第4話.葛藤
「あのさ、そのマッチングアプリ見せてくれない?」
他の男に彼女がどんな感じで愛を囁いているのか見てみたくなった。僕の知らない彼女を知りたい、というよりは興味本位の方が大きい。
彼女は困った様子で少し躊躇していたが、断れる雰囲気ではないことを察してバッグからスマホを取り出した。拒否できる立場ではないことは分かっているようだ。アイコンをタッチしアプリを開くと、彼女はスマホを差し出した。
彼女は『フミ』という名前で登録していた。アイコンはラブレターなのかハート柄の可愛らしい封筒の写真。きっと、両方とも文奈の『
メッセージボックスを見ると、色々な男性から届いたメッセージがあった。今現在も止めどなく来ている。
お気に入りの中には五人ほど登録があり、おそらくその内の三人は会っていた男性達なのだろう。その中の一人のアイコンをタッチすると、彼女とのやり取りのメッセージが見れた。彼女を誉める男性からの甘い言葉で溢れている。
逆に彼女は割と普通で、塩対応というほどでもないが普段の大人しい彼女を表しているようだった。僕が聞いたこともないような甘々な言葉だったらどうしようと思っていたけど、そうじゃなかったのでちょっとホッとした。
しかし、彼女はこうしてちやほやされたかったのか。でも、僕だって「可愛いよ」とか「好きだよ」とか「会いたい」とか結構言っていたと思う。まぁ、そういうことを言った方がいいと、友達からのアドバイスがあってのことだけど。
じゃあ、僕の容姿に問題があったのか。それなりに頑張って髪型や服装に気を付けてはいるけど、元々ある顔はこれ以上変えようがない。
でも、僕だって他の
一応他の男性も確認したが、どれも内容は大体一緒。そして、彼女の話の通り会っていたのは三人。他の二人はまだやり取りをし始めたばかりのようだ。まぁ、これから親しくなれば会うつもりだったのだろうけど。
ちなみに、今日会った男はクロというアカウント名で真っ黒なアイコンだった。考えてみれば、頭以外は服も黒一色だったし性格も容疑も黒だった。まぁ、色んな意味で黒が好きなのだろう。
一通り見た後、スマホを彼女に返した。
「男と会った日だと思うけど、僕に会いに来たじゃない。すごい激しかったよね。あれは何でだったの?」
彼女はズズっと鼻をすすると顔を上げ、少し言いづらそうに顔をしかめた。
「私、こんなことしてたけど、やっぱり男性と話をするのまだ慣れてなくて、ストレスって言うか疲れちゃうって言うか。それでね、会った後、無性に大和に会いたくなったの。あと、もしかしたら大和にバレてるんじゃないかって不安になって……。そんな感じだと思う」
えっと、つまりは浮気のストレス解消と、いい
今まで僕が予想していたことは、ことごとく外れていた。冷静に考えてみれば、恋愛初心者の僕が女心なんて分かるわけもない。
「そっか……」
時計を見ると8時過ぎ。11月もまだ中旬とはいえ夜は冷える。気が付けばお腹も空いていた。
僕は立ち上がり彼女を見下ろした。そして、残っているありったけの優しさを掻き集めて言う。
「今日はもう帰ろう。送っていくよ」
彼女は僕の言葉に素直にコクンと頷くと立ち上がった。
◇◇◇◇
帰り道、僕らは何も話さなかった。ただ並んで黙々と歩き、電車に乗りまた歩く。
これからどうしよう、どうすればいいのか、僕はずっと考えていたけど結論は出なかった。おそらく、彼女も同じようなことを考えていたのだと思う。
彼女のアパートに着くと僕は歩みを止めた。2、3歩進んだところで、彼女が気付いて振り向く。
「じゃあね」
僕は一言だけそう言った。ずるいかもしれないけど、彼女の反応を確かめたかった。いや、自分の心の反応を確かめたかったのだと思う。
彼女は少し困ったような顔をして俯いた。
「あの……、泊っていく?」
なるほど。彼女は僕との関係を修復しようと考えているようだ。それか、まだ一時的に繋ぎ止めようとしているのか。
