ハッピーエンドは存在します
それでもハッピーエンドは存在します。このフレーズはとある映画の中で出てくるものなのだが、その映画のタイトルを言ってしまうのは何だか気恥ずかしいような気がしないでもない。よって、題は明かさないが、ネタバレ満載で、あれこれ感じたことを書き連ねてみようか。
まず、この映画の主人公は漫画家である。彼の作品は人気を博していたのだが、ある日主人公はナントカカントカ緑内障により目が見えなくなった。不自由な生活か、自分が障害者になったということか、あるいは漫画が描けなくなったということか、そういった原因は全てが混在しているのであろうが、彼は自宅マンションのベランダから飛び降りようとした。そんな時に現れたのが、響という女性。彼女は主人公の漫画の読者で、休載となっていたことで作者の身を心配し、SNSの情報を頼りに家までやってきた。やがて主人公と響は恋愛関係になる。
あるシーンで、二人はベンチに座り、夢を語っていた。響が、自分の夢は主人公のお嫁さんになることだと言うと、主人公は、響の夢を叶えることが自分の夢だと言う。
この映画の中で、トロイメライというゆったりと落ち着いた雰囲気のピアノ曲が使われている。トロイメライはドイツ語で夢という意味であり、これはおそらく二人が結婚するということを指しているのだろう。この曲が流れるのは、終盤のかなりシリアスなシーンである。
始めは緑内障だと診断された主人公だが、街中で倒れてしまい、運ばれた病院で、目が見えなくなった原因は緑内障ではなく脳腫瘍だと判明した。しかも、治すにはアメリカに渡って手術を受ける必要がある。死を悟った主人公は、見えないながらもアシスタントの手を借りながら休載していた漫画を描き、完結させた。そして、行方をくらます。
この漫画のラストで使われていた言葉が非常に心に響いた。
「それでもハッピーエンドは存在します。
僕の友人ライナー・マリア・リルケの言葉を借りようと思います。
『私の目を消し去ってみようとも、あなたが見えます。私の耳を封じてみようとも、あなたが聞こえます。足がなくてもあなたのもとへ行けるし、口がなくてもあなたを呼び寄せられます。私の腕を折ってみようとも、手で触れるかのように、あなたを私の心臓で触れるでしょう。私の心臓を塞いでみようとも私の脳が鼓動するでしょう。そして、私の脳にあなたが火をつけるのなら、私の血にあなたを乗せて行くでしょう。』
愛するスミレ。
最後まで諦めないで。
辛い時こそ笑うのよ。」
響が主人公を探し回って、クリスマスのイルミネーションの輝きの中を走る。その時に流れるのがトロイメライ。響は二人で夢を語り合ったあのベンチで、意識を失って雪を被った主人公を見つけた。
私は、主人公は死んだとばかり思ったが、ここでどんでん返しだ。
白杖を使わずに飛行機から降りてくる主人公。どうやら目は治ったらしい。そしてスラーが多用された愛の主題歌に合わせて、主人公と響の結婚式だ。
私は無理矢理なハッピーエンドが嫌いである。むしろ登場人物が闇堕ちするような物語は大好物だ。例を挙げるとすれば、雫井脩介さんの「検察側の罪人」、貴志祐介さんの「青の炎」、東野圭吾さんの「幻夜」。他にも好きな本はたくさんあるが、この場では以上の三冊ということで。つまり、普通なら、この映画は嫌いなストーリー展開に分類される。ネット上の考察では、主人公は亡くなったという説もあり、主人公を演じた方は、解釈は観た人に委ねると仰っていた。
私は、この映画に関しては、これでもかというくらいハッピーな結末が似合うと思う。主人公は病気を治し、念願の結婚を叶えた。
何度も使われ、観る者の脳に植え付けられるフレーズがあるのだが、それは「辛い時こそ笑うのよ」。主人公の漫画でも出てきたやつだ。そして、キーとなるものとしてトロイメライ、つまり夢。そして、何よりも重要だと私が捉えたのが「それでもハッピーエンドは存在します」だ。
主人公は確かに、雪が降る夜に行方をくらました。でも、最後に完成させた漫画の最後で、ハッピーエンドの存在を信じていた。人生に希望はある、どれだけ苦しくても必ず幸せはある、と考えていたのではなかろうか。
すると、この物語が伝えたいことは、絶望の淵に立たされてもいつか幸福は訪れる、ということなのではないだろうか。
バッドエンド、サッドエンド、メリーバッドエンド等、物語には様々な結末があるが、全てに共通して言えることは、その物語を生み出すことを通じて、作者側が伝えたいことがある、ということだと私は考える。つまり、必ずいつか幸せになれるということであれば、また、どんな絶望を味わっても希望はあるということであれば、主人公を不幸のどん底に突き落とした上でこれでもかとハッピーにするというストーリーは、極めて素晴らしいと思う。込み上げるものがある。
私は、無理矢理なハッピーエンドが嫌いで闇堕ちが大好物だと述べたが、訂正しよう。私の大好物は、物語を考察して制作サイドの伝えたいことを感じることである。そして、伝えたいことを表現するための強引な結末は、案外胸に刺さるみたいだ。この感覚がたまらない。私は決してハッピーエンドが嫌いというわけではない、ということがわかった。
では、折角だしハッピーエンドの物語を書いてみたいと思うのが私の
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