一度目の大減量

 医者から痩せるように言われたわたしは減量しようと思いました。

 幸いにして、薄給を貰いながら一日中家にいる疑似ニートみたいなものだったので、時間はたくさんありました。

 ここで、一日のスケジュールをお見せします。

 朝8時前後に起床、白米・味噌汁・ベーコンエッグ(たまに塩鮭)の朝食。

 それからぐだぐだとワイドショーを見ながら、10時ごろからパソコンに向かって執筆活動。お遊び感覚で適当にやっていました。カクヨムに投稿している『君が手にする魔法の剣』はこの頃構想し、ワードファイルに書き込んでいました。

 12時にお昼を食べたら、散歩の時間。なんだかんだで毎日1.5~2時間くらいは歩き回っていました。普段から割と早足で歩いているので、距離にして7~10キロくらいでしょうか。それから19時の夕食までは、自室で『とある』の小説を読んだりパソコンでゲームしていたりと、完全にニートみたいな生活でした。

 夕食後は家族とテレビを見ながら過ごし、23時頃に寝る。

 そんな毎日でした。

 散歩の際にはコンビニに立ち寄ってヘルシアウォーターを飲みながら歩いていました。少ない日でも一日一万歩以上は歩き、雨の日は車で近所の巨大ホームセンターに行って店内を歩き回っていました。



 さて、そんな生活がお盆まで続きました。

 4月からお盆までの4.5か月間の毎日のウォーキング。

 体重はというと……


 76キロです。


 健康診断時は77キロだったので、マイナス1キロ減量!

 ……とはなりません。

 日々体重を計っている人はわかるかもしれませんが、数百グラムから1キロは誤差です。水分の摂取や排泄のタイミング、摂った食事内容などで、体重は流動的に変化します。

 厳密には1キロ未満の変化でした。日中にあれだけ歩き回っても体重変わらないんだな、とがっくりしました。



 その矢先、生活に変化が訪れました。

 自宅待機のわたしの下に、会社から電話がかかってきました。

 繋ぎ業務という形で、自動車の製造ラインに入ってくれないか、という内容でした。

 入社前の説明では、自動車会社への派遣とはいっても製造ライン作業はない。設計開発が仕事だと聞かされいましたが、研修という名目で開発業務に入るまでの繋ぎとしてやってくれということでした。実際に先輩社員も「実際に設計をしていると、こんなゴミみたいな細かいものでも触る機会ないから、いい経験にはなると思う」と後々言っていたので、仕方ない、と製造ラインで働くことに決めました。


 連絡が入った翌週には、その工場がある埼玉県内の会社借り上げアパートに引っ越しをしました。ずっと実家生活で初めての一人暮らしに不安を感じましたが、通える距離ではなかったので割り切りました。

 初めての自炊や見知らぬ土地、そして2DKの部屋に同期(同性)と二人で暮らすという環境、体力的に苦しい製造ラインでの業務。当初はかなり苦しかったことを覚えています。


 その時の一日はこのような感じです。

 朝6時半に起きて、朝食を作る。内容は白米0.6合、インスタント味噌汁、ベーコンエッグとウィンナー。食器洗いと身支度を済ませ、徒歩10分の職場へ出勤。始業時間を正確に覚えていませんが、確か8時20分くらいだったと思います。お昼は食堂で定食を食べ、一日平均10時間の立ち仕事をします。

 業務内容は自動車組み上げの中のサブASSYという工程で、エアコンパネルの組み立てを行っていました。組み立てをASSYと呼ぶのですが、組み立てを行うためのパーツを組むことをサブASSYと呼んでいます。サブASSYで組んだものをASSY工程へ送る流れです。

 とにかく立ち仕事です。パーツを機械にセットしてボタンを押し、その間に振り返ってエアコンパネル外装を手に取って傷や破損がないかチェックして治具にセット。他パーツとの接触面にシールになっている細長い不織布を貼り付け、お隣の作業者の作業場所へ置く。振り返って、機械にパーツをセットしてボタンを押し、振り返ってエアコンパネルの外装を――――