言うべきだ、いや、言ってはいけない、まるで何かの交渉のようなギリギリのせめぎ合いが僕の中で起こっていた。ただ、これで彼女と終わりだと思うと、のどの奥が焼けるような、胸の真ん中がえぐられるような、経験したことのない嫌な感覚があった。
でも、この先、彼女の浮気を疑いながら過ごすなんてこの時の僕には想像できなかったし、前と同じように仲良くやっていくことは難しいと思った。
僕は軽く目を伏せると小さく首を横に振った。そして、ゆっくりと目を上げる。
「文奈。今までありがとう。元気でね」
言った瞬間、僕の心の中の大切なものをしまう場所から彼女に関する事柄が一気に飛び出し、外に出ようと全身をグルグルと回っていた。それを早く外に出したいのに、身体が邪魔で外に出ていけない、そんな感じだった。
僕の言葉に彼女は何も反応しなかった。それを見て小さくため息をつくと、想いを断ち切るように背を向けて来た道を歩き出した。
ドクンドクンと心臓が大きく鼓動している。自分という世界の中で、大災害のような革命のような大きな事柄が起こった認識があった。
体が強張る。ちゃんと歩けているのか分からない。向かう先がいつもより暗く見えた。
「待って!」
背中側から聞こえてきた声でハッと我に返った。突然、平衡感覚を取り戻したような感じがした。僕は歩みを止める。
「待ってお願い。別れたくない!」
振り向くと、グルグルとした不安気な目でこちらを見つめる彼女の姿があった。その姿が僕の中にある
「他の
一度は別れに傾いた僕の中のシーソーが、彼女の言葉でまた平行に戻されようとしている。僕は彼女を許すための言葉を探してしまっていた。弁護士のように、自分という裁判官を納得させる情状酌量の材料を。
初犯であり、一度の過ち、いや、三度になるのか……、今回ということで一度ということにしよう。本人も十分反省しており謝罪の言葉もある。僕や刑事さんに浮気を知られるという、社会的制裁も受けた。そして、襲われたことで彼女も懲りただろう。なにより、体の関係がなかったことが大きい。
被告に優位な雰囲気を切り払うように、検察官が主張する。
彼女の証言は本当なのか? 体の関係がないというのも被害者の想像でしかない。別で会っていた男と寝ていた可能性もある。そもそも、そんな簡単に許してしまっていいのか? 被告はまた同じことを繰り返すのではないか?
また弁護士が僕に訴える。
この先、彼女以上にいい女性に出会えないかもしれない。それどころか、冴えない僕に新たに恋人ができる保証はない。本当に彼女を手放してしまっていいのか?
部屋に戻って、冷静にメリットデメリットを書き出したい。もちろん、そんなことをしている余裕はないし、そういう問題ではないのだけど。
「……わからない」
結局、僕の口から出たのは、どっちつかずの中途半端な言葉だった。まぁ、わからないということは裁判的にはグレーなので無罪なのだけど、僕の中では黒とも白とも、そしてグレーとも、まだ何も結論を出せなかった。
「ねぇ、見て。ほら、アプリはもう消したし、合コンとかにも絶対行かないから」
彼女がスマホの画面を見せながら僕に歩み寄る。
「ごめん。文奈の想いは分かったけど、すぐに決められない」
「そう……、そうだよね」
苦笑いしながら俯く彼女を見て、今結論は出せないけど、このまま別れたらお互い駄目だと思った。
「あのさ、少し距離を置かない?」
「どういうこと?」
「うーん、どれくらいがいいんだろう。そうだなぁ、一ヶ月。一ヶ月後に、よく考えた上で、もし文奈がまだ僕と付き合っていきたいと思うなら連絡してきてよ。もちろん、僕も僕で考えて、それまでに結論を出すから」
僕は時間が欲しかったし、彼女にも時間が必要だと思った。一旦距離を置いて、お互いの存在を改めて見つめ直す時間が。
「うん……、わかった。一ヶ月後、私は必ず連絡するから」
彼女は力強い目で答えた。その言葉には、僕に待っていてほしいという強い想いが込められている気がした。
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