第3話.真相
最寄駅に着き、電車を降りて改札へ向かう。
男性でハゲており服は全身黒。そう、先ほどまで彼女と一緒にいた人だ。
彼は僕と同じように、文奈と付かず離れずの距離を保っている。彼女を監視するような鋭い目つきを見ると、偶然目的地が同じだったとは思えない。彼女をこっそり追ってきたという感じだ。まぁ、僕はそうなんだけど。
何か嫌な予感がする。これってストーカーってやつじゃないだろうか。
彼女のことが気に入って追ってきたのか、もしくは、体の関係を迫ったけど断られたので恨んで何かしようと思い追ってきたのか。どちらにせよ、犯罪の匂いがする。
僕はストーカー(仮)をストーキングすることにした。今のところ、僕の方が怪しい人かもしれない。
彼女は駅を出ると食パンを買いにスーパーに入っていった。ストーカー(仮)は店には入らず、少し離れた場所で入り口あたりの様子を
十分ほどで手に買い物袋を持った彼女がスーパーから出てきた。ストーカー(仮)はその姿を確認すると彼女の後を追う。やはり、彼女をつけ回しているのは間違いなさそうだ。
駅前から僕のアパートまでは十五分ほど。それほど暗い場所はないが、住宅街に入ると人通りは少なくなる。
この辺りまで来れば、迎えに来たと言って彼女と合流すればいい。そう思い彼女に追いつこうと足を早めると、前方で何か話し声がする。何を話しているのだろうと思った直後、突然男性の叫び声が聴こえてきた。
「ふざけんな!」
「いやっ! やめてください!!」
彼女の叫び声に駆けつけると、ストーカー(仮)が羽交い締めのような感じで、逃げようとする彼女を後ろから押さえている。彼女は必死に抵抗しているが、さすがに男性の力には敵わないようで後ろに引きずられていた。
なにやってんだ!
僕は自慢じゃないけど、今まで殴り合いの喧嘩なんてしたことはない。それでもここはやらなきゃと思った。
必死に走り勢いをつける。そして、そのままストーカー(確定)の横から体当たりをした。
「――ぐぁっ、なっ」
三人が塊になってズザーっと倒れる。幸い僕も彼女もストーカー(確定)がクッションになって大きな怪我はなかった。
「や、やまとー!」
顔を上げた彼女が、助けを求めるように僕の名前を叫んだ。
僕は泣きそうな彼女の手を取ると立ち上がり、彼女を僕の後ろに回した。そして、ストーカー(確定)と
むくりと立ち上がったストーカー(確定)は、腕を痛めたようで苦悶の表情を浮かべながら右腕を押さえていた。
喧嘩なんてしたことはない。恐怖でガタガタと震えそうな体をどうにか抑える。背中にピタッと張り付いている彼女がある意味僕に勇気を与えてくれていた。
どれくらい経っただろう。
くそっ。こんなことなら突撃する前に110番すればよかった。
ストーカー(確定)は、ずっと僕を鬼の形相で睨んでいる。
「なんなんだよお前!!」
急にストーカー(確定)が大声を上げた。その声にビクッと怯む。本当に情けない……。
「あ、あの、どうしました?」
不意に聴こえてきた声の方向に目をやると、さっきの大声を聞きつけたのか、ストーカー(確定)の後ろから男性二人がこちらに駆け寄ってきた。
やった! チャンスだ!
