第20話 汚い街の小綺麗な店の地下。
似た様な汚い建物達が並んだ一角にある比較的綺麗な店の、そのドアが開く。
からんからん、と心地良い音が鳴った。
「あらウォーケンさん、いらっしゃい」
カウンター、なのだろうか。
細長く空間を仕切る細長いテーブルの奥には若い女性が居る。この汚い街に居るとは思えないくらいに綺麗な人だ。後ろで結われた黒く長い髪と、白い肌のそのどちらもが、彼女の印象をポジティブにしている。
「ああ、ひと月ぶりだねぇ? そろそろ根元が伸びてきた頃だ。時間がある時、また髪を編んで貰えるかい?」
ウォーケンもにこやかに返した。
というか、ウォーケンのこのバラバラした長い髪は、彼女が手入れしていたのか。
どういう関係だ?
「もちろんですわ。ところでその子……」
「なんだい?」
「いえ、また地下に連れて行くんだって思いまして」
彼女は俺を見て、哀れそうな
無理もない。
泥や焦げが付き、汗による黄ばみも目立つ、汚らしくも見窄らしい袖のないシャツ。そんな格好の俺が、このウォーケンと一緒なのだ。そういう想像をしているのだろう——だが、地下?
「地下には連れて行くさ。でも、まずはメシを食わせてくれないか?」
「え? え、ええ、もちろん」
「それと済まないが実は俺も、この子と同じくらい汚れていてねぇ? 旅から帰って来たばかりなんだ。大目に見てくれるとありがたい」
ウォーケンは煤けた色のコートを脱いでカウンターに並ぶ丸椅子達の一つに畳んで置いた。中から現れたぴったりとした黒いシャツの内側から、汗の匂いが薄く昇っている。池や川で水を浴びただけでは、体の汚れを完全に落とす事はできない。
「お気になさらないで? それより、その子にも?」
「当然さ。ウォルフくん、何でも好きなモノを頼むと良い」
ウォーケンの返答に、女性はホッとした顔をする。
この店にはカウンター以外の席はなく、俺達は小さな丸椅子が並ぶちょうど真ん中くらいに座った。
「良いの? 俺も食べて」
「良いとも。旨いモノは食べられるウチに食べておくべきだねぇ」
ああ、なるほど。
「なら遠慮なく。お姉さん、このお店で一番高いやつをください」
「くく、一番高い料理が一番旨いとは限らないぜ?」
ウォーケンが焦らない所を見るに、どうやら高価な料理などはないみたいだ。
「良い。自分でそれを食えるくらい稼げるようになりたい。まずはそれがどんなモノなのか、知りたいだけだ」
「……この子、随分と大人びてますね」
「お姉さんの前だからだよ」
「あら嬉しい。ウォーケンさんは?」
「じゃあ、同じのを頼むよ。本当はいつものアレを頼もうと思ったが、それだと格好つかないからねぇ」
「かしこまりました」
女性は奥の暖炉に底の浅い鍋を置いた。手際良く入れられた油から出るその音が、食欲を唆る。
「俺は教えちゃいないぜ?」
「何が?」
「おべっかだよ。何処で覚えた?」
「別に? お袋が喜びそうな言葉で、他の
「そんなトコロまでマセてるのは、あまり良くないと思うがねぇ」
今具材を炒めている鍋の隣りに、底の深い鍋が置かれた。かすかに漂う匂いから、既に仕込まれたものであるらしい——スープか?
やがて、肉や野菜の匂いを上げる鍋に、隣の鍋からの液体が注がれた。じゅううう、という音が、俺の期待感を膨らませる。
「もう完成?」
「まだよ? これをこの生地に注いで、チーズを振りかけてオーブンに入れるの」
パイ生地が陶器の中に敷かれている。
「へえ? お袋はやってなかった方法だ」
「オフクロ? ああ、お母さんの事か」
女性はそれ以上、言葉を続けなかった。気遣いだろう。
「ギリちゃん、どうだい? このウォルフくん。何か話せば色々訊いてくれるぜ? 素直だろう?」
「ウォーケンさん。その子、拾ったんですよね?」
? 何か疑問に思う事でもあるのか?
ああそうか。拾った子供に対して待遇が良すぎる、とか、そういう事だろう。
「ウォーケンさんは『子供が大好き』って言ってたけど」
「……そうなのですか?」
このくらいのやり返しは許されるだろう。というか、この街がどんな街なのかはウォーケンから聞いた。その上でこんな冗談が通じるなんて、このギリって女性もやはり、この街の住人なのだろう。
それよりもウォーケンの反応が気になる。
「そういう趣味はないよ。でも子供が好きなのは本当。ただ、わかるだろう? ギリちゃん」
ウォーケンは普通に返した。
……つまらない。
「そう、ですね……」
「それに、ウォルフくんは中々面白いんだ」
「確かにそんな感じに見えますが、どういった経緯で知り合ったんですの?」
話が予想外の方向へ進んだ。
どう答えるのだろう?
「シンプルだ。俺はこの子の父親を殺した。なのにこの子は俺について来た。そういう関係性だねぇ。くくく」
ギリがハッとした顔になる。
「ご、ごめんなさいウォルフくん!」
この人が謝る事はない。悪いのはウォーケンの方だ。それぐらいは俺にもわかる。
「気にしないで——それよりウォーケンさん。あんた、女の人から嫌われるだろ?」
「くくく、よくわかったねぇ? 嫌われたいワケではないんだが」
意外なウォーケンの欠点。しかし、この弱みは使えないだろう。必要のない情報だ。
「二人とも、変わり者ですわ」
やがて料理を目の前にした俺達は、並んでそれぞれ、がっついたのだった。
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