~第40節 白い誘惑~

 日本の首都東京の最も栄える繁華街の一つ、新宿のビルの立ち並ぶある谷間の、開けた広い公園には辺り一帯に、黒い霧が立ち込めていた。そこからは数々のモンスターが姿をあらわし、周辺の建物を破壊しようとしていた。当初、一般人を襲いそのカルマを奪うつもりでいたが、駆け付けた八咫烏やたがらすの面々の結界や介入により、最悪の事態は避けられた。目標を失った魔物は目を赤く光らせ、虎視眈々こしたんたんとアキラ達を襲おうと、周囲を取り囲みカズヤからの号令を待っている。晴れ上がっていた青空も、さもそれに合わせるかのように、徐々に黒い暗雲が広がる、曇天となり始めていた。


「待て!聞きたいことがある」


 【玄武】姿のガントが正に次の一手を、繰り出そうという寸前、アキラが前面に立ちその行為を遮る。


「どうした?ここにきて、命乞いか?」


 それまで黙して語らずのガントが、岩を擦らせたような低くくぐもった声で、上に向けようとしていた亀の顔を正面に向ける。


「どうして今回、人払いもかけずに、そしてこの新宿を狙ったのか、だ」


 その問いに対して、カズヤがガントの前に歩み出て、アキラを見下すように語る。


「まぁ、そうだな…ありきたりだが、冥土の土産に教えてやろう。今までは内密にカルマを集める必要があった。しかもこの日本には神域や聖域で、守られているところが多すぎて実に都合が悪い。しかし、いまはそれもする必要がなくなり、手っ取り早く人口の集中する、この大都市の新宿を選んだわけさ」


 そう語るカズヤに対し、アキラはにらみ返す。


「それは別の方法が見つかった、ということか?そもそも、人々のカルマやネガティブ想念を使って、何をしようとしているんだ?」


「そういうことだ。世界への悪行が過ぎた現在の人類を粛清しゅくせいし、ゼロから進化を促す必要がある。そのためにカルマを使用し、魔物を使役する必要がある…もっとも、そのダークエネルギーの使用先は他にもあるがな」


 さげすむような視線を八咫烏やたがらすの面々へ向け、カズヤは吐き捨てるように返答する。それはあまりにも横暴だと言わんばかりに、握った拳を捨て去るしぐさで、ナツミは反論する。


「そんなのは、あんた達の一方的なエゴでしょ!なんの権限があってやってるのよ?!」


「本当に我々のエゴだと思うか?ではなぜ、今もこうして世界各地で抗争や戦争が、未だに無くならない?それなら我々ダークスフィアがこの世界を根本から変えてやろう、ということだ」


 カズヤの独善的な論調に、ナツミ同様にその理不尽な苛立ちを抑えきれず、アキラも口を挟み叫ぶ。


「そんなことは詭弁きべんであり傲慢もいいところだ!…だからといって、お前たちダークスフィアが何もかも勝手にやって、いいことにはならない!」


 アキラの正論にも拘わらず、カズヤは歯をむき出しにした笑みで答える。


「貴様らがなんと言おうとも、我々の計画を変更することは決してない…そして総帥のお考えもな。少々無駄な話をしすぎたな。では、そろそろ貴様らも粛清しゅくせいさせてもらおうか」


 それだけ言うと、カズヤはサッとバックジャンプで引き下がり、ガントが口を大きく開けて重苦しい濃い紫色の球体を生み出す。それによって、八咫烏やたがらす全員に重い重力がのしかかり、動きが封じられる。


 ―――ズズズズズズ…


「どっ、どうするんですか、アギトさん!?また例の重力波ですよ!」


 背中のアーチェリーボウを構えながら、カケルがアギトへ尋ねるが、その顔は思わしくない。


「俺にだってどうしようもねぇよ!手があるなら聞きたいくらいだぜ…」


 そして無慈悲にも全員の動きが取れなくなってしまった。それと同時にカズヤと入れ替わる形で、両手にタロットカードを広げた、ミフユが前に出る。


「あらあら…みんな動けないのねぇ。仕方ないわねぇ…それじゃぁ、1枚カードを引かせてもらおうかしら」


 そうして動けない八咫烏やたがらすの集団を前にして、数ある裏返しにされたタロットカードから、1枚を選んで引き抜いた。引いたカードをアキラ達に見えるように向け、その内容を嬉しそうに読み上げる。


「これは大アルカナの『悪魔』の正位置のカード。ウフフ…意味は誘惑、このタイミングで好都合なのが、出たわね」


 そしてかざしたタロットカードから、闇の黒い波動が動けないセレナに向かって、漂い流れ出す。


「くそっ、なにをする気だ?!」


 同様にして超重力により動けないアキラは、立膝をつきながら自身の持つ長杖ロング・スタッフにしがみつき、セレナの身を案ずる。動けないセレナをその真っ黒い霧が包み込むと、両の瞳がエメラルドグリーンから紅い輝きに変化した。


