第5話 海賊との取引
ニオの瞳が怪しげに揺らぐ。口角がゆっくり上がると、声を殺して笑った。
その様は二十歳のそれではない。善人のそれでもない。
だが悪人のそれでもなかった。
多くの仲間を率いてきた俺をもってして、ニオという女がわからない。
一つ言えることは、強い思いに起因する何かがニオの顔を覆っていた。
「まず君についてよく知ってるのは、そもそもからして君たちサンランページが海に出るという話を知ったことから始まるんだ。なに、今や勇者パーティーより有名な君たちだ。提督へ話が行ったっていうのは、ちょっと聞き耳立てて歩いていれば入ってくる」
「なぜ俺たちに興味がある?」
「言ったろ? 船員が欲しいからさ!」
「お前、まさか俺たちを……」
気づいてか、ニオは再び俺の周りをフラフラ歩き出し、語りだす。
「お察しの通り、船員にするつもりだったよ。あのエルドラード号を貰うって聞いて余計に欲しくなったしね。そこから君たちについて知るため、わざわざ帝都からサンランページを探して、ここに来るまで色々使わせてもらったよ――主に、この体をね」
「体……?」
「すでにさっき話したよね、何度も身ぐるみ剥がされて、”ぶち込まれた”って。でも海賊の元育ったボクが、そう安々と襲われてやると思うかい? 普段なら、”タマ”を握り潰してやるさ」
「じゃあ、体ってまさか……」
「ご想像のままにってね」
こいつ、大人とは言っているが、どんなに大きく見積もっても十八がいいところだ。逆に、見ようと接しようによってはもっと幼くも見える。
事実、俺も最初に見たときは”小娘”だと思った。
「……十八歳以下の未成年を襲うのは、帝国領内では犯罪だ」
「君も男なら少しはわからないかな? 自分のタイプの女に迫られたら、そのチッポケな正義感とか道徳心っていうのは吹き飛ぶって――リーダーなら覚えはないかな? サンランページの幹部役職に値するメンバーの中にどれだけ、ボクみたいな幼い体が好きな変態さんが紛れ込んでいるのか。あるいは女に汚い奴がいるのか」
いる。すぐに何人も顔が浮かんだ。なにせ俺たちは正義の味方じゃない。金儲けのために悪党退治をしていたパーティーだ。
慎むよういくら俺が命令しても、女関連で問題行動を起こす奴は沢山いた。
そして起こった問題は、稼いだ金でもみ消せた。
俺がもみ消さず、更に悟られずにこなしてきた奴がいたっておかしくない。
悪知恵の利く奴は、裏切者にも先ほどエルフたちに襲われた仲間たちにもいるだろう。
「白状しようか。ボクは時にこの体を十代と偽り、時にお金に困って身を売る素振りを見せ、もしくは大人の女として股座をまさぐって、あるいは抱いてくださいと懇願して、君の仲間を誘惑した」
この若さで、なんて捨て身な奴だ。歳不相応が過ぎる。
普通の女なら、貴族の男たちに恋焦がれ、貞操を大事にするというのに。
ニオからは、貞操だとか女の欲望だとかが欠片も感じられない。
更にこの俺をもってして、全く魅力のない体だというのに、口先だけで妖艶な雰囲気を感じさせつつ、語りながらフラリフラリと囲うように歩き回られると、頭がボンヤリしてくるのだ。
並の男ではトロけてしまうだろう。ニオも見抜いているのか、蠱惑的な笑みを崩さず続けた。
「誘いに乗った男たちの脂ぎった興奮が絶頂に達しそうなとき、フッと耳に吐息をかけて、もっと満足させてあげるとささやいて、聞いてみたよ――誰が裏切者で、誰が君の味方で、いつ事を起こして、どうやって君を殺して、最終的に何をしたいのかまでね――”あの島でハイエルフを使って何をするのか”も聞けた」
靄のかかっていた頭が頭が一瞬で晴れた。
見張りも気にせず、咄嗟に胸ぐらを掴む。そこまで知られて生かしておくわけには……いや、このままだと、その計画はグレインにより更に残酷なものになってしまう。
だが……だが!
