第19話武田信玄との対話!

 現代でも有名な、あの武田信玄と会う。まあこちらは縄を打たれて身動きのできない状態だけれど。さらに僕は降将の身で引き合わされるのだから、あまり余計なことは言えない。


 忠勝に降り首を討つのは恥だと聞いていた。だからこそ、いざというときに降伏してしまえば殺されはしない。名誉とか気にする武将は蔑むだろうけど、僕にしてみれば生きることが重要なので気にしなかった。


 そんな僕を不気味に思ったのか、それとも裁量できないと匙を投げたのか、馬場信春は僕を武田信玄に会わせて判断を仰ごうとしている。得体のしれない人間なんて関わりたくない。しかし機神遣いの僕を雑兵と一緒にもさせられないだろう。


「さあ来るんだ。我が主君が貴様を裁く」


 機神を解いた馬場は白髪混じりの老将だった。マサカリを持っていたときは若々しく思ったが、案外歳を取っていた。やっぱり機神遣いは見た目によらなく、体力ではなく心の力で動かしているので、メンタルが強ければ現役が長いのかもしれない。


「裁くってなんですか? 僕は悪いことしていませんよ」

「無自覚に悪行をしている可能性がある。あの諏訪家の者だからな」


 あの諏訪家と評されるほど、かえでの実家はひどいものなのだろうか? それとも悪を悪と思っていない無自覚な悪党なのだろうか?


 かえでの今までの行動を鑑みると、どちらもありえそうで怖い……


 ギチギチに縛られて、引きずられるように歩かされて、僕は武田信玄のいる本陣の前に立たされた。白地に武田家の家紋が付けられている幕をくぐると、そこには威圧的で険しい顔をした男が上座にずっしりと座っていた。


