第9話 男たちの約束
半日ほどが過ぎた。昼の日差しでようやく乾いた元の服へ着替えなおすと、一旦これまでのことを忘れてイティを船長室へ呼び出した。
ニオには早速船の操り方から持ち場を決める作業についてもらったので二人きりだ。
「流石は提督の乗る予定だった船だな、色々と豪勢なことで」
無駄に絵画やらが飾ってある内装に肩を透かしつつ、俺の言葉を待って、椅子に座っていたイティの向かいに腰掛ける。
「最初に言うが、別に怒ってるとかなんだとか、そういう話じゃねぇ」
「……では、なんじゃ」
「警戒しなくても平気だ。俺はただ、お前……フィンの姉に真面目な話がある」
フィンの名が出て、イティの顔つきが怯えの見えたものから一気に引き締まった。
「申してみよ」
「――最初にハッキリさせておきたいんだ。俺は本気の本気で、フィンを助けたいと思っている」
大真面目に言うと、イティに動揺が走る。
「嘘はついておらぬな……なぜじゃ」
「こんなセリフ今回きりにさせてほしいんだが、フィンが特別だからだ」
特別。その言葉の真意を見出すよう、イティは目を細める。
「封印とやらを解くために必要なハイエルフじゃからか?」
「違う。フィンには、俺が個人的に世話になったことがあってな……守銭奴もどきだった俺が、こうして助けるだとか、とにかくそんなことを考えちまう程の事があったんだよ」
いくらか黙ってから、イティは問う。「惚れているのか」と。
「グレインの輩も、なぜかフィンを特別扱いしておった。なんならわっちすら特別に見ておった。会話からしてわっちがハイエルフだと知っていたはずじゃというのに、下手に傷つけることをせんかった――捕らえ、その封印とやらに利用することも、それこそ売り払うこともできたわっちを、町に放り出す始末じゃ」
グレインがフィンを特別視していた……? それは以外すぎる。陸での道中、フィンへは興味を抱いているようには見えなかったが……
「なぜかと考えても、フィンに惚れておるから姉であるわっちに手を出さんかった。未熟と言われたわっちには、一晩経ってもそれしか思いつかん」
「ちょっと待ってくれ……グレインが惚れた? いや、いくらなんでもあり得ねぇぞ。そもそも封印を解くためにはフィンの血が必要で……お前の血でもいいわけで……」
グレインとは長い付き合いだ。出会った時から冷徹で冷酷で、売り出し中の汚い仕事をこなす時には大活躍だった。
悪党以上に誰かの命など毛ほども興味のない奴だった。だからサンランページは成り上がれたとも言える。副リーダーにメダルカではなくグレインを置いたのも、そういう理由がある。
アイツなら、封印を解くための保険としてイティを連れて行くことくらい躊躇わない。
もしも血が足りなかった時に殺すことだってしただろう。そうならなければ、イティの言う通り売り払うなり、何らかの形で”合理的”な使い道をしていた。
だが一つだけ引っ掛かる。俺が自分を信じ切れるかという疑問だ。
ついさっき、グレインは同様に長い付き合いの俺を理解しきれていないと思ったが、逆もまたしかりだ。
もし、この復讐を早々に計画していたなら――それこそ、サンランページの名が勇者パーティーに並ぶ頃からずっと。あるいは勇者並みに強かった俺の力を見た最初から、ずっとずっと、自分自身を隠してきていたら……。
「……グレインの腹の内はわからねぇ。だが少なくとも、俺は惚れてるだとか、そんな簡単な話じゃねぇよ」
「ではなんじゃ」
「……救ってもらった。サンランページそのものをな。その時に自分に課した――”約束”だ」
強い意志を込めて言ったつもりだ。イティも、約束と小さく繰り返している。
「それは、具体的にはなんのことじゃ?」
「具体的に語っちまったら恥ずかしくて死ぬ。まぁ男には、生きてくためにそういうモンがあるんだよ。言うならば、ゼノディアス・グランバーグが生きていくための、命と魂への約束――フィンにはそれをした」
我ながらクサいセリフだが、事実なのだから仕方ない。
「生きるために恥にも塗れた」とも続けた。
「じゃから、先ほどのような目にあってでも助けると?」