「全てを知っていて、ここまで泳がせていたのか!」
「怒るのはお門違いだよ? 誘惑に負けて罪を犯したのはそっちだ。この小さな体が張り裂けるような痛みを味わってきたのはこっちだ」
「お前だって自分の欲望のためだろ!」
「じゃあボクが悪だって? それは違うね、わかるだろう? 君”たち”に善と悪を聞くのは間違っていても、”君”に聞くのは間違っていないと思うよ? ハイエルフの件にとても心を痛め、揉み消しにどれだけ君が奔走したかも聞いたからね」
抑えられない怒りを露わにして胸ぐらを締め付けても、数々の魔物を震え上がらせてきた真っ赤な瞳で睨みつけても、ニオは笑いながら早口でそう言ってのけた。
確かに、悪いのが誰だと聞かれてニオだと答えるのは間違っている。グレインなら、裏切りはずっと前から入念に準備されたものであり、ニオが真実を知ったからといって止められる事ではなかったろう。
「……どこまで知ってる」
「全部さ! そうとも、全部知っているよ? あの島――悪霊共が住むとさえ言われる呪われた”フルーブデゾーロ”で、ハイエルフの血によってしか解けない封印を解くために、フィンとかいう子を連れて行くとね」
隠し通してきたフィンの名前まで知っていた。しかしなぜ、フルーブデゾーロの名と、封印を知っている?
「島の名と封印は、帝王でさえ知らない。俺たちが魔王城で見つけた書物に記されていたことだ……あれはもう焼いたぞ。海賊のお前がなぜ知っている」
「海賊だからさ! ああいや、正確には海賊の子だからかな? なにせボクの父も母も、もう十分働けるようになっていたボクも、共に七つの海を制覇したからね。当然その島にも行ったよ。そこで封印について知った――もっとも、海にいるボクたちには森に住むハイエルフは捕まえられなくて諦めたけどね。それに……」
フフ、とニオは微笑んでから、首を掻き切る真似をして言った。
「封印を全部解くには、ハイエルフ一人の血を全部絞り出さないといけないようだったからね――さて、取引といこうか。けどその前に」
パン! と手を叩いたニオは、俺の頬に手を当てた。
「酷いしわだ……もしかして自覚ない? とんでもなく困った顔をしているよ? 目を覚ましてくれないかな」
言われ、自分でも痛いほど歯を食いしばっていることに気づいた。
「お前に何がわかる……!」
「ハイエルフを殺したくないんだろ? 少しの血だけでもとんでもない財宝が手に入るけど、グレインなら殺してでも全ての血を奪い取る。だからどうしても止めたいんだろ? 止めるつもりだったんだろ? 裏切りがなかったらメンバー全員を説得するつもりだったんだろ?」
「ッ!」
俺が自分の死と同等に危ぶみ、隠し通してきたフルーブデゾーロでなんとしてもやり遂げなくてはならないことを、いとも簡単に口にされてしまった。
「君がお金のためといえど、悪人以外を殺さない主義なのはよーく知ってるからね。山三つ焼いてしまってとても多くの命を奪ったから、もう奪いたくないんだろ? それにさっきも言ってたじゃないか? 金に目がない紳士だって」
こいつは底が知れない。”知れなさすぎる”。十六歳でも十八歳でもあるはずがない。卓越した老婆の詐欺師なんかよりも歳を食っている。
だが事実として、ニオの体は小娘のそれだ。人間に違いはないし、幻惑魔法の類も感じられない。
正真正銘小娘なのだ。しかし多くの人間を率いてきた俺でも歳が見抜けないので、本当に大人なのかもしれない。
正体がつかめない。そんなニオがもう一度口にする。
「取引」と。
「ボクならここを出た後、グレインたちより先にフルーブデゾーロへ行ける。ちゃーんと、この頭には計画が練ってある」
ただの小娘が言ったことなら無視するところだが、ニオの様子を見るに、計画とやらはしっかり準備されているのだろう。
