~第35節 八咫烏(やたがらす)~

 異世界転移から現世に戻って一週間経ち、各々はそれぞれの疲れを癒し、日々を過ごしていた。その時の出来事は一見夢のように思えるが、やはりいろいろなことがありすぎて、強い現実感を拭いきれていない。そのなかでセレナは飼猫のライムと一緒に、最近始めているルーチンで、毎日の日課としている朝のジョギングで、近くの大きな公園へ向かっていた。この日は澄み渡った秋晴れで、陽射しは強いが残暑も少なく、頬を撫でる秋風が心地よく感じる。


 大学は一週間まえに起きた異常な事態の影響を鑑み、急きょ当面のあいだ臨時休校となった。けが人がいたのもあるがそれ以上に、その日以来姿が見えず、行方不明の生徒が何人もいる、との連絡も受けていることにも、衝撃を覚えざるを得ない状態だった。セレナと足元で並走するライムは、喉元まで見える大きなあくびのあと、現世に戻ったことを実感しているようだった。


「ふにゃぁ~ぁ…やっぱり、ちゅーるがある世界が一番だにゃ」


「なにつくづく語ってるのよ。結局美味しい食べものしか、考えてないじゃない」


 ジト目で傍を一緒に歩く猫を一瞬見つつ、再び前を見る。


「いいんだにゃ。ちゅーる以外にも旨いもんが、沢山あるにゃぁ」


 そう言いながら、ライムはペロリとザラザラの舌を、舌なめずりする。そしてセレナと同じように社会人らしい男性が、前方からジョギングで走って向かって来る。こちらにセレナがいることに、あまり気が付いていないような雰囲気だ。


 ―――ドンッ!


「キャッ!」


 その時、肩と肩がおもいっきりぶつかった。倒れるほどではないが、セレナは半ば突き飛ばされるかのように、横に逸れてしまった。しかし男性側は数歩それに気が付かず、通り過ぎたが、ようやく気が付いたところで振り向き、謝罪の言葉を述べる。


「んっ、あ、ごめん、申し訳ない!時間ないんで…」


 ごく短い時間で軽く謝り、その男性はそのまま行ってしまった。セレナは茫然と立ち尽くし、ライムは行き過ぎた男性をジッと見ている。


「なによ、あれ、失礼ね!」


 プンプンと蒸気を出すかのように憤り、セレナは悪態をつく。そして引き続き歩みを進めて、ジョギングの続きをしようとした。ところが、今度はベビーカーを引いたママさん2人が、おしゃべりをしながらセレナの足先を轢いていく。


「いたっ!」


 轢かれた足先を両手でつかみ上げ、セレナは痛がる。先ほどと同様に、数メートル過ぎてから、ママさん2人は謝る。


「あら、ごめんなさいね。ちょっと気が付かなかったから」


 大して悪びれもなく、誤ってすぐにまた2人同士で話を続け、笑いあっている。またプンプンと蒸気を出すかのように憤る。


「ちょっと!なんなのよ!あれ」


 そしてダメ押し的に、今度は小学生くらいの男の子が、前に何も無いかのように、ダッシュで突っ込んで来た。


 ―――ドンッ!


「コラッ!」


 この小学生も同じく数メートル先で振り返り、目を丸くしてカクカクと首を垂れる。


「あっ、え?ごめんなさい!」


 再び同じくらいの速度で、小学生はダッシュでその場をあとにした。


「もう、今日は最悪っ!ついてないわ…」


 その一部始終を観ていたライムは、フムと前足をアゴに当て、ため息交じりに一人ごちる。


「それはお主の波動が上がった、せいかもしれないニャ…」


 実はこの人が気付かずにぶつかる現象は、今日に始まったことではなく、ここ一週間は外出するとこれである。そんなライムをセレナはしゃがみながら、まじまじとその人間臭い猫顔を見つめる。


「波動が上がると、ぶつかってくるの??」


 すると閉じていた片目を開け、ライムはセレナを見る。


「ぶつかって来るのではなくだにゃ、見えにくくなるのニャ」


「見えにくくなるから、ぶつかって来るの?」


 ビッとアゴに当てていた前足をセレナの眼前に向け、ライムはその詳細を語りだす。


「そうニャ。この世は3次元プラス、時間の1次元で4次元と呼ばれているニャ。よくいる幽霊の類は中途半端な4.5次元で、精霊や妖精、天使などは5次元の存在と言われているにゃ。波動の高い見える人にはこの類の存在は見えると思うニャ、しかし大抵の人には認識できないニャ。だから近くにいても通り過ぎてしまうんだニャ。そしてそれと同じように、波動が5次元以上になりかけている人間も、他の波動が高くない人には認識しずらくなって、いないかのような認識になり、ついぶつかってしまうんだニャ。だからその時、当たる感覚はあるから、そのあとにようやく気が付くんだニャ」


