最後の学年集会
2020.2.29
今日は土曜日。新型コロナウイルスの影響で休校が発表されて、早2日経ちました。
昨日の午前10時に市長から卒業式をやるかやらないかの発表があって、本当に今日が最後になるかもしれないと思って覚悟した。それはみんな同じだったみたい。
まず、朝登校したら、話題はもちろん「卒業式はどうなるのか」。「今日卒業式だって」とみんなが言っていた。「うそでしょ……」と思ったら、ふいに喉にくっと形のない塊が詰まった。教室の黒板には、背筋先生の似顔絵とクラス全員の名前、そして真ん中に大きく「3‐1」。
本来は朝学習の時間だけど、誰一人として勉強なんかしていない。でも、とがめる者はいなかった。8時半をすぎた頃、ようやく教室に背筋先生が来た。
「昨日のニュースを見ましたか? 私も夕方のニュースで知って……」
「もしかしたら今日が最後かもしれません……」
語尾が波打つように震えていた。
3年全員が体育館に集合したのは、8時40分くらいだったと思う。
「10時に予定通り式ができるのか発表があります。もしかしたら今日が最後かもしれないので、先生方ひとりひとりからお話をして、10時まで過ごします。式ができないのなら、その後卒業証書を渡します。できるのなら、簡単に式の練習をします。」
こんな感じでH先生(学年主任)が前置きして、いよいよ先生方が順に話し始める。トップバッターはT先生(社会担当)。
「本当なら1組の先生から順番のはずですが、1組の先生がどうしてもいやだとおっしゃったので、俺から話します。」
少し笑いを取る。
「今まで授業の初めに話をしてきたのは、みなさんに少しでも社会に興味をもってほしいからです。様々な話をしてきましたが、俺は家族の話や下品な話はしたことがありません。」
そんなT先生の話は、まさかのトイレについて。シュッとして便器を拭くやつ、あれをいつ使うのかについて、昔、生徒が始めに使う派と最後に使う派で議論していたのを聞いたらしい。最後派の人は、次に使う人のことを思ってのことだったそうだ。
いつも全く知らない人のことを気にかけて想っている、そんな人になってほしいと。
また、家族ネタははじめからおもしろいことがわかっているから離さないのだと。
T先生の、先生としての信念が見えた。つまらないことをいかにおもしろく、興味をもってもらうか。
生徒のことをこんなに考えてくれていたんだ。
次は背筋先生。自身の経験について。
「教員になりたいと思っていたけど、試験に落ちて、一度は民間企業に就職しました。2年働いて、講師として学校で働かないかという話がきました。葛藤がありました。
上司からは『ここで辞めるのは逃げることだ』と言われました。
でも、自分の頑張りたい場所はここじゃないと思ったから、転職しました。学校で働くようになって、再び、教員になりたいと思うようになりました。試験を受けたけど、落ちて、次の年も落ちて。結局受かるまで何年かかったと思いますか?
