第2話

 夜のスタジオ。

「脚が動かない人を拾った」

「はあ!?」

 バンド仲間の反応は、一人を除いて同じだった。

「何、浮浪者を住まわせてんだよ!」

 ギターの新が、でかい声で言う。

「浮浪者者……じゃないと思う」

「証拠はあんのかよ」

「ちゃんとした服着てた」

「それだけかよ」

「ってか女? 脚が動かないって何?」

 ドラムの竜介がにやにやと笑いながら言う。

「男。腰から下が動かないらしい」

「けっ、男かよ。つまんね」

「脚が動かないって、大変じゃねえの?」

 新に言われて、「分からない」と返す。

「分からないって、お前なあ……」

 呆れたように新がため息をつく。

「で、名前は?」

「分からないらしいです……」

「記憶喪失(ほぼ浮浪者)で、しかも名前も知らん奴が家にいるなんて、よく一人にできたな。俺なら無理。即追い出す」

「でも、悪い奴じゃなさそうだったし」

「見た目で人を判断するなよ。この世界はどういう奴が何やるか分かんねえんだぞ」

 ごもっともだ。

 何も言えずに、碧は黙る。

「どんな子なの、その子」

 ずっと黙っていた蓮が、ベースのチューニングをしながら言った。

「おい、狙ってんじゃねえだろうな」

 新に言われて、蓮は「どうかな」と答えた。

「顔は……整ってると思う。鼻筋も高いし、目も大きくてすっとしてるし、唇は少し厚めで、ぷっくりしてる」

「あー、じゃあ、僕のタイプじゃないな。僕は唇が薄い方がいい」

「お前の好みは聞いてねえ」

 新が突っ込む。

「蓮、彼氏いるんでしょ?」

 にやにやとしながら、竜介が聞く。

「ああ、それなら別れたよ、三日前に」

「はあ!?」

「別れたなら、もっと落ち込め」

 新にげんこつを落とされて、蓮は「いてー」と言った。

「ほら、練習すっぞ」

「え、拾った子の話は?」

「俺らには関係ねえ話だ。ライブ近いんだから、やるぞ」

 有無を言わさぬ口調で新が言い、三人はそれに従い、練習を始めた。


   ×   ×   ×


 ぽつぽつと街灯の灯る帰り道。

「ねえ、碧」

 碧と並んで歩いていた蓮が言った。

「その子、どこで会ったの?」

「家の近くの砂浜」

「……今度、会わせてくれない?」

「え? なんで?」

「いや、彼氏と別れたばっかだし、もしかしたら、僕、唇厚い子ともやっていけるかもって思って」

「……動機が不純だから却下」

「えー、お願い。ね、会わせてよ」

 蓮はそう言うと、ぱちんと両手を合わせて、お願いしてくる。

 上目遣いで見つめられると、自分はそういうタイプではないのに、勘違いしそうになる。ノンケが落とされるのも無理はない。

「……分かったけど、記憶喪失だから、その……あまり刺激すんなよ。どうなるか分かんねえから」

「オッケー。ありがと」

 蓮はそう言うと、碧の頬にキスをした。

「あっ、蓮!」

「もう彼氏いないから浮気じゃないもん」

 けらけら笑いながら暗い夜道をスキップする蓮を、碧は置いていかれないように追いかけた。


   ×   ×   ×


 朝飯は箸と茶碗の使い方を教えるところからだった。

 目の前に出されたものが分からないのか、男は目を丸くして箸と茶碗、それから目の前に広がる総菜を見つめた。

「……箸の持ち方は分かるよな?」

 男は首を横に傾げた。

 はあ、と思わずため息が漏れる。

 すると、男はびくりと肩をこわばらせて、様子をうかがうように上目遣いで碧を見た。

「……ごめん、さすがにここまでとは思わなかっただけだから。怒ってはない」

 それでも肩に力が入ったままの男に、碧はため息をこぼさないように注意しながら箸の持ち方を教える。

「こっちの箸を親指と人差し指の……そう、そこにまず入れて。で、次に……」

 なんとか持たせたはいいものの、動かし方になると、まるで子供のようなぎこちなさになる。

 碧は諦めて、フォークとスプーンを持ってきた。

「慣れるまでは、これ使って」

 簡単にハムカツにフォークを刺して実演して見せると、目をキラキラと輝かせる。

 まるで子供だ。

 フォークとスプーンはさすがにすぐに使いこなせるようになった。持ち方もしっかりと三本の指を使えている。

 案外、器用なのかもしれない。

 一口食べるごとに顔をぱっと明るくしている男を見ていると、まるでペットでも飼っている気分だった。

 昨日の夜の残りの総菜が並ぶ朝飯を食いながら、碧は男に言った。

「名前、何がいい?」

 本当は昨日の夜のうちに決めておこうと思ったのだが、バンド練習から帰ってくると、男はすでに床に丸まって眠っていたから決められなかった。

「……」

 男はご飯をスプーンに載せたまま口をパクパク動かすが、やはり何を言っているのか分からない。

 読唇術でも習おうか。

 そう思った時、男は碧を指さして、頷いた。

「え……?」

 そのあとも、細々と色々な動きを繰り出す。

「俺……言う……え、違う? 俺……」

 そうしているうちに、なんとなく読めてきた。

「俺が決めろって言ってる……?」

 男はまたぱっと顔を明るくした。うんうんと首が取れる勢いで頷いている。

「決めろって言ったってなあ……」

 碧はテーブルの上を見回した。箸、茶碗、コップ、サラダ、プラスチックの入れ物、ポテト、ハムカツ……

 テーブルの上にヒントはなさそうだと察し、今度は部屋の中を見回した。ベッド、枕、ブランケット、ソファ、カーペット、座布団、本棚……

「……陽翔はると

 碧は本棚の上の写真立てを見ながら言った。

「陽翔、っていうのは?」

 視線を男に戻すと、目を丸くして瞬きを繰り返していた。

「……嫌?」

 すると、はっとしたようにぶんぶんと首を横に振った。

「陽翔でいい?」

 陽翔と名付けられた男は、喜ぶ犬のしっぽのように首を縦に動かした。

「じゃあ、陽翔な」

 顔をほころばせながら、陽翔は『はると』と口を動かした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る