「さぁ…どうなるんでしょう…ね?いいわよ、ガント」


 迎え入れるような仕草で片手を前に差し出すと、ミフユはガントへある指示を送る。


「御意…」


 ガントが口をパクパクとすると、セレナ1人だけ超重力の魔術が解かれる。すると自我のない感じでフラフラと立ち上がり、ダークスフィア3人の方へ歩き出す。それに気付きアキラが必死に止めようと、身体を起こそうとするが、すぐに重力魔術で抑えつけられる。


「セレナくん!」


 アキラの声かけにも関わらず、何も聞こえないかのように、そのままセレナは歩みを進める。そこへ素早くカズヤが駆け寄り、みぞおちに軽く突きを加えると、気絶したセレナを肩に軽々と担ぐ。


「それじゃぁ、この娘はもらっていくわ」


 捨て台詞をつぶやき、ミフユは後ろにある空間に黒い霧でできた、入口ポータルのようなものに入ろうとする。それに次いでセレナを担いだカズヤが追いつこうとする。


「待て!」


「せいぜい生き抜いてみるんだな八咫烏やたがらすの者どもよ。あとは頼んだぞ、ガント」


 カズヤがあとをガントへ託し、指をパチンと鳴らす。そしてアキラの訴えも空しく、ダークスフィアの2人は闇の向こうへと去っていく。カズヤの指を鳴らす合図を待っていた、周囲を取り囲む魔物たちは、紅い眼を光らせじりじりと行動を開始しようとする。


「セレちゃん!」


 無情にもセレナを連れ去っていくダークスフィアに対し、思わずアキラは普段人前で呼ばない呼称で叫ぶ。


「セレニャは我が守るニャ!」


 閉じようとしていた入口ポータルに走り込み、ギリギリで間に合い、ライムがその向こう側へ姿が消えて行った。


「ライムちゃん!」


 それを見ていたカエデが、追って行ったライムに声掛けをするも、届いたかどうかわからず、その返答も聞くことはできなかった。


『―――ザァ…こちら司令部よ。今そちらで、亜空間歪曲わいきょくの発生を確認!獣人2人と一人の生体反応…セレナさんの入口ポータルからの転移を確認しました…状況を教え…』


 ARヘッドセットから聞こえる、司令部のソフィアからの通信は、耳には届いていてもアキラにとっては、途中で頭へと入って来なくなっていた。それもそのはず、さらわれたセレナの身を案ずることだけで、気が動転していたからだ。


(くっ、セレちゃん…どうしてこうなった…僕は、僕は他には、何か手はなかったのか…)


 今まで感じたことのないくらいの悔しさと後悔と、自分の何もできない不甲斐なさと、ダークスフィアに対する恨みの念に、アキラは苛まれていた。地面に突いたその握りこぶしは、プルプルとないまぜの怒りと恐怖の感情に、支配されているかのようにみえた。首を上げるが、消え去ったダークスフィアの2人の姿はそこにはおらず、何もない虚空にはそのポータルもすでに存在してはいない。


「セレナちゃん!なんでこんなときに、身体が動かないんだ!…あいつらに何をされるかわからないよ!」


 少し後方にいたカケルも、アキラ同様にこの状況のもどかしさをひしひしと感じて、叫んでいた。カケルの叫びで少し冷静さを取り戻したアキラは、代わりにそれに答える。


「まだ殺されると決まったわけじゃない…これはかなり高い可能性として、奴らは以前にセレナくんの力を手に入れ、利用したいと答えていたからな。だから、必ず連れ戻しに行くぞ!」


 冷や汗を垂らしながら、カケルはその考えに一縷いちるの望みを託して、コクリとうなずく。


「でも、その前に周りのこいつらを、なんとかしないとね…」


 バイザーに映るスクリーンには、赤い反応が複数動き出しているのが見えた。武器を振りかざしてじりじりと間合いを詰めてくる、魔物ににらみを利かすナツミは超重力魔術の中、周囲をぎこちなく見回す。


「それならば、わたしがソルフェジオを使いますので、どうかそのあいだに」


 鞘のまま腰から抜いた愛刀に支えられつつも、マリナはこの超重力下でも動く口を、上手く使おうと策を講じる。


「助かるよ、マリナくん…だが、魔物を抑え込めたとしても、この重力魔術は…」


 その申し出に感謝しつつも、アキラは現状を打破する解決策を見つけられずにいた。

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