第102話 悪神の悪意⑭ vs理不尽の自乗

マジェリカ・ラズウェル。

白瓏のマジェリカと呼ばれる、伝説の大魔導士である。

その実力は数百年前に起こったと言われる『ヘイセンの激動』において一人で一国を沈めたという逸話を持つほどだ。


滝のような白い髪をなびかせ、やはり白く細い手が踊る。

「うむ」

目の前に現れた魔法陣の壁を薙ぎ払う。

すかさず翻って、足元に敷き詰められた魔法陣も。

間髪入れずに飛びのけば天より降り注ぐ魔法陣を食い破る。


躍動するコロポンを閉じこめるように、重なり合った魔法陣が檻をなす。

その全てを爪と牙で切り裂きながら、しかし人形との距離はいささかも縮まらない。


「うーむ……」

あの女は凄い凄すぎる、大天才だと自分を評していたが、思ったよりも真実だったとコロポンは唸った。

人形の手が踊るたび、夥しいほどの魔法が浮かぶ。

その姿に白猫を重ねる。


「奴の方が遊び心がある分、楽ではあるか……む!?」

コロポンが勇躍する。

見当違いに向けられた魔法陣に飛び掛かり切り捨てる。

その一つの魔法陣が向かう先は、主のリュウセイ。


一つだけだが、無視は出来ない。

向こうではリュウセイが変態を叩きのめしているが、あれはリュウセイが攻め込ませないように張り付けているに過ぎず、魔法の横やり一つでも、攻守が逆転すれば何が起こるか分からないのだ。


しかし、わざわざ消しに動けば当然、コロポンの隙になる。

「むぅ」

嫌らしく配置された魔法陣は一掻きでは消しきれず、少し対応が遅れる。

僅かな隙間に細い棒を突っ込んで、少しだけだが、しかし確実に広げるような周到さに辟易する。


少し距離を取るか。

こうして僅かずつ距離を詰めていた努力がまた泡と消える。

終始、人形の無表情は変わらない。



☆☆☆



「シェル!!」

空間が震えるほどの轟音。

喉元に突き立てた魔力を纏った石突きが炸裂し、灰色の髪が逆立つ。


しかし、それだけ。

首から上を吹き飛ばしてやろうと放った一撃だったが、その身体は、まるでそれ以外に形を持たないとばかりに傷一つ出来ない。


「ああ!硬えな!」

槍を引き戻し、宙を舞うフェンシェに追撃を掛ける。


「!!」

その時、中空にあるフェンシェの指がさりげなく、極めて自然にリュウセイを指した。

「はっ!!」

その所作を捉えると同時にリュウセイは槍から左手を離し、何も見えない空中払いのけた。


上級水魔法『ドロップオブタトゥー愛の形』。

満身創痍のレイチェルに放たれた一滴である。この雫は身体に触れると、身体の内側が焼け爛れるような激痛に苛まれる。


「おい!?ガキかてめえは!?」

プラプラと手を振るい、ごしごしと服で拭う。

「鼻クソなんざ投げつけんな、汚ねえな!」


空中で体勢を立て直し、着地したフェンシェの目は、何を語ればいいのか分からなくなったようにリュウセイを見ている。

「貴様は……。!!」

しかし、その時、ピクリと眉が動くと、不吉な笑みを浮かべた。



☆☆☆



「何がどうなってるよ!?」

そんな理不尽の自乗コンビのはるか上空。

地上からではほとんど目視も叶わないほどの高さでギャーギャーと騒ぐ声がする。


「リュウセイさんとコロポンさんが、リュウセイさんとコロポンさんやってますね……」

「にゃあ……」

呆れたような声が二つ。


「ていうか、行かないと!!」

手に持ったランセルの星を振り回す。

そのために文字通り舞い戻って来たのだ。

「いや、あんな中に飛び込んだら一瞬で挽き肉になりますよ?」

「にゃ。にゃがにゃにゃあ」

「そうですね。挽き肉どころか蒸発しますね」


空高く音もなくホバリングするバルディエと、その足に両肩を抱えられ、ぶらぶらとぶら下がっているシフォン、バルディエの頭からひょこっと下を覗き込んでいるマイルズである。


「何言ってるのか分かんないわよ! 後、高すぎるのよ!落ちたらどうすんのよ!!」

視力が普通で夜目が効くわけでもないシフォンが見下ろしても、何か魔力っぽいものがピカピカ光ってるだけしか見えない。暗がりではリュウセイもフェンシェも見えない。

何が起こっているのかなど分かりようもない。

後、高すぎて怖い。

夜で暗いからなおさら怖い。

ガンガンと岩と岩がぶつかるような音が聞こえるので、もう一つ怖い。


「近づいてバレたら困るじゃないですか。私が離さなければ落ちないので大丈夫ですから我慢してください」

ほら大丈夫、と前後上下左右にぐらんぐらん揺れてみせるバルディエ。

強風の中の風鈴のぜつのようにぐらんぐらん揺れるシフォン。

涼し気を通り越して背筋の凍るような悲鳴が上がった。


「にゃあにゃにゃあにゃがにゃ?」

「え? さっきもこうやって高い所で見てたのかですって?何がですか?」

「にゃにゃあにゃにゃにゃあ」

「リュウセイさんが来るまでの状況にやけに詳しかった? それが何ですか?」

「にゃがにゃにゃにゃあにゃあにゃあ」

「怖くてずーっと隠れ?……隠れてたってなんですか!?私はここぞというタイミングで介入できるよう戦況を観察してただけですよ!?」

「ちょ!?こら!?かた!? 片足離すな!?離さないで!!落ちる落ちるから!!やめて!!」

賑やかな上空。


その時――

「にゃ!?」

「え!?」

「落ちっ!?……って何あれ!?」

――眼下に赤い光が弾けた。


「にゃあ!!」

マイルズが躊躇いなく遥か虚空へと飛びだす。

「え!?あ、ちょっと!?」

思わず出たシフォンの手は当然のように空を掻き、白い軌跡を残してマイルズは落ちていく。


「…………」

バルディエが言葉を失う。

「ちょっと!?何が起こってるの!?」

以前のシフォンであれば或いは何が起こっているのか、魔力の流れで掴めたかもしれない。

しかし、今のシフォンは魔核が無い。

それはつまり、この肌に突き刺さるような魔力の爆発すら感じることがないということ。


「……コロポンさんの……契約が消えた……」

茫然と呟いたその言葉もしかし、シフォンは理解出来なかった。


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