 第一印象は虎のようだった。虎のように強く、虎のように猛々しく、虎のように勇猛果敢で、虎のように智勇兼備で、そして何より虎のようだった。


 甲斐の虎とはよく評したものだ。そのくらいの圧力を感じさせる坊主頭の中年男性は見たことがない。恐怖を感じたのは信長ぐらいだったけど、それと違った覇気を想起させる。


「……なるほどな。筑波博と言ったか。貴様の面を見ると、若い頃の頼重を思い出す。不思議な話だ、まったく似ていないというのに」


 先に口を開いたのは信玄のほうだった。

 見た目より若々しく繊細な声で、目の前にいる虎のような男から発せられるとは思えなかった。


「頼重……どなたでしょうか?」

「ああ、気にするな。それより適当に座っていいぞ。椅子は用意させる」

「いえ、このままで結構です」


 虎がいるのに悠長に座っていられない。

 信玄は「そんなに怯えることはないぞ」とこちらの心中を見抜いた。


「それでだ。降伏したということは我が軍門に降るということで間違いないな?」

「語弊がありますね。僕がしたのはただの降伏です。雑兵と同じととらえてください」


 あくまでも武田家には屈しない。

 そういう立場を取り続けるのが僕のやり方だった。そうでなければもう諏訪家には戻れないから。


「雑兵? 機神遣いの貴様をその扱いにするのは無理がある。我が武田家では侍大将以上の地位が必要だ。最低でも所有するだけでな」

「……諏訪家の当主は機神遣いをさほど重視しておりません。ま、僕が臆病者だからというのもありますが」

「なればこそ、貴様は降るべきだ。言葉ではなく、心から我が軍門に降ったほうが今後良いはずだ」


 あの武田信玄が僕をスカウトしている。

 もちろん、言葉のとおり僕の身を案じているわけではない。しかし僕なんかに価値を見出している。


「過分なお言葉と待遇、感謝いたします。機神遣いとしても未熟な僕を受け入れてくださるとは望外でした」

「ワシはただ強い者が欲しいわけではない。強かな者が欲しいのだ。貴様は降将の身でありながらワシに一切、心を動かしていない」

「……僕はあなたの政策を知っている。領民から税を搾り取るやり方を、知ってしまっている」


 話の矛先を変えると「国を大きくするためには必要な犠牲だ」と信玄は敢えて乗ってきた。


「貧しい甲斐国を豊かにするためには、他国の領地が必要なのだ。そのためにも軍備などしなくてはならぬ」

「そのために民を犠牲にしても良いんですか?」

「必要な犠牲だ。それは諏訪家も同じだろう? 一向一揆の現実は目に見えて恐ろしかったと見受けられる」


 ここで僕の弱いところをえぐるとは。

 流石、武田信玄。洞察力も半端じゃない。


「一向一揆となれば機仏も使われたはずだ。しかし諏訪の小娘が三河国を統一しようとするのなら、確実に滅ぼさなければならん」

「まるで分かったように言いますね」

「事実を述べているだけだ。我が忍びは優秀でな。貴様が機仏を破壊したことも報告が上がっている」


 思い出すのは太一となたねのこと。

 それも亡骸の姿だ。


「貴様の様子を見るに、一揆の中に親しい者がいたのか?」

「あなたには嘘が通じないでしょうから認めますよ。ええ、いました」

「その者を殺したとき、どう感じた?」


 僕が殺したわけではない――反論しようとして、できないことに気づく。

 どう言い繕っても、一向一揆を起こした諏訪家にいた事実は無くせない。


「心が乾いていくのを感じました。まるでもう、みずみずしさなんて思い出せないほどです」

「それこそが必要な犠牲の正体だ。ワシも民が苦しむ様を見るたびに――心が乾く」

「……それが避けられるはずだったと分かるほど、乾くものですか?」

「貴様の言わんとすることは分かる。だがな、豊かな国に生まれた者には分からぬよ。甲斐国は山々に囲まれた貧しい国だ。とても自国だけではやりくりできぬ。だからこそ、奪うことで甲斐国を豊かにしようとした。隣国を攻めて甲斐国に物資が行き通るようにしたのだ」


 だから自分のやっている侵略行為は正当であると言いたいみたいだ。

 しかしそこを否定しても変わりはない。

 信玄は自分のしていることを自身が認めているのだから。


「ここで僕が何を言っても無駄なんでしょうね」

「甲斐国を豊かにする方策があれば聞いてもいい」

「僕は為政者でも百姓でもありませんから。土地のことは分かりません」

「そうだろうな……さて、余計なことばかり話してしまったようだ。本題に戻ろう」


 いよいよか。

 僕は背筋を正した。


「我が軍門に降れ、筑波博よ」


 このとき、信玄から虎のような圧力を感じた。

 断れば斬り捨てられると分かる。

 それでも、僕は――


「お断りします。僕は生きねばならないので」


 あっさりと断った僕に本陣にいた小姓や兵、それに後ろに控えていた馬場信春が息を飲むのを感じた。

 目に見える範囲の全員が真っ青な顔になっていた。


「ワシの勧誘を断るということでいいのだな?」

「ええ。理由を申し上げましょうか?」


 そこで信玄はしばし悩んだようだった。

 だけど一分もしないうちに「いいだろう」と険しい顔で言う。


「僕がまず初めに感じたことは――」


 全てを言い終わる前に、俄かに本陣の外が騒いている音が大きくなる。

 信玄が雑兵にアイコンタクトして確かめようとする――逆に伝令が本陣に駆け込んできた。


「申し上げます! 織田家の援軍が到着、それに息を吹き返したのが諏訪家です。両家とも本陣を狙って進軍しています!」


 おお、これなら勝てそうだ。

 信玄が指示を出す前に追い打ちをしてみよう。


「諏訪家が僕を助けに来たのかもしれませんね。こんなところで僕を勧誘する時間ありますか?」

「貴様の言うとおりだ。急いで戦力の解析。その間に鎧具足を身に着け、鉄鋼騎馬に諏訪家の水をたっぷりと飲ませろ」


 信玄は冷静に対処している。下手な挑発は効かないみたいだ。

 くそ、少しは動揺してくれればいいのに。


「また後で話そう。適当な陣に押し込めておけ」


 信玄は僕の近くにいた雑兵に命じた。

 二人がかりで僕を運ぼうとする。

 僕は乱暴な先導で兵糧が置かれた陣に建てられた柱に縛りつけされた。

 硬い結びの上に見張りの兵、十数人に囲まれている。

 僕は服部さん、上手くやってくれよ、と祈っていた。


 もちろん、祈る相手は決まっている。僕の家族だ。

 お父さん、お母さん、そして妹のすみれ。

 僕と服部さんの無事を祈ってください。

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