5年です。
やっぱり、何回でも不合格の通知をもらうと落ち込みます。」
一度、いや、何度も挫折してるんだ。
「人生には、たくさんの選択があります。
目標があっても、あきらめたっていい。
でも、そのひとつひとつを大事にしてください。
あの誘いがなかったら、私はここで頑張ろうと決めていなかったら、私は今、ここにはいないから。」
私に重なるところがある気がする。人生とは、きっと、先生が経験してきたようなもので間違いないのだと思う。
加害者になって、毎日が憂鬱で、でも、2017年の春、山さん(※山下智久さんのこと)に出会って、そして夏には「コード・ブルー」に出会って。冬には気持ちが固まって、2018年になってから、怒涛の勢いで頑張って。
先生も私も、後悔はしていない、きっと。
3番目はアルパカ先生。しょっぱなから涙声。
「私は3年間持ち上がりで受け持つのはこれで3回目になります。実は、先々週に1回目の子、先週に2回目の子が私に会いに来てくれました。どの学年の子にも、それぞれ思い入れがあります。
1回目の子たちは、初めて受け持った子だから思い入れがあるし、2回目の子たちは卒業式の時に臨月で、そのあと産休に入ったから。
3回目のあなたたちは、復帰と同時に異動になって、慣れた学校から離れて初めての子たちだから。」
それは知ってる。
「新天地で、たくさん不安があった。
1年の時も、2年の時も、ずっと叱ってばかりだったと思う。でも、3年になって、少しだけ、怒ることも減ったね。」
うーん、そうか? 十分怒ってたと思うけど。ただ、情熱はずっと変わってない。
「これから先、高校、大学へ進んで行って、何度も苦しむことがあると思う。でも、何があっても、生きていてね。
生きてさえいれば、必ずいいことがあるから。
少なくとも、私より先に逝ったりだけはしないでください……。」
しっかり、受け止めました。
別にいつ死んでもいいと思っていた時もあった、公園のベンチで、9月の夕方に夏服で、1人座ってぼんやりしていたのは何年生のときだったかな。
自己嫌悪になったり、頭の中がマイナス思考でぐるぐるしたり。
でも私は生きている。
絶対にこの命を無駄にしたりはしない。
4番目はピカチュウ先生。
そういや、こないだの水曜日にも泣いてた。4組のみんなからサプライズされて感動して。そんなピカチュウ先生の4組に、心があたたかくなりました。
「えー、私はさっと切り上げます。知ってるかもしれないけど、私おとといも1回泣いてますからね。もう泣きません。」
それはどうだか。離任式で毎年、離任する先生の話聞きながら泣いてるじゃん、そんなの先生だけだよ。
「君たちが小学校から中学校に上がる時、私たちは小学校の先生からひとりひとりについて話をききます。その時、みんなが口をそろえて『いい子たちです』と言っていました。
嘘じゃないよ、ほんとだよ。
どんな子たちが来るのかなあと思っていたら、本当にみんないい子たちだった……。」
「私は次、高校の先生方に、みんなのことを、いい子たちですと言って送り出せます。そのことが何よりも、私たちにとってうれしいです。」
最後声震えてて、慌てて話を終わらせたように見えた。
小学校まで、ずっと嫌われてると思ってた。嘘じゃなくてほんとなら、私のこと、いい子だと思ってたのかな。
◇ ◇ ◇
その後も記述は続き、数学の先生が「人生は一次関数」の話を、美術の先生が自身の波乱万丈な半生を、体育の先生はバナナの皮で滑って転んだというくだらなくておもしろい話をしていたようだ。
ただ、この時に「絶対にこの命を無駄にしたりはしない」と書いていたことに驚いてしまった。この時はおそらく医師として活躍することを思い描いて書いたのだろうが、その後、自分の命を軽んじるようになるとは、思い浮かぶことすらなかったのだろう。
結果的に、卒業式は無事敢行された。しかし、その翌々日は第一志望の入試があり、浮かれている場合ではない。とはいえ、これから先会える機会は何回あるだろうかと考えると帰る気になれず、近所の公園で遊びまくった。今さら足掻いても仕方ない、といった感じだったと思う。
奇妙なほどに、中学以降の私の周りにいるのは、素敵な人たちばかり。合わない人だと思うことはあっても、その人が悪い奴だとは思わない。
高校の先生たちについてもいろいろと書いておこうと思うが、何せ当時の記録など皆無に等しい。自分のことで精いっぱいで、他人など全く見ていなかった。
1年の時の担任は、中学の背筋先生と似たものを感じる人だった。彼女は家の都合でしばらく休職していたのだが、その「都合」に関する出来事により、私はとても感謝してもらえた。志望大学を変える時はこの先生にも相談に行ったし、卒業式で着る袴の前撮りをした時は、成り行きで撮った写真を見せることになったので、授業後に会うために必死で1日を乗り切った。他にもエピソードなら大量にあるのだが、今から書き始めたらきっと寝損ねるのでまたにする。
よって、本日はここまで。
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