脳内エンドレス「草枕」

 脳内が余りにも多動すぎて全部文字に起こしたらえらいことになりそうだけど書きたい、書けばとりあえず治まる、秒で復活するけど。昔ピアノで一緒だった子のお母様から見たら、私は全然障害者じゃないらしいけど、現実はエンドレスで「兎角にこの世は住みにくい」って脳内常に草枕。


 ところで、最近一体感って気持ち悪いと思う出来事があった。タグをつけて投稿して発信することでトレンドに乗って、そこから興味を持った人がファンになってくれるから、一生懸命拡散する。タグだけじゃなくてインスタのリンクとかも貼る。みんな、そうやってやろうと言っている。分かっていない人の投稿を見るとムカつく。人から聞いた話ではあるが、なんだか気持ち悪い。

 自分が言いたいことを言えばいいじゃん。自分の主張をそのまま書けばいいじゃん。やりたいようにやればいいじゃん。謎に他人にも自分と同じことを求める性質、タチ悪いから止めた方がいいと思う。もちろん、誹謗中傷とかは例外だけど。

 ファンは広報委員ではない。

 画面越しにしか知りえないような赤の他人を頼って自分の願いを叶えようとするくらいなら、もっと近しくて信頼できる人に頭を下げればいい。そういう頼れる人がいないのであれば、その人はその程度の人間であるということじゃないか、と。

 能力を上げ、人間としてより魅力的になれば、自然と周りの人間も増えるのではないか。ただ単に仕事が出来るだけの人より、より高めている人の方が、一緒に働きたいと私は思う。一緒に働きたいと思う人が増えれば、自分の仕事は増える。見てもらえる機会は多くなり、見る側が思ったことをただ述べるだけだとしても、それが多ければ、わざわざ宣伝しようとしなくても自然と輪は大きくなるのではないか。

 世界中が敵に回ることはない。世界中が味方になることもない。だから、わかる人がわかれば充分。わかると思う人たち全員が同じ考えということもないから、それぞれが好きなようにやればいい。「同じ」ばかりを追求すると、結束が強くなるかもしれないけど、それはわからないと思う人たちとの溝を深めることとイコールのはず。深くなりすぎると、亀裂ができる。亀裂は争いの元になって、そして、争いは何も生まない。だから、もっと、みんな自由でいいんだ。「一体」になることなんて求めなくていいんだ。そもそも、SNSがまだなかった頃は、ファンの一体感などほぼ皆無だったのではないかと考える。それでもスターは存在した。ただし、私はその時代を生きていないので、これはただの推測でしかない。

 ファンを増やしたいと思っているみたいだし、そう思うことを当たり前だとも思っているようだけど、数は大きければ大きいほど良いというわけでもない。見てくれる人が増えれば責任も大きくなるから、その責任を果たせないなら、人に見られることを仕事にするなんて、さっさと辞めちまえ。物理的な得は大してないのに、自分の時間と金を差し出して応援する人たちへ追加で求めるより先に、自分をもっと磨け。

 私にとっての一番は私。私は自分を貫く。嫌なものは拒否するし、好きなものは追いかける。私の自由を妨害する人には抗う。そんな私を良いと思ってくれる人がいるなら、それ以上嬉しいことはないし、だからこそ大切にする。私の一方的な気持ちだとしても、大切な人のためなら動くし、私を大切にしてくれる人のためにも動くし、そして何より、このことは私の意思だから、つまり私は私のために動く。もっと深い人間になりたいし、そのために自分を磨いて、今まで抑え込んできた分も解放して、暗い部分も含めて、受け入れてくれる人と共に、この世を謳歌してやる。


 ちなみに、今回の一段落目は私の過去ツイだが、「草枕」は未読である。

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