第10話 どちらに転んでも大して変わらない。

「ん、ううん……」


 不快な振動で目が覚めた。

 蒸し暑さとこの空間へ僅かに入る光も不快に感じる。嗅ぎ慣れたカコの実の腐った匂いも、俺の鼻をつく。

 床が抜けそうな程に強い衝撃が何度も俺を揺らした。

 体に感じる痛みよりも吐き気の方が目立つ——この乗り心地は馬車だ。親父に一度乗せてもらった事がある。

 だが速度は桁違いだろう。体の浮く感覚が長いし着地の衝撃も以前の比ではない。

 この馬車を引いているのは何なのか。

 そして俺は、その衝撃から逃れられない。足をロープで縛られており、手も後ろで縛られて汚い木の床に寝かされている。

 着ている衣服は昨晩のままだ。

 

「……ウォルフ?」


 お袋の声だ。俺は声の方向へ顔を向けようとする。首がいつもより回らないがそれでも目を限界まで寄せる事で、かろうじてお袋の姿を見る事ができた。

 お袋は沢山積まれた木箱の横に居る。

 手を前で縛られているが脚は縛られていない。俺よりはある程度自由が利く様である。

 馬車の壁にもたれる様に座るお袋の衣服は、俺が知る中で一番綺麗な物を着ていた。綺麗な服で、汚い床に座っている。

 心なしか、顔色が悪い。


「……父さんは?」

「……」

 

 親父は居ない。

 昨晩のアレは夢ではなかった。

 親父はカコの実を盗みに来た奴らに殺され俺達は攫われた、それが現実みたいだ。

 今までの思い出が頭に浮かぶ。

 昨晩は突然の出来事、その情報量に混乱して薄れていた事実——親父はもう居ないのだ。眼が熱くなるのがわかる。

 お袋も、泣いていた。


「……母さん、ごめん。俺、悪い奴らに勝てなかった」


 俺が気を失ったのは、あの男の魔法によるモノだろう。

 村の者達の中で俺は強かった。脚の速さや身のこなし、力の強さも俺に敵う奴らはいなかった。大人も含めて。

 しかし、敵わなかった。


「ウォルフ、勝とうだなんて……。お父さんでも駄目だったのに」


 違う。

 親父よりも俺の方が強い。だからこそ家族は俺が守る、そう思っていた。しかし、守れなかった。

 冒険活劇のヒーローの様な魔法をどういうワケか、悪者であるハズのあの男が使える。物語で云えば俺は主人公に助けを求める村人、そんな存在だったのである。

 悲しさよりも悔しさの方が大きかった。

 馬車に伝わる衝撃が徐々に弱くなっていき、そして、止まる。

 床を滑る体も途中で止まった。

 外から足音が聴こえ、やがて馬車の裏で布の擦れる音が聴こえた。馬車の中が明るくなる。


「おら休憩だ、降りろ。糞漏らしてねえだろうな?」


 昨晩聴いた男達の声とは、また違う声だ。


「この子は自由が利きません。せめて脚だけでもほどいていただけないでしょうか」

「駄目だ。あんたが立たせろ」


 お袋が縛られた手で俺を引っ張ろうとするが、無理みたいだ。


「母さん、俺を仰向けにしてよ。それで、自分で立てるから」


 お袋に転がされた俺は、脚を使っての蛾の幼虫の様に背中で這いずり、壁へ行く。下敷きになった両手が痛い。

 壁に頭をもたれながら全身を使って徐々に座る体制になった。

 そこから更に脚を伸ばして、自力で立つ。


「ほお? 次からは足首だけじゃなくて膝も縛っとくか?」

「やめて下さい。お願いします」

「冗談だ。ションベンしてえなら今のうちにしとけよ? まだ道のりは長えからな」


 俺はぴょんぴょん跳んで、馬車の外へ飛び出す。

 着地した場所が悪かった様で、俺は不恰好に転んだ。顔面から地面にぶつかり、土と血の味がする。

 額を地面に押し付け体を曲げ、またなんとか立ち上がった。


「おじさん、誰? 泥棒の仲間?」

「あ? 見りゃわかるだろ? そうだよ。俺も泥棒。お前らんトコとは別の畑に居たけどな」


 俺は回りづらい首を回して、辺りをキョロキョロと見渡した。

 木々に囲まれたこの広い空間に馬車が五、六台ほど並んでいる。

 馬車の前で餌を食べたり糞を垂れたりしているのは大きなトカゲ——初めて見るが、ブルリザードというヤツだ。

 小さな頭部に比べて筋肉がモリモリと膨らんだ大きな体が、図鑑に載っていた絵と一致した。コイツらが馬車を引いているのだろう。

 遠くの馬車から昨晩の泥棒達が降りるのも見える。痩せ男と小太りは同じ馬車に乗っている様だが、あの黒い男は別の馬車から降りていた。

 あいつらを、親父と同じ目に遭わせてやりたい。


「他の畑? 他の人達も居るのか?」


 空いた時間に森で一緒に遊んだりした他のガキ共やその親、そいつらも俺達と同じ様に攫われたのだろうか。


「お前、よく俺と話せるな?」

「お前なんて怖くない。手足が縛られてなければ、お前一人くらいは殺せる」

「ケッ、そうだった。お前は一人殺っちまってるんだっけか? クソ生意気なガキだ」

「俺と母さんを攫ってどうする?」

「別にどうもしねえよ。ただ運ぶだけだ」


 このオッさんが着る上衣には袖がなく、丸太の様に太い腕が飛び出していた。背中と胸に汗が滲み出している。口元の煙草から漂う香りが親父を思い出させた。


「何処に?」

「それは、言えねえな。つーかよ? 俺らもお前の親父さんを殺ってるんだ。『よく話せるな?』ってのは、そういう意味だ」


 こいつも泥棒達の仲間だし、恨みはある。だがこいつは昨晩の奴らよりも幾分かマシに見えていた。このどうにもならない状況がそうさせているのかもしれない。


「知らない。昨日の奴らとはたぶん、まともに話せない。でもあんたとは何故か話せる。それだけだ。村の他の人達は何処?」

「他の奴らは居ねえよ。俺達に気がついたのはお前らだけさ。まぁ、待ってる運命は大して変わんねえと思うがな……」


 その口元から吐き出された煙は空へと昇り、木陰の隙間から覗く僅かな陽光に、柔らかで、曖昧な、かげりをつくった。


 

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