「えっ…それっていいような、悪いような…」


 少し困惑して、セレナは思わず口に手を当てる。


「それはこの3密度の世界では不便に感じるけどニャ、最終的には自分の行きたい世界に、行くには仕方ない通過儀礼みたいなもんなんだニャァ」


「ふぅ~ん、通過儀礼ね…それなら、仕方ない…かなぁ」


 半ば納得し首を少しかしげて、半ば半信半疑で一応は納得した。


 ★ ★ ★


 ―――人にぶつかる現象に立ち会った後から約2時間後、シャワーを浴びて汗を流し、身支度を整えた後にセレナとライムは、自らの通う大学へ向かっていた。アキラが呼び出しを行っていたためである。いつもの登校時間と同じくらいではあるのだが、そこへ向かう学生はほぼ皆無に等しかった。落ち合う場所はアキラの研究室で、入り口で監視する守衛に事情を話してから、ようやく目的の場所へと到着した。いつものようにアキラの研究室の扉をくぐると、おなじみの一週間前と同じ面々が、すでにそこにはあった。そのうちのカケルが、セレナに第一声をかける。


「あっ、セレナちゃん、ライムちゃん、おはよ!」


「カケル、おはよ!みんな集合時間まだなのに、早いね」


 すでに集まっていたカケル、ナツミ、カエデ、アギトの後ろから白衣姿のアキラが笑顔を見せる。


「セレナくん、で最後だね。今日はみんなに連れて行きたい場所があって、そこに向かおうと思う。それじゃ、行こうか」


 そして鉄製の扉を開けて、以前の魔力感知装置のある部屋へ入る。天井の明かりをつけた後、その部屋の一番奥にカードリーダーがあるが、扉が無い部分にアキラは立ち、手持ちの3本足のカラスがデザインされたカードキーをかざした。すると開錠の電子音のあと、壁と思われたものが扉と同じ大きさで、引っ込みつつ横へスライドすると、その先に鉄製の自動ドアがプシューっと音を立てて開いた。そこには地下へと続く階段が姿を現した。


「えっ、この奥にこんな隠し通路があるなんて、知りませんでした…」


 キョロキョロと後ろと前と確認しつつ、ナツミはつぶやいた。そう来ると思い、アキラはこの隠し通路の説明をする。


「ここは、秘密の回廊で、地下の専用シャトルへとつながっているんだ」


「せ、専用シャトル…ですか??大学の地下に…」


 そんなものが大学の地下にあると、いうことが信じられず、思わず大きな声でカエデは驚く。


「まぁ詳しくは、とりあえず来て欲しいな」


 アキラを先頭にして、長い地下階段を降りやがて列車の駅のプラットフォームらしきところへ到着する。駅の名称としては『大学前』となっている。そこには専用シャトルと言われる列車が1両止まっており、扉も開いていつでも乗り込めるようになっているようだ。その列車の開いた扉の前に立ち止まり、みんなが中へ乗ってもらえるように片手を差し出す。


「さぁ、こちらの専用シャトル、原理はリニアモーターカーと同じなんだ。この列車に乗ってほしい」


「リ、リニアと同じ原理って、もう実用化されていたんですね、驚きです!」


 カケルは興味深くホームと車両をキョロキョロと見回し、中へと足を踏み入れる。


「まぁ、俺は何度も乗ってるがな。今さら何も驚かねぇぜ」


 いつも乗る電車に乗るかのように、何の感慨もなくアギトは乗り込む。


「アギトさんは、何度も乗られてるんですね」


 一番奥の窓側の席にアギトが座る際に、セレナは声をかける。


「あぁ、司令部から呼び出しがある時は、な」


「司令部?」


 全員が乗り込んだことを確認したアキラは、アギトとセレナの話に割って入る。


「その話は、着いてからにしようか。適当な席に座ってくれ」


「あ、はい!」


 近くの席に慌てて座り、セレナは窓の外を眺める。しかし外は暗いトンネルのままだ。運転席はなく、自動運転で列車はゆっくりと進みだす。少し強い加速のあと、15分ほど経つと減速を始め、やがて目的の駅『司令部前』に到着した。到着したあとも同じようにアキラが先導し、列車を降りる。駅名称の下には3本足のカラスが大きくデザインされた両開きの鉄の自動ドアがあり、やはりその隣にはカードリーダーが備え付けられている。そこにアキラはまたカードキーをかざすと、両開きの鉄扉が開き、奥へと続く回廊が見て取れた。そしてその一番奥まで行くと、入り口と同じデザインの両開きの扉が行く手を塞いでいる。そのすぐ隣にあるカードリーダーのカメラに向かって、アキラは自分達が到着したことを連絡する。


霧谷きりたにアキラ、他5名到着しました」


 その少しあとに、鉄製の両開きの自動ドアがプシューっと音を立てて開いた。中は司令部というだけあって、壁一面にコンソールディスプレイがかけられており、いろいろなカメラ画像やセンサー画像が映し出されていた。その前にはインカムを銀髪で長髪の女性が、目の前の画面を見ながら世話しなくキーボードを叩いている。中央の両サイドにソファーが設えており、一人の金髪に細めのメガネをした男性が、ノートパソコンとにらめっこしている。そして入口付近で出迎えた、亜麻色の髪に眼鏡姿にフォーマルスーツを着た、いかにもキャリアウーマン風の女性が、アキラ達を歓迎した。


「ようこそ『八咫烏やたがらす』司令部へ」


 ここは司令部の最先端の環境に驚くところだが、セレナはその出迎えた女性に一番驚きを隠せなかった。


「えっ、お、お母さん!?」

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