脈があるのかないのかわからない
「ねぇ、君はさ。シュレーディンガーの猫って知ってる?」
放課後、人のまばらになった教室で君は本を読んでいる。本なんて、家でも読めるし学校はうるさいんだからすぐに帰っちゃえばいいのに君は毎日こうして私に気を引くチャンスをくれる。
「少しなら。大まかには箱を開けるまで"猫が生きてるか死んでるか分からない"ってやつだよね。」
本に目を落としたまま君は答えた。
そう、世間一般では結構"確認するまで分からない"って話になっているけど実際は違うらしい。そんな話をネットで見かけて気になって調べてみたことがあるんだけれど、確かにそんな単純な話では無かった。間違いを肯定するのは気が引けるけど、正解を解説するほど理解していないし何より今の本質じゃない。
「私も詳しくは分からないけど、どちらかというと箱を開けるまで"猫は生きてるし死んでる"ってやつらしいよ。」
「ふ~ん、よく分からないな。生き物っていうのは生きてるか死んでるかの2択だと思ってた。」
なんだか皮肉っぽい気もするけれど、君はちゃんと返事をくれる。
「ふふ、私もそう思う。」
「その、シュレーディンガーさんとやらはどうやって説明してるの?」
「私たちが確かめて初めて猫が生きてるか死んでるか決まるんだって。私たちが確かめたときに猫ちゃんが生きてたらそれまでも生きてたし、猫ちゃんが残念ながら死んでたらそれまでのどこかで死んでたことになる。。。みたいな。」
「まるで、今起こったことから過去が決まってるみたいだね。なんだか納得できないなぁ。あ、別に君をせめてるわけじゃないよ。」
「大丈夫、私も変だなぁとは思うもん。でも、身の回りでも案外ある気もするよ。」
君のページをめくる手が止まっている。
「へー、本当?それは気になるな。例えば何かある?」
「テストとかさ、いつもより勉強していい点がとれたらそれは、勉強して良かったなって思うけどもしも普段と大して変わらない点だったら損した気にならない?」
「う~ん、結果によっていい思い出か、悪い思い出かが決まるって言いたいんだね。」
「そゆこと」
「なるほどね。確かに言いたいことはわかるけど、勉強したことがすっかり無駄になるわけじゃないって考えれば自分は頑張ったって評価ができるかもよ。結局は気の持ちようだしちょっとズレてくるような。」
いい感じだ。君はもう本に栞を挟み込んでいる。もう少し。
ところで、ごもっともな意見を返されてしまった。なんとなく、私のよくないところが露呈した気もして嫌な気がする。きっと、君は点数と気分が上下するだけののびしろが無いからそんなことが言えるんだ。これは今度、平均点あたりの友達にもう一度話してみることにしよう。
思い出が結果によって色を変えることはあると思う。例えば他には。
「じゃあ、恋心とかはどうかな。」
「さっきよりは掴みどころが無さそう。具体的には?」
「好きだから付き合うんじゃなくて、付き合ってから好きになるみたいな。言われて初めて自分の気持ちに気づくとか、あるでしょ?」
「それは単純に先か後かの話じゃない?」
「付き合ってみて、あぁ、やっぱり私はこの人がずっと好きだったんだって思う場合も実は元からそんなに好きじゃなかったんだって思う場合もあるはず。それまで曖昧だった気持ちが輪郭を持つのは確かめてみてから、じゃないかな。」
「ロマンチストだね。そういうことなら、あるかも。」
最終下校時刻のチャイムが鳴る。気づけば君は私の方を見て話している。
今日も、達成できた。今週は調子がいい。
「納得してもらえたなら良かった。そろそろ帰ろっか。」
「うん、今日もなかなか面白かった。また明日。」
ただの別れの挨拶。けれど、明日もまた挑戦を待っているという風にもとれて、一人で嬉しくなる。いつからか、放課後本を読んでいる君の興味を惹いて本を読むのを中断させる挑戦が習慣になっていた。私はこの時間がとても好きだ。
けれど、君のことが好きなのか、この挑戦が好きなのかはまだ分からない。
いつか私も、君と?君に? ”確かめたら”わかるかもしれない。
けれどそれはまだ、今日じゃなくていい。だから。
「また、明日ね。」
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