しかしだ。
「ここから出た後だと? 簡単に言うなよ。どうやって出るつもりだ? 俺でも壊せない対魔法のエンチャントがかかった鉄格子に囲まれたこの牢屋からどうやって出る? 悪いが、俺には皆目見当もつかない」
こればかりは本気だぞと警告する。
どうせ見張りが聞いたところで、いよいよ追い詰められた俺がおかしくなったとでも思うだけだろう。
だが違う。これはニオへの警告だ。俺には無理という警告。脱獄に俺の力を頼りにするのは無理という警告。
同時に期待しているとも告げている。
お前ならやりかねない。すでに手を打ってあって、あっという間にやり遂げてもおかしくない。
だから最後には声を落とし、静かに聞く。
「……どうやったら出れる。教えてくれ」
俺は逃げたい――死にたくないし、仲間だって救わなくてはならないし、フィンを救わなくては地獄行き――いや、俺はもう地獄行き確定かもしれない。
”魔王を倒したサンランページ”。そう成り上がるまで、汚い仕事をしなくてはならない時は沢山あった。
俺にだって、裏切者やニオの誘惑に負けた奴を糾弾する権利はない。
だから、これは贖罪だ。散々稼いだ俺の金と余命を使っての、俺の新たな生き様だ。
俺はただ、あの子を――フィン・フィアーラを救いたい。大恩のある美しいあの子を死なせたくない。
森を焼かれ、駆け回っていたのだろう山を失い、共に育ったエルフや森の生き物たちを殺された彼女が、もう一度笑えるようにしてあげたい。
もっと早くに決断できていれば逃がすこともできた。できなかったから、欲に目が眩んだサンランページのメンバーを俺の一声で止められなくなっていた。
「どうするんだ、ニオ」
覚悟を決めた俺へ、ニオは先ほどまでの笑みを消した。
真面目で、真剣で、あまりに歳不相応な顔つきだ。
「――両親からよく教わった。誰かのために得意なことをするときは、対価を求めろって」
「俺にできることなら、なんでもやる」
「じゃあここを出て、乗組員を手に入れて、船も手に入れて、あの島に行く計画はあるけど、一つだけ足りないものがある……力だよ。そう、純粋な力。まさに君が持つような、魔王さえ超える力だ」
「俺の力を貸せと言うのなら、いくらでもくれてやる」
「いや、最後に一つ、計画の続き……今回の件とは関係ないことで君の力が必要なんだ」
ニオはすぅっと深呼吸をした後、俺を見つめて言った。
「“約束”だ。全部片が付いた後、陸に戻らずボクの船の乗組員になってほしい。ボクが君たちサンランページを求めたのは、”魔王を超える船員”が欲しいからなんだから。なに、君が嫌う人殺しとかはしないよ。なによりも求めるのは、そう――自由な海の旅なんだから」
これは、思っていた以上の賭けだ。
ニオに利用されたら、俺の力を使ってどんな事だってできてしまうだろう。
だがこの賭けに乗らなければ、明日の朝、俺の首はない。
フィンを救うなんて、悪い夢だ。
しかし、ここまで外堀を固めてきたニオが”約束”とはな。
怪しすぎて、逆に信用できてしまいそうだ。だが俺も、約束の大切さは知っているつもりだ。
ならば信じるべきだろう。ニオの歳不相応なところが、しっかり大人として嘘を恥じてくれることを。
「なら、誓えよ。嘘はつくなよ」
「いくらだって誓おうじゃないか。なに、海賊には海賊の意地があるんだ。つまらない嘘つきにはならないよ」
「――だったら結ぶぞ、その取引」
俺の差し出した手に、ニオの小さな手が握られた。
「取引成立だね。さて、この後の事だけど」
牢屋の中、海賊との取引が成立し、俺はフィンを救うため、ここから自由になる算段を頭に叩き入れた。
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