同じ頭文字同士、仲良くしようぜ?」
「ウォルフ、その事なんだけどな」
再びオッさんが口を挟んだ。傍らにはお袋も居る。一応野営や休憩の場所は水場の近くが選ばれていたはずだが、この二人のこの匂いは、洗い流せきれていない。
「——お前やお前の母ちゃんは俺が面倒見る。だから、一緒に暮らさねえか?」
「え?」
なるほど、そう来たか。
だが俺の心は既に決まっていた。
「おいおい、勝手言われちゃ困るぜ? その二人は俺の収穫物だ」
「良いじゃないか。元々予定にあったのはカコの実だ。それに金はちゃんと払うからよ」
「へえ? できるのかねぇ? あんたにこの二人分の稼ぎがさ」
「……必死に、働くよ」
冷や汗を垂らすオッさんを、お袋はただ見つめている。
そして俺は——。
「無理だと思う」
オッさんの願望を否定した。
「ウォルフ!」
お袋がヒステリックに怒鳴る。
「母さん、本当の事でしょ? あの痩せ男も言ってたじゃないか。このおじさんは親切過ぎて借金まみれになったって」
「でも……でも、そうしないと私達、売られちゃうのよ!?」
「わかってる。でも、おじさんと一緒に居ても同じじゃないかな? 余裕が無くなればあの時の様に、見殺しにされる」
俺はオッさんをジロリと見た。
オッさんは僅かに目を逸らす。
「う、ウォルフ? そんな事ないわよ? お父さんはもう居ないけど、また協力して暮らしましょう?」
お袋は一転、声を和らげた。
「母さんはそうしなよ。俺が母さんの分まで稼ぐから。良いだろ? ウォーケンさん」
俺の言葉にウォーケンが満足そうな顔をする。
「ああ、本当にキミがお袋さんの分まで稼げるなら、俺はそれで良い」
「稼ぐさ。俺にはそれができる」
俺はニコリと笑みを作った。
「——母さん、だから俺は大丈夫だよ。変な場所には売られないと思う」
「売りはしないが、良い場所かどうかは別だけどねぇ」
お袋は、そんな俺達の会話を信じられないとでも言いたそうな目で見ている。
「ウォルフ、その人は……その人は貴方のお父さんを——」
「知ってる。目の前で見てたからね。でもそんな事を言うなら、そのおじさんだって同罪だ。良い人ぶってるけど、間違いなくウォーケンさんやあの痩せ男達の仲間だ。それを完全に信じて助けを求めるなんてどうかしてる」
「……すまねえ」
オッさんはあの時と同じセリフを吐いた。
結局このオッさんは、謝る事ぐらいしかできない。それで何かを解決できるワケでもないのに。
「ううん、おじさん。色々と失礼な事言ったけど、おじさんに親切にして貰えて嬉しかった。また会えると良いね」
「ウォルフ……」
二人から目を離す。
「ウォーケンさん、この街で俺は何をすれば良い?」
「切り替えが早いねぇ? それじゃ、倉庫に着いたら荷卸しでも手伝ってもらうか。それから——」
俺が二人に顔を向ける事は、もうなかった——。
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