 というのを一日中やりました。手作業自体は不器用なわたしでもなんとかなりました。しかし、一日中立ち仕事というのは足が痛くて辛かったです。足の裏、踵、ふくらはぎ、膝と、とにかく足が痛いです。椅子なんかありません。休憩は10分×2回と45分の昼休憩、時間外労働2時間につき10分。ないよりはマシですが、回復しきることなどできません。おまけに時間が過ぎるのが遅い。頻繁に時計を見ていました。

 ですが、それも慣れでしょうか。

 当初は「もうやだ~、疲れた~、あじいだい~」でしたが、三か月もすると「あ~疲れた~」になり、半年後には「あ~あと2時間で終わるか~夕飯どうしよう」になってました。この頃になると、電車で1時間立ってても辛くもなんともなかったです。

 製造ラインは昼勤と夜勤に分かれており、夜勤が来る19時半頃までラインに立ち、バトンタッチ。そこから着替えて近所のスーパーに立ち寄り、夕飯の買い出しをしてからアパートに帰ります。

 夕飯はキャベツなどが入ったカット野菜と安い豚小間を焼き肉のタレで炒め、朝炊いた残りの0.4合の白米で済ませます。あの頃は電子レンジを買っていなくて、炊飯器に入れたままのご飯を帰ってきたら保温ボタンを押して、シャワーを浴びて、出てきたら野菜炒めを作って、最後に微妙に温まったご飯をよそって食べていました。元々料理が冷めるとかあまり気にしていなかったので、それで特に問題ありませんでした。


 先ほど夜勤があると言いましたが、昼勤と夜勤が一週置きにありました。夜勤の際は19時30分くらいに始業し、朝6時か、遅い時には7時くらいまで製造ラインに立っていました。

 夜勤の時は18時頃に昼勤の時の1.5倍くらいの量の野菜炒めとご飯1合弱を食べ、出勤。23時30くらいに45分の食事休憩があるので、そこで出勤前に立ち寄ったスーパーで買ったサンドイッチひとつと缶コーヒーを口にします。出勤前にたらふく食べているのと、真夜中に満腹になったら眠くなるかもと思って、かなり軽食にしていました。夜勤明けで家に帰ると、インスタント味噌汁とリンゴ1個だけ食べて、ちょっと朝のニュースを見たら8時くらいには布団に入り、15時から16時くらいまで寝て、夕方目を覚ましたら17時半くらいまでパソコンでゲームをして、シャワーを浴びてから多めの野菜炒めを作り――――のサイクルになるわけです。

 休日の過ごし方は、昼勤の時は土曜日に車で2.5~3時間の実家に行ってだらだら過ごし、日曜日の午後にアパートに戻る。夜勤明けでは昼過ぎまで寝た後に車でイオンモールまで行って1000円くらいのステーキセットを食べ、ぶらぶらとモール内を歩いて買い物して過ごし、翌日曜日は掃除洗濯買い出し、そして自室でゲームです。


 さてさて、こんな生活をおよそ9か月繰り返した結果、なんと体重は――――


 67キロまで落ちました!


 要因は何でしょう?

 まずは仕事でしょうか。

 一日中立ち仕事をしていましたし、下半身の筋肉がついたことで基礎代謝がアップしたということかもしれません。

 夜勤の時、相対的に食事量が少なかったことも原因かもしれません。

 そして何より、一人暮らしによって間食が減ったというのも大きいかもしれません。実家にいた頃は何かしら食べ物があり、母から「アイス食べる?」、祖母から「これ買ってきたから」といろいろ口にしていたので、それがなくなりました。別にそれ自体は悪いことではなく、大変恵まれている、ありがたい事なんですけどね。


 こうして、わたしは1年2か月を経てマイナス10キロの減量に成功しました。ダイエットを試みたわけではなく、環境が体を変えてくれたわけです。

 高脂血症はよくなったのか。

 わかりません。

 その時は病院にも行かず、健康診断も血液検査とかなかったので。

 今思い返せばいい加減な健康診断だなと思いますが。



 ですが、この体重も、長くは持ちませんでした。

 

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