僕は思わぬ助けにホッとした。拮抗した状況から、一気に僕ら側に優位になったことを悟る。そして叫んだ。
「助けてください! この黒い男が女性を襲ってて!」
「なっ、くそっ!」
ストーカー(確定)は逃げようとしたところを、あっけなく男性二人に取り押さえられた。すぐに僕が警察を呼ぶ。
警察が来る間、ストーカー(確定)はずっと「ふざけんな! 離せ!」と叫び抵抗していた。その姿に彼女が怯えている。
しかし、警察官が駆けつけると、ストーカー(確定)は状況を理解したのか急に大人しくなり、最後はうなだれてパトカーで連れていかれた。
僕たちは、警察署でそれそれ事情聴取を受けた。今更嘘をついても仕方がない。僕は先ほどの出来事を包み隠さず説明した。
刑事さんからは、刃物など持っていた可能性もあるので、犯人に立ち向かっていったことはあまり褒められた行為ではないと怒られてしまった。まぁ、刑事さんの言う通りなのかもしれないけど、僕としては大切な恋人を守れたことを誇りに思っている。
僕は一時間ほどで解放され、署内のベンチで彼女を待った。警察署なんて来るのは初めてなので居心地が悪い。
ドラマなんかでは、大声を上げて暴れるチンピラやヤンキーを強面の刑事が押さえているシーンなどあるが、そんなことはなく至って静かで警察官たちはみな事務的に働いている。僕のことなんて誰も気にしていない。
待つこと三十分、婦警さんに付き添われ彼女が奥から出てきた。それを確認すると、僕はすっと立ち上がった。うなだれていた彼女が顔を上げる。
「……大和」
憔悴しきった様子で虚ろな目に涙が浮かぶ。彼女は僕に駆け寄ると抱きつき、そして人目もはばからず泣き始めた。僕は包み込むように優しく彼女を抱きしめた。
婦警さんにお礼を言って警察署を後にする。僕たちはとりあえず建物を出てすぐのところにあったベンチに腰を掛けた。
脇にあった自販機で暖かい飲み物を買って渡すと、彼女は一口二口飲みハーっと息を吐く。少しは落ち着いたようだ。そして、しばらくすると彼女はか細い声で話し始めた。
「……ごめんね、大和。それに助けてくれてありがとう」
「うん」
「刑事さんから、みんな聞いたんだよね?」
「うん」
僕は嘘をついた。実をいうと何も聞いていない。
捜査上なのか個人情報なのか分からないけど、何も教えてもらえなかった。まぁ、そういうものなのだと思う。
「聞いた話、信じられなかったから、改めてちゃんと文奈の口から聞きたい」
まぁ、とはいえパパ活で客とトラブル、きっとそんなとこだろう。なので、僕が今一番気になっているのは、なぜパパ活なんてしていたのか。何か悩みがあるなら、できるだけ彼女の力になりたいし寄り添っていきたい。
彼女は分かったとうなずくと、ゆっくりと話し始めた。
「本当にごめんなさい。私、大和と付き合って調子に乗ってた」
えっ!?
意外な入りに内心驚く。こんな時に不謹慎だけど、まるで本の表紙をめくって一ページ目を読み始めた時のようなドキドキ、いや、僕はワクワクしていた。この後の話の展開に期待が膨らむ。
「マッチングアプリを使い始めたのは、だいたい二ヶ月前からなの。友達が使ってるのを見てね」
なるほど。マッチングアプリで客を探してたのか。
「そこでやり取りして初めて会ったのが二週間前で、メッセージの丁寧な文とは違ってすごいチャラチャラした人だった」
二週間前……、文奈が初めて突然訪ねてきた日。あの日が初めてのパパ活だったんだ。
僕はホッとしていた。もっと前から、僕と付き合う前からやっていたら、どんな事情があるにしろいい気分ではない。
「その人ね、すごいグイグイ来るし、それに話も合わないしね。顔も怖くて、私、全然いいと思わなかったの……、本当だよ!」
彼女は潤んだ目で僕を見上げる。
ん? なんか思ったような話じゃない。よっぽど気持ち悪い人ならともかく、パパ活で客の容姿や性格なんて大して気にしないと思うけど。
僕は意外な展開にまた驚いていた。そして同時に更にワクワク……、いや、今はドキドキの方が大きい。