「そうしねぇと、俺の命に意味はねぇんだからな……さっきは取り乱して悪かった。だが俺の性質上、これからもこういう事はあるだろうし、ニオとも上手くやれていくかわからねぇ。だからお嬢ちゃん……いや、イティには、その間に常に立っていてほしい」
本気で伝えたつもりだ。イティも黙りこくると、フゥと息を吐いて答えた。
「お主らと出会ってからまだ一日じゃというのに、何度も未熟さを味あわされた。本当なら、山に籠ってこの先十年は出てこないところじゃ。じゃが、フィンを助けるためにお主とニオなる女の連携は必須――その役目、やって見せようぞ」
「――助かる」
こうして、イティとは本音で語り合えた。あとは、ニオの計画がうまくいくのを祈るのみなのだが……。
俺自身に生まれた感情を、ニオは計算に入れてあるだろうか。不安を乗せたまま、シルバーウィンド号は大海原を突き進んでいった。
ゼノと、自称海賊という以外素性不明のニオとかいう小娘に出し抜かれ、エルドラード号の修繕と新しい船の選定に半日ほど時間を費やしたが、どうにか夜には出航できた。
しかし計画外の事として、前回のような不測の事態に備え、提督アルビンはエルドラード号に乗ることになった。
非常に面倒だ。全てはニオとやらのせいだ。あの子娘がいなければ俺の計画に狂いはなかった。
完全にゼノを出し抜いて、始末できるはずだったのだから。アルビンとは別の船に乗り、必要以上に顔を合わせることもなかった。
まぁ、アルビンも野心の塊のような愚か者だ。フルーブデゾーロに向かうため海賊退治を後回しにするべく、計画より少し早いがあの島についてはすでに話した。
封印されているという”魔王の力と財宝”。それをチラつかせてやれば、帝国を乗っ取るだとか息巻いているアルビンを頷かせるには十分だった。
計算外のことに、封印を解くためにフィンの血が必要だということを知られてしまったが。
「チッ……」
「どうか、しましたか?」
エルドラード号の客室で、フィンは小さな声で問いかけた。本来海上ギルドとの交渉などで使われる部屋は、フィンのためにベッドやテーブルが用意されていた。
そんな中、俺は注射器を手に溜息をつく。
「アルビンが貴様の血を保管するだとか言い出してな。少し痛いが我慢してもらうぞ」
「……どうせ殺されるのです。今更針で刺されるくらいどうということはありません」
「俺が言えた義理ではないかもしれないが、少しはその体を大事にしろ」
いつものように冷たい声音で言ったつもりだったが、フィンは伏せがちだった紫紺の瞳を俺に向けると、静かな声で問いかけた。
「なぜ、ずっと壊れ物のように扱うのですか?」
普段は前髪で隠れている左目が久しぶりによく見えた。ハイエルフは人の心が見えるというので、意志を強く持ち”真実”を悟られないようにする。
「俺のためだ」
「そんなにお金が欲しいのですか?」
だがその言葉だけは、どうしても怒りを抑えられなかった。
「俺とゼノを一緒にするな……!」
あんな金の亡者と一緒だったのは過去の俺だ。もうそんな愚かで醜い自分とは縁を切った。
「別にゼノの名は出していませんが……では、封印されているという力が欲しいのですか?」
あくまでフィンは生きる希望を失っており、今のも感情を感じさせない小さな声だ。
だが、自分の命がどう使われるのかは知りたいようで、黙る俺に尚も問いかけてくる。
「魔王を倒し、十分な富と名声を得たあなたがお金はいらないというのでしたら、もうそれしか考えられません」
「……見くびるなよ」
あまり強く出過ぎたくはなかったが、これもハッキリさせておかなくては気が済まない。
「この俺が、魔王如きが封印した力を頼りにすると思うか! そんな浅はかで結果ばかり急ぐ愚かな男だと思うか! 俺が生きる未来は俺の力で切り開くものだ! それが俺のやり方だ! その未来に、魔王の力などという不純物を加えるなどありえない!」
黙らせるつもりも兼ねて大声を出したのだが、すでに死を覚悟しているフィンには通じなかったようだ。
まだこの俺に向けて口を開いてくる。
「封印が目的でないのでしたら、なぜ私を連れて行くのですか。それも奴隷のように扱うのではなく、このように豪華なベッドや服も用意して……私の命を使って、何がしたいのですか」
