第105話 悪神の悪意⑰ vs天才の矜持

時はシフォンがフリーフォールを決める前に戻る。

場所は上空。


「ちょっと!あの犬が寝返ったわよ!?」

少しばかり高度を下げたバルディエにぶら下がってシフォンが叫ぶ。

「コロポンさんを……」

息を呑むバルディエ。


「早く行かないと!」

可能性があるとすれば、混乱している今しかない。

リュウセイ達が倒れた後では、近付くことすらままならなくなる。


「……コロポンさんをリュウセイさんから取り上げるなんて、怖いもの知らずですか?」

神に弓引くような行いに慄く。

「聞いてんの!? 今行かないと!!」

「でもまあ、そもそもあれだけ派手に喧嘩売ってるわけですから、今更、別に変わらないか」

ふむ、と一人納得して頷く。


「おーろーせーー!!」

「バタバタしないで下さいよ。見つかったらとばっちりが来るじゃないですか?」

よいしょっとシフォンを掴み直す。


「心配しなくても、今からもう一つ混乱しますから、そこですよ。今降りても無駄死にです」

バルディエにとってコロポンが袂を分かつことは、無いことである。

それはたぶん、マイルズにとってもだ。


「だから、もう少し、様子を見る時ですよ?」

その言葉はシフォンに通じないのだが。


「私と魔法で互角って何なのあの猫?」

「にしても、マイルズさんと魔法の打ち合いができるなんて、マジェリカさんは凄まじいですね」

焦りはあるが目の前の光景に目を奪われる。


「……何なのあのマフラーは!?」

「段々マイルズさんも何でもありになってきましまたね……いや、元々か」

それにやっぱり怖さもある。


そして、或いは、しかし、事態は動く。

リュウセイの叫び声と共に、コロポンがオレンジの光に包まれたのだ。

「な、何が起こっ「今ですね。いってらっしゃい!」

それを見てバルディエはぽとりとシフォンを放した。

「え?い、キャーーーーっ!?」



☆☆☆



「君の方から来てくれるとはね」

下敷きになり、ランセルの星を突きつけられてもフェンシェは焦っていない。

それどころか、愛しい恋人が会いに来てくれたと、至極嬉しそうだ。


「笑ってられんのも今だけよ?」

「それは君だよ?」

そう嗤うと右手でシフォンの顔を鷲掴みにした。


「忌々しいんだよ!」

その声が豹変する。

「マジェリカの魂を売女が汚すな!!」

「ぐげぇっ!?」

みしりと力が込められれば、小さな顔が軋む。


「魔核を捨た貴様に、逆らう術はない!」

「ぎええっ!?」

ぎしぎしと頭が割れそうに痛む。


「その石とて魔力が無ければただの石ころに過ぎない」

指先が熱を帯びる。

「あの猫か、梟の魔力でも当てにしたんだろうが、猫に余裕はないし、梟は逃げ出した!」

『ずぶり』と粘着質な音を立てて、頭に指がめり込む。

「――――!!??」

悲鳴は声にならない。


「マジェリカの魂……返してもらうぞ!」

めり込んだ指先が紫色に光る。

「――――!!??」

息すら出来ない激痛。

それは魂を引き裂く痛み。


「マジ……ぁぁぜ……うぉ……」

脂汗にまみれたシフォンが呻く。

唇を噛み切るほどに噛み締める。

血がぽたりと落ち、フェンシェの頬に赤い花を咲かせた。


目の焦点が合う。

「マジェリカ・ラズウェルを舐めんなあ!!!」

叫ぶと同時に魔力が溢れる。

「これは!?」


「フェクラ・エラルト・シェンド・ミ!」

それは起句。神を封じる呪言の端切れ。

「アンタが魂を分けるのを待ってたのよ!!」

顔面は蒼白。

しかし、意志は揺るがない。

石に光が灯る。


「ファーゼ・ヒルクト・エスティ・ティチティ!」

腕にびっしりと浮かんだ紋様。

それは、血で彫られた魔法陣。

「魂を魔力に変えるの、十八番なのよ!!」

にやりと笑う。

凄惨な笑み。

「どっかのバカで散々試したからね!!」

「ごぼぉ!?」

輝石が引力を放つ。

神気を吸い上げる不可視の力場。


「レベルカ・エスティコ・カレン・サンマ!」

「ぎゅうりぃ!?」

肉体に宿る神の存在が無理やり引き剝がされる。

「喜びなさい!アンタが望んだ通り、私の魂くれてやるわ!!」

「ぼぉれんぞぉ!?」

「吐き気が収まらなくなってもストーキングしてやるから覚悟なさい!」

その決死の覚悟は肉体を凌駕して美しさすら感じるほどであった。


「クレセテ・ヒングマ・リティッセ・ベンザラ!」

「かぼっじゃあ゛!?」

呪言が進むほどに、希望は明るく輝き、悪神はその力を失う。

「シフォン……あんた、ちゃんとやんなさいよ?」

最後に一言。

迷惑をかけ倒した宿主に告げる。

思えば不幸な女である。


普通に生まれていれば、何も困らなかったであろう美貌を持ちながら、その美貌のせいで人生が捻じ曲がった。

そして、さらなる不幸は自分と出会ったこと。


失ったものは多いが、得たものもあるはずだ。

アルディフォンの四人は、侍らせるには余りにも余りだが、それでも保護者としては悪くないし、マルシェーヌには気のいい人たちもいた。


「因果は全部、持ってくから……自由ってヤツを手に入れなさい」

魂が薄れていく。

「私より美人だってとこは認めて上げるんだから」

その時の表情は穏やかだった。


「行くわよ!」

一転。気合を入れた。それは消えることへの恐怖を乗り越える一言。

「仕上げ「あ゛あ゛っ!?」

情緒の欠片もない声が割って入った。

「何っ!?」

ビクっとなるシフォン。


「おい!コロポン!あいつが逃げるぞ!!」

「ふむ!!」

物凄い怒りの波動が風となって吹き抜ける。

「……どぇ!?」


「行け!コロポン!逃がすぐらいなら食っちまえ!!」

「うむ!!」

「何!?」

見上げた視界に黒く大きな口が迫った。


「にゃ!!」

何も無かったかのようにいつも通りに動き出す主従を見て『あ!!』とばかりにマイルズが鳴く。

白い身体が更に白く光る。

「にゃーー!!」

そのまま、白い燐光を纏い疾風のごとき勢いで魔法陣をぶち破ると人形に突撃。

その様は、リュウセイのよく使うストリームに酷似していた。

憧れがあったらしい。

「!!??」

魔法の打ち合いをしていた人形は突然の体当たりに対応できず吹き飛ばされる。


その先には、人形の主。そして、コロポンの顎。


「何!?え!?」

「おりゃあ!!」

ランセルの石を掲げたまま固まるシフォンの身体をバルディエがさらう。

その衝撃で、ランセルの星が手からころりと転がる。


その直後。

瞬きすら出来ない間隙。

漆黒の大顎がフェンシェと人形とランセルの星を呑み込んだ。

シフォンの覚悟と一緒に。


「ふぇ??」

再び宵闇に吊り下げられたシフォンから、間抜けな声が漏れた。


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