「えっと、うん、信じるよ」
うーん、この受け答えで合っているのかなぁ。
「ありがとう。それでね、そこでやめておけばよかったんだけど、その一週間後に二人目に会って。働いてる人でね、仕事を抜け出して来たみたいで」
これが最初に見た人か。やっぱりサラリーマンだったんだな。てか、ちゃんと仕事しようよ。
「悪い人じゃなかったんだけど、なんかむこうがそうでもなかったみたいで……。わ、私だって全然いいと思わなかったよ!」
あれ? もしかしてこれって……。
「う、うん、で?」
「で、今日会った人が三人目。会った瞬間これはないなぁって、年も嘘ついてたし。でもね、あからさまに嫌な顔したら、なにをされるか分からないから一応話をしてね。ちゃんと普通に対応したつもりだったんだけど、なんか私の方に気があると思われちゃったみたいで……」
あー、これパパ活じゃない。全然違う。これって普通に男を探していただけ。つまりは、浮気だ。
僕はワクワクドキドキから、一気に地獄に叩き落とされた気分だった。ぐらりと軽く視界が歪む。
彼女は何か致し方ない理由で最近パパ活を始めた、でも心は常に僕のところにある、そう思っていた。ところが実際はそうではなかった。僕を捨てようと、いや、二股をしようとしていた可能性もある。
なんだよ結局ただの浮気じゃないか。数分前、「力になりたいし寄り添っていきたい」なんて思っていた僕を殴ってやりたい。
「そ、そっか……」
「本当にごめんなさい」
彼女は申し訳なさそうに深々と頭を下げた。僕は冷めた目でその姿を眺める。愛しい人が一気に信用ならない人に見えてきた。
「あのさ……、なんで浮気なんかしたの?」
頭を上げると、彼女は少し吹っ切れたように話し始めた。
「私ね、分かってると思うけど、ほら、目立たないっていうか地味というか、まぁ、陰キャだとは思わないし思いたくもないけど……、昔から、うん、幼稚園の頃からずっとこんな感じだったの」
彼女が語った話はそれほど驚く内容ではなく、割とありふれた話だった。
幼少の頃から大人しい子で、コミュニケーションを取るのが苦手だった。そのせいで、いじめと言うほどでもないけど、小学校に上がると男子から
そして女子の花園で六年間を過ごす中で、こんな地味で大人しい自分は、きっと将来結婚できないのだろうと朧気に思っていた。恋愛を経験することなく人生が終わるのだろうと。
ところが大学に入り、
「それでね、私その時思ったの。大和みたいに頭が良くて優しい人と私も付き合えるんだなぁって。恋愛って、こんな簡単なことだったんだなぁって」
実は、それに近いことを僕も感じていた。
文奈と付き合う前は、恋人と手をつないでデートしたり、ロマンチックな雰囲気の中でキスをしたり、そして、お互い全てをさらけ出して体を重ねることが、勉強しかしてこなかった自分にはすごく不釣り合いで、遠い現実味がないものに見えていた。
ところが、それらを実際に経験した時、喜びの裏で、あっけなく過ぎてしまったなぁと思っていたところがあった。なんか拍子抜けのような。
「うん、その気持ち自体は分からなくもないよ。僕もモテる方じゃないからね」
彼女はそんなことないと首を横に振った。
「大和は素敵な人だよ。だからね、だからこそ思っちゃったの……」
彼女はうつむき手で顔を覆い泣き出した。
「こっ、こんな素敵な人と付き合えたんなら、もっと……、もっと素敵な人とも付き合えるんじゃないかって」
あー、そういうことかぁ……。
僕は天を仰いだ。
彼女が言っていることは理解できるけど、僕はそこまで飛躍した考えにはならなかった。それはきっと、告白した側とされた側の違いなんだと思う。
「それで、マッチングアプリで男を探したの?」
泣きながら大きくコクンとうなずく。
それを見て僕は、呆れた気持ちを吐き出すように大きくハーっとため息をついた。
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