全ては語れない。語ることは、俺の弱さを露見させることにつながる。
サンランページを乗っ取った今、いずれは帝国海軍すら率いる者として誰にも俺の弱さは見せてはならないのだ。
上に立つ者としてとして、それだけはならない。決してだ
だが少しは答えてやろう。この俺の――いや、男の生き様というものを。
「自らへの“約束”だ。この俺がこの俺として生きていくために、貴様を連れて行く必要がある。ぞんざいに扱わないのも、俺に課した”約束”のためだ」
「……似たようなことを、ゼノも言っていました」
「認めたくないが、奴にも男としての意地もあれば矜持もある。だが、俺は奴ほど浅はかな約束を自らに課していない! 奴の約束など、この俺に比べたら矮小なものだ!」
「……いえ、そうは思いませんでした。ゼノの語る姿は、私にはとてもそのようには見えませんでしたから」
ハッ! と笑い飛ばしてやった。
「奴は口が回るからな。貴様のような女一人を騙すことくらいはお手の物だろう」
すると、フィンは首をフルフルと振った。少し力のこもった声で、自らの胸に手を当て語りだした。
「私はハイエルフとして、姉より生まれついて才能がありました。姉よりよく人の心が見えるのです」
「何が言いたい……?」
「あなたの目的も、ゼノの目的も、とても強い意志によって閉ざされ見えませんでした。ですが今のあなたの心なら少しは見えます――なぜ、恐怖しているのですか?」
「ッ! この俺がっ……」
それ以上は続かなかった。なにせフィンの語る言葉は真実だったのだから。
「見える故にどうしても気になってしまうのです。ここまでの道中、どうしてあなたがゼノに後れを取るたびに、悔しむのでも怒るのでもなく、恐怖するのか」
ああ、フィンはとても賢い。ハイエルフとして力もある。弱いと言っているが覚悟もある。
この俺がひた隠しにしてきた感情を、ここまで見抜き、いつ態度を変えられて痛めつけられても文句の言えない状況で、面と向かって口にしているのだから。
「……アルビンという人間とも何度か話しました。あなたと一緒にいる時に話しているのも近くで見てきました。あなたはアルビンへ対し、軽蔑を常に抱いていました。しかし、どうしてサンランページとして一つだった時から、表面上はゼノに怒りや軽蔑を抱いても、内面ではそういった感情がなかったのですか?」
そこまで見ていたとは……ここまで来ると尊敬に値するほどだ。このハイエルフ故の観察眼は、俺をもってしても敬うべきだとさえ思える。
だがこれ以上は、俺の覚悟が鈍る。自分に嘘をついてでも、フィンを黙らせるべきだろう。
息を吸い込むと、目を見開き怒鳴りつけた。
「貴様にこの俺の何がわかる!! 否! わかってなるものか!! この俺の心底を見抜いたつもりのようだが、それは貴様の驕りから来る勘違いというものだ!!」
「……出過ぎたことを言ってしまったようです。でしたらあと一つだけ、いいでしょうか」
「言ってみるがいい。どうせ的の外れた妄言だろうからな」
「では、これは最後の願いです。私が死んだあと、もう苦しむような生き方はしないでください。あなたはきっと、とても優しい人なのですから」
「この俺が、優しいだと!? つけあがるな!! 俺はただ、ゼノから……!!」
と、扉をノックする音がする。開かれると、身を震わせたアルビンの部下がいくらか知らせを伝えた。
怒りの形相で聞いてから、頭を落ち着かせる。
「……フルーブデゾーロはまだ遠い。何か所か港によることになるだろう。場合によっては海賊の港に乗り込み、鎮圧することもある。必要なものがあれば紙にでも記しておけ。言っておくが、これは優しさなどではない。俺の目的のためだ」
そう言い残し、ついでにここへ来た部下へ血を取っておくよう命令すると部屋を出た。
しかし、俺の頭はかき乱されたままだ。空に浮かぶ月すらもフィンの瞳のように見えた。
「ハイエルフとは、やはり恐ろしい。フィンは特に……しかし、だからこそ……」
俺は、ゼノを殺さなくてはならない。
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