第18話 善人よりは、悪人の方がマシ。
それから俺は御者台に揺られながらこの黒男に、名前以外のあらゆる事を教わった。
社会のルール、一般教養、初歩的な魔法など、本当に色々な事である。中でも俺の興味を惹いた事柄は、ある変化中の局所を導く考え方と、変化の積み重ねによる全体の結果を表す考え方だ。馬車の速度を例にした教え方が、とても解り易かった。
だが、どんな知識も黒男に言わせれば「意味のないモノ」であるらしい。俺に何かを教えるのは、教える以外の使い道が少ないからだと言っている。
俺にはそうは思えないが。
何故なら俺は諦めていない。自分を好き勝手に変えたこの黒男に「可哀想」と言われたのだ。こいつの識るあらゆる物事を盗んで、こいつが抗えない力で叩き潰す——それが今の目標だ。
復讐、なのだろうか。
そうかもしれない。
しかしそれよりも、この男を超える存在になりたい——俺にそう思わせる何かが、そうさせる。
俺とお袋が攫われてから何度目かの夜——もうすぐ目的地に着くらしい。
距離で云えばそんなに時間が掛かる場所でもないそうだが、見つからない様に回り道をしている為、こんなに日にちが経っている。
意外だったのは幾つか越えた国境だ。勿論、堂々と関所を通るなんて事はしていないが、本来なら兵士が居るはずの抜け道を通る時、誰もそこを守ってはいなかった。それも段取りのお陰、だそうである。
あの日から俺はお袋から離れ、休憩や野営の時も、黒男と一緒に行動していた。
お袋は相変わらずあのオッさんと一緒に遠くで同じ様に休んでいる。今晩もお袋の鳴き声が聴こえた。相手は勿論オッさんだ。既に聞き慣れている。
「くく、ガキが近くに居るってのに、キミのお母さんはすきものだねぇ?」
「そうじゃない」
そうは言ったものの、そうなのだろう。
オッさんに足の手当てをして貰っていた時、明らかにお袋は親父に見せていた顔とは違う表情をしていた。
案外、痩せ男にされた事も喜んでいたのではないだろうか。だからこそなす術なく従っていたのだと思う。
「へえ? 言葉の意味知ってるんだ? じゃあ何してるのかもわかるのかな?」
「当たり前だ。この間アイツらに嫌と言うほど、そういう事を言われたから」
嘘である。
俺は今よりももっと小さな頃から、親父とお袋のやり取りを知っていた。俺に聴こえないと思っていたらしいが、そんな事はない。あんなにやかましい声や息遣いなんかされたら、俺じゃない奴でも聴く事ができるだろう。勿論、詳しい意味を知ったのは兄貴の持って来た本のお陰だ。難しい内容の本は基本的に大人向けで、そういう描写も多々ある。
だからこそ俺はあの小太りに抗ったのだ。
「教育に悪い奴らがすまないねぇ?」
「それを言うならあんたが一番悪い」
「くくく、それはそうだ。一本取られたねぇ」
焚き火に照らされ黒光りするこの男の笑顔は、俺や親父と対峙していた時の、あの笑顔とは違う。今は本当に楽しげだ。いや、あの時も楽しそうだったし本人も「嬉しい」と言っていたのだが、なんというか、いやらしさがない。
「あんたは平気なのか? もしかしたらお袋とあのオッさん、駆け落ちするかもしれないよ」
「くくく、駆け落ち、と来たもんだ。しかもお袋、とはね。俺に合わせて無理にマセた言葉を使わなくても良いんだぜ?」
「茶化すなよ」
「そんな度胸、彼にはないさ」
「お袋にはある」
「ほお? 何故そう思う?」
「あのオッさん、あんたらの仲間にしては優し過ぎる。というか、優しい奴はどんな場所でも生きて行き難いんだと思う。だから、誘ったのはお袋の方だ。お袋はあのオッさんほどは優しくない」
お袋は、俺達が育てていた作物がどんな使われ方をするのか知っていた。その上で「自分達が生きて行く為には仕方ない」として普通に暮らしていた。あのオッさんが親父やお袋の立場なら、あんなに明るく生活なんてできなかったハズである。
「だからお袋さんがキミを置いて逃げる? ちょっとその考え方は薄情なんじゃないのかねぇ?」
「きっとお袋は俺の事を大丈夫だと思ってるんだ。こうやってあんたと上手くやってる俺を見て。ブルリザードと同じ『信頼』だよ。でも、お袋は大丈夫じゃない。自分が助かる為には自分よりも弱い人間を利用するしかない」
本当は信頼、なんてモノではないと思う。
黒男と話す俺を遠巻きに見ていたお袋の顔は、俺が親父と楽しそうに仕事していたのを見てた時と、同じ表情だった。
羨ましいのだろう。
「あのオッさんは同情してしまった人間を放って置けない。そこにお袋は付け込んで、同情から逃げられない様にオッさんを誘った。二人が逃げるのは時間の問題だと思うけど」
「ひゅー、その歳でそんな事考えるとは末恐ろしいねぇ。だが、それを俺に言ってどうしたい? お袋さんに逃げて欲しくはないのかな?」
「逃げて欲しいよ。でも、俺にとってはチャンスだ」
「チャンス?」
「俺は売られるんだろう? 自分から進んで下衆な奴らに自分を売る生活が待ってるハズだ。でもそんなのは、嫌だ。先がない。俺はあんたの様に強くなりたいから、あんたに、取り入るんだ」
「くくく、たった数日でここまで悪くなれるんだねぇ? なんだか責任感じちゃうよ」
よく言う。そんな事微塵も思ってないくせに。
「俺より強いあんたが言うなら、俺は悪い奴になるんだろうね。でも、『善い人』よりはマシだ。善人は自ら進んで地獄へ行こうとする。そして本当にどうしようもない所まで追い詰められたら結局、良くない事をするんだ」
オッさんはあの時、結局善人を貫けなかった。
というか、こいつらの仲間をやっている時点でそうである。中途半端だ。
「善人が悪い事する、か。面白い事考えるねぇ。じゃあ悪党はどうだ? 俺みたいな連中はどうなんだい?」
「……息をする様に悪い事をする」
別に追い詰められていなくても。
「くくくくく、それで?」
「どうせ悪い事するなら、半端は駄目だ。強い奴が物事の善し悪しを決めるのなら俺は、強い奴になる」
「善い目をしてるよ、ウォルフくん。良いだろう。百点満点って事にしてあげるかな」
言葉とは裏腹に、黒男の目は少しだけ悲しそうだった。
俺の考えには続きがある。黒男が時折り見せるその顔は、悪党の弱みだ。
だが俺は、それすらも強みに換えていく。
俺は、この男を、